Cry for the moon. 4

「サスケ君、聴いてくれた?」 目を輝かせてサクラが訊いてきた。 「あぁ、聴いた」 「どうだった?」 「…嫌いじゃない」 「よかったー」 「コレ、返す」 「いいよ、あげるよ?」 「…MDに落としたし」 「あ、そういうことなら」 伸ばされた手に、昨日貰った袋ごと渡したところで、サクラは友達に呼ばれ教室を出て行った。 薄暗い放課後の教室に残されたのは、自分ひとり。 窓越しに聴こえてくる外の音は、遠くから聴こえるみたいで日常から切り離された気分になる。 帰る気力も失せ、椅子に座り机に突っ伏した。 頭はぼやけたようにゆっくりとしか動かないというのに、心臓だけがやけにドクドクと音を立てている。 『そこに愛はなかったの?』 昨日の男の声が甦る。 胸が音を立てて痛んだ。 手を握り締め、衝動を殺す。 深呼吸を繰り返し、日常に戻ろうとする。 握り締めた手が痛みを脳に伝え、耳は外の音をちゃんと聞き捉え始めた。 もう一度深呼吸をすれば、日常が戻ってきた。 緩慢に首を窓へ向ければ、濃紺と紫のグラデーションができている。 そろそろ、帰らなければ。 のろのろと帰路へとついたけれど、足取りは重い。 公園を抜ければ家はすぐだと言うのに、このまま帰りたくない 。 目の端に薄汚れたベンチが映り、それに吸い寄せられるように座り込む。 それでも、気持ちは落ち着かず足を抱え込み、それに顔を埋めた。 『愛してるから』 たったその一言で、何が許されると言うのか。 アイツは両親を殺して血に濡れた手で、自分に触れた。 怖かった。 けれどその理由は、 両親がアイツに殺されたことでもなければ、 これから自分がアイツに何をやられるか解ったからでもなく、 『愛してる』というそれだけで、それらすべてをやったこと。 『愛』って何だ。 人を殺せるほどのものなのか。 今まで愛してくれた両親を殺してまで、アイツは自分に何を望んだというのか。 解らない。 なぁ、愛って何だ。 「また会ったね」 ふいに声をかけられ顔を上げれば、昨日の男がいた。 隣には昨日と違う女を連れて。 顔を上げたはいいけれど、喉がひりついて声が出せない。 けれど、声が出せたところで、自分には関係ない。 一瞥だけして、また顔を膝に埋めた。 頭上で女が男をせかす声がする。 早く、去ればいい。 それなのに、男は何かを女に言っている。 早く、帰ればいいのに。 そう思ったところで、バチン、と聞き覚えのある音が響いた。 何の音かなんとなく予想をつけつつも顔を上げると、 昨日と同じ左頬を僅かに赤くする男だけが取り残されたように立っている。 馬鹿だ、コイツ。 呆気に取られて男を見ていると、男は笑った。 「また、見られちゃったね」 それから、昨日と同じように男は俺の腕を取り、マンションに連れ込む。 変わらず無機質で無駄に広い部屋。 ソファの端っこに、足を抱え込んで座った。 男がコーヒーをくれたけど、手を伸ばす気力も無くて視線を落とす。 男はため息をついてテーブルの上にそれを置き、俺の前に座った。 それから、くしゃりと髪を撫でられた。 その感触は酷く優しくて、泣きそうになった。 心が不安定だ。 男は何も言わず、くしゃくしゃと髪を撫でる。 懐かしい感触で、感傷的になってしまう。 力を緩めれば涙が零れ落ちそうで、さらに膝に顔を埋めた。 1時間ほどそうしていたら男が立ち上がり、何処かに行こうとする気配がした。 それなのに、男は動かない。 不審に思って顔を上げたら、困った顔をしている。 何だろう。 男は困ったように笑った。 「手、離してくれる?」 言われたことが解らなくて、男の顔をじっと見つめた。 男はまた苦笑を浮かべ、そっと手に触れてきた。 見ると自分の手は、しっかりと男の服の裾を握っている。 驚きよりも呆然とした。 信じられなくて、手と男を交互に見やる。 男は諦めたように笑って、また座った。 それでも自分は、裾を掴んだ手を離せない。 ただ、呆然とその場所を見ていた。 そしたら、いきなり視界が暗くなり、自分は抱きしめられていた。 ぽんぽんとあやすように、背中を叩かれる。 それに、安堵する自分。 それから堰を切ったように、自分は泣いた。 涙なんてひと雫も流れなかったし、 声も押し殺したものしかでなかったけれど、それでも泣いた気がした。 裾を掴んでいただけの手は、強く握り締めていて皺が寄っている。 それは、泣けない自分の泣いた証に思えた。 男はずっと抱きしめていてくれて、そのままふたりソファで眠りについた。
04.04.24
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