いつの間にか腕を掴んでいたはずの腕を掴まれていて、
気がつけば近所に最近建ったばかりのマンションの一室に連れ込まれた。
そこは、無駄に広いだけの生活の匂いが一切しない無機質な冷たい部屋だった。






Cry for the moon. 2

「適当に座ってよ」 男はコーヒーを入れたカップのひとつを俺に渡して、目の前のソファーに座る。 それから自分の分のコーヒーを一口だけ口に含み、楽しそうに笑った。 「で、君は何が言いたいの?」 「別に言いたいことはない。  ただ、思っただけだ」 そう言うと、男は可笑しそうに口の端を上げ、さらに訊いてくる。 「何を?」 「アンタの歌詞は、綺麗で脆い。  歌ってる姿も、目を見なければ、祈ってるようにしか見えない。  でも、嘘なんだろ?」 「嘘?  別に嘘じゃないよ。  そういうふうに見せてるだけ。  純粋すぎる愛、ってみんな馬鹿にして笑うくせに、どこかで求めてる。  だから、俺が唄うんだよ。  歌詞を書いて、曲を作って、全身全霊をかけて唄う――ふりをする。  だから、嘘じゃないよ。  ただ、俺は演じてるだけ」 「何を?」 「愛に忠実な人、とか?」 男は笑った。 この男は、笑ってばっかりだ。 「アンタ、愛に忠実なの?」 「違うよ。  だから、フリをしているだけだよ」 「じゃあ、『アンタ』は?」 男は目を見開き、やっぱりそれから笑った。 なんとなく、疲れた笑みだった。 「さぁ、どうだろ? 忘れちゃった。  …お前は? 青春真っ盛りのお前はどうなの?」 先ほど一瞬だけ見せた疲れた笑みはなく、見慣れそうになってる馬鹿にした笑顔が向けられる。 けれど、どんな笑みを向けられても同じ。 自分は答えられない。 「…」 「あぁ、子どもに『愛』について訊いても答えられないよね。  ごめんね」 クスクスと男が笑う。 そんな男をきっと自分は感情のない目に映している。 「あぁ、答えられない。  『愛』って何だ?  信じていた家族愛にすら裏切られた俺には解らない。  そんな俺が『愛』について何が言える?  なぁ、『愛』って何?」 男はもう笑っていなかった。 ただ、口の端を上げ言った。 「絵空事」
04.04.24
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