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有得ないと思っていた再会を果たした。 泣くと思っていた男は涙を流さなかったけれど、 それでも、何処にも行かないでくれ、と告げてくる声は泣いてるように思った。 硝 子 の 破 片 の 雨 ホテル王が死んだ。 男に無残にも切り刻まれ死んだ。 あの優しかった人が、死んだ。 「ヒバリ」 何度も名前を呼んで、男が僕を抱く。 僕は何も感じないままに、男に抱かれる。 哀しみも、痛みも、快感すらも遠い。 「何処にも行かないでくれ」 馬鹿の一つ覚えのように、男が言う。 男と過ごしたのは、ほんの数ヶ月だった。 それも単に、登下校だとか休み時間だとか、特別な時間じゃない。 他の誰よりも傍にいたけれど、特別と言える相手でもなかった。 勝手に男が、嫌がっても付きまとう、と宣言をして、 僕が押し切られる形でそれを許していただけの関係だった。 なのに何故、 もう5年も経つと言うのに、この男は僕に執着をみせるのか。 解らない。 何も、解らない。 「アイツを、愛してた?」 訊いてくるくせに、 訊きたくないとでも言うように、抱きしめる腕に力を込められる。 逃げる気も、 逃げる体力もないと解っているだろうに、 男は、ずっと僕を抱きしめたまま片時も離さない。 離せば、また僕がいなくなるとでも言うように。 「…愛してたよ」 身じろぎして、顔を上げ答える。 けれど、 すぐに頭を胸に押し付けられて男の表情は見えなかった。 「どうして」 どうして、なんて訊いても意味がないだろうに。 誰かを愛してその理由を告げるなんて、無理だと思う。 どうやったって、 言葉では言い尽くせないと思うのは、 僕が誰かを本当に愛したことがないから幻想でも抱いているのだろうか。 あんな強欲と売女の子供のくせに笑える。 けれど、 今 訊かれたのには、答えられる。 ――父親像を見てしまったから。 その一言に尽きる。 あの人がどうだったかは知らないけれど、僕は恋愛として愛してはなかった。 ただ優しくて温かい腕を愛しただけで、別にあの人だからと愛したワケではなかった。 でも、それを男には言わない。 何故だか、言ってはいけない気がした。 「ヒバリ、どうして?」 「…言わない」 「…何処にも行かないでくれ」 再会して数時間のうちに、聞き飽きるほどに聞いた言葉。 胸に重く何かが降り積もってくる気さえする言葉。 それは、まるで呪詛のよう。 「離して」 言葉も、腕も、僕に絡み付いて離さない。 「嫌だ」 引き寄せられ、胸に閉じ込められる。 抗い腕を振り回せば、ベッドサイドの何かに当たった。 それは音を立て、床に落ちる。 「…ごめん」 謝れば、 男は首を横に振り、流石に僕を離した。 床に下り、落ちたものを拾い上げた。 手の中には、割れたグラス。 「危ないから、ヒバリは降りるなよ」 手早く服を着込んで、割れたグラスを持って部屋から出た。 僕は床を覗き込み、飛び散った残骸を見る。 キレイなキレイな透明の硝子。 思わず手を伸ばせば、指を傷つけた。 ぷっくりと血玉ができあがる。 そして思い出すのは、あの人の血に塗れた死体。 もう、あの人はいないのだ。 今更に、実感してきた。 「ヒバリ、血がっ」 戻ってきた男が、傷ついた僕の指を見て驚く。 あんなに大量の血の中で平然としていたくせに、 たった1滴にも満たない僕の血を見て、蒼白になる男。 「僕を、愛してるの?」 気づけば、そんなことを訊いていた。 男は、何も言わなかった。 答えの代わりに、僕を抱きしめた。 「愛してるの?」 重ねて訊いた。 これでは、昼間の男のようだと思いながら。 答えない男の肩越しに、 散らばった硝子の破片を見つめる。 キレイなくせに、 鋭利で傷つける凶器となる硝子片。 「…愛してるよ」 沈黙の後に、男が答える。 苦しそうに吐き出された言葉は、 男の肩越しに見える散らばった硝子の破片のようだった。 キレイなのに、 鋭利で簡単に人を傷つけ血を流させる。 何処にも行かないでくれ、という言葉が呪詛ならば、 愛してる、という言葉は凶器だと思った。 男が繰り返し告げる度に、僕の心臓は痛みを増していく。 あと何度言われれば、 血を噴き出し、動かなくなるのだろうか。 動かなくなれば、あの人の処に行けるだろうか。 早く、硝子の破片が降り積もり、 血まみれになって動かなくなればいい、と下らない幻想を抱いた。
08.03.04 『硝子の破片の雨』 欺瞞五題:リライト様提供 ← Back Next →