Cry for the moon. 1

「バラードの曲を泣き出しそうに唄うの。  聴いてるとね、切なくなって泣きそうになる。  『カカシ』の唄は、そんな唄なの」 その言葉と共に、同じクラスのサクラがDVDとMDをくれた。 昨日、『カカシ』を知らないと言ったのを覚えていたらしい。 別に興味もないから断ろうとしたのだけれど、 サクラの本当にカカシが好きだと解る顔を見てしまったら断りきれなくて、 結局、借りてしまった。 それが、2時間前。 その間ずっと借りたビデオを見ていた。 サクラの言うように、彼のバラードはどこか切なく哀しい。 ぎゅっとマイクを握り締め目を閉じ、彼は祈るように唄う。 愛の唄を、彼は泣くのではないかと思わせるほどに切なく唄う。 世間が騒いでいるという事実を、垣間見た気がした。 それから1時間後、 腹が減ったのでコンビニに行った帰り道の公園で、本人に会ってしまった。 軽く、修羅場だった。 バチン、と小気味のいい音を立てて、女が『カカシ』の頬を引っぱたく。 それから、何か罵って駆け出した。 『カカシ』は何事もなかったかのように女に背を向け歩き出そうとして、俺に気づき、笑った。 「あー…、見られちゃった。  …内緒ね?」 変な言葉。 相手が自分を誰だか知っていることを前提とした言葉。 3時間前ならきっと変な男扱いしただろうけれど、自分はこの男が誰であるか知っている。 そしてこの男が、どんな声で、どんな姿で『愛』を唄うのか知っている。 だから、擦れ違っていこうとする男の腕を取ってしまった。 不思議そうに振り返る男の左頬は、街頭の下僅かに赤くなっている。 「…えっと、何?  …サイン、欲しいとか?」 ちょっと困ったように覗き込んで訊いてくるその目の―― いや、今見せているこの目ではなく、あの目の理由が訊きたかった。 「何処までが本当なんだ?」 「何?」 問われた内容が解らないようで、『カカシ』は首を傾げる。 「アンタが唄うのを今日初めて見た」 「今日、俺テレビに出てた?」 「友達がDVD貸してくれた」 「あ、そう。  で、ファンになってくれたの?」 にっこりと男が笑う。 「アンタは泣きそうに唄ってる。  祈るように目を閉じて、見てるこっちが切なくなるくらい」 「ありがとう」 笑って去ろうとする男の腕に、さらに力を込めとどめる。 「でも、嘘なんだろ?」 男が動きを止める。 視線がぶつかる。 男が、薄く笑う。 「何が?」 「全部」 「全部?」 「切なくなるほどの歌詞も曲も、唄い方も。  全部、嘘なんだろ?」 男は笑った。 それはもう、楽しそうに。 「へー、よく解ったね。  俺、なんかヘマしてた?」 「一瞬だけ、アンタ目を開けたんだ。  唄ってる間に。  その目が、嘲笑ってた。  だから、嘘なんだろ?」 「まいったね」 男は、また笑った。
04.04.24 Crying for the moon. 「月が欲しいと泣く子供――それが転じて、望みのない願いという意味」  実現不可能なことを望む。
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