卒業式は終わったけれど、1,2年はまだ授業がある。 だから、変わらずヒバリと登下校することができる。 でも、それはもうすぐ終りを告げる。 Liberate. 「山本、お前、聞いてんのかよ?」 ぼんやりと思考に陥っていたのを、クラスメイトの声で現実に戻される。 「あー、何だっけ?」 「明日、ホワイトデーだろ? お返しどうすんだよ? お前、いっぱい貰ってただろ?」 ニヤニヤと、笑う顔。 「何もしねぇよ」 「本命にもか?」 その言葉に、周りが飛びつく。 「え、山本、本命いるのか?」 「誰だよ?」 「うるせーな、関係ないだろ。 チョコ貰うときに、最初から何も返せないって言ってるから返さないだけだ」 それは、本当。 恋愛対象としてか解らぬままに、それでも気になっている人間はひとりだけ。 それ以上の相手などいない。 そこに誰かが入り込む余地など微塵もない。 だから、何も返せないと告げた。 その上で本心は知らないが、ギリだから、と笑う相手からだけ受け取った。 「うわー、モテる男は言うことが違うね」 溜息吐き出して満足したのか、話題は変わる。 「そう言えば、隣のクラスの新田、年末ジャンボで100万当たったらしいぞ」 「マジかよ」 「100万だって、いいよなー。 お前、どうする?」 「俺、パソコン買ってあとは豪華に旅行だな」 「俺も旅行かな。 山本は?」 「俺?」 俺は―― 「貯金」 「…全部か?」 「あぁ、全部」 ジジくせぇっ、と叫ぶ声を背に、 部活だからじゃあな、と別れを告げた。 100万あれば、迷うことなく貯金する。 才能があれば株とか投資の元手にしたいけれど、 そんなことをしたら、0どころかマイナスになりそうで手を出せない。 それなら、堅実に貯金する。 欲しいモノがある。 どうしても、欲しいモノが。 そのためには、まだまだ金額が足りない。 早く、と焦っても、莫大な金はそう簡単には転がってきてはくれない。 「ヒバリ、また明日」 今日も電気の点いていない家まで送って別れる。 けれど、向かう先は家じゃない。 デパートへ。 「これ、ください」 文字盤が黒の繊細なシルバーの時計を指差す。 ポケットにある、ヒバリに似合わないゴツいシルバーの時計とは正反対。 更に、価格さえも大違い。 俺でも知っているブランドの時計は100万以上は軽くするだろうが、その十分の一にも満たない時計。 それでも、ちゃんと自分で稼いだ金の範囲内で、ヒバリに似合うのを探してた。 本当は、ホワイトデーだからと言って何もする気はなかった。 けれど、あんなことがあったから。 ヒバリが頬なんて腫らしてきたりするから、贈りたいって思った。 「…あの」 戸惑った声に顔を上げれば、店員の女性が困ったように笑っている。 その両手には時計が持たれていて、サイズ合わせがどうとか言っていたことを思い出す。 「ちょっと、すみません」 言いながら、時計を持つ細い手首を掴む。 店員は驚きながらも、一流の接客を心がけているのか笑顔をすぐに浮かべた。 掴んだ手首より、ヒバリのほうが細い。 もうワンサイズ落とせば、きっとちょうどいいくらい。 「おネェさんよりワンサイズ落としたサイズでお願いできますか?」 そう伝えると、ニッコリと微笑まれる。 「彼女にプレゼントですか?」 俺に似合うとは言いがたい繊細な作りの時計でも、 繊細故に、メンズものでもホワイトデーのお返しと称して彼女に上げるというのならば納得したのだろう。 「ホワイトデーのお返しなんです」 彼女じゃなければ、女でもないけれど。 「そうですか。 リボンのお色が選べるのですが、どうなさいます? 包装紙はダークグレーですが」 赤、白、水色のリボンを並べるから、白を選んだ。 右ポケットにヒバリの時計、 左ポケットに買ったばかりの時計を入れて帰る。 返さない、と言ったし、返すつもりもない。 それでもまた、ヒバリが頬を腫らすようなことがあれば、返す気がしないでもない。 守ると言いながら、殴られた原因が自分だなんてどうしようもない。 それでも、やっぱり返したくない思いはある。 決着のつかない思いのままに、 ずっと右ポケットに入れたままだったけれど、もう明日からは家に置いておく。 また殴られたら、すぐには返すから――ごめんな? ホワイトデー当日。 いつものように迎えに行って、 朝練、授業、部活、を恙無くこなして、また一緒に帰る。 「じゃあ」 そう言って門を開け、玄関へと向かうヒバリを呼び止めた。 「ヒバリ」 振り返ったのを確認して、左ポケットに入れたままだった小さな箱を投げる。 落とすことなく、ヒバリは受け止めた。 「何?」 「お礼」 それだけでは解らなかったのか、訝しむ視線を寄越した。 「バレンタインの」 「…何も、君にあげた覚えはないよ?」 「ホットチョコを貰った」 「…君がくれたんだろ」 らしくもない、小さな声。 「全部飲まなかったろ?」 「でも…」 ヒバリが何かを言う前に、言葉を続けた。 「ちゃんと、貰ったよ」 穏やかに言えば、ヒバリは諦めたように溜息を吐き出した。 「だから、お礼。 本当は今すぐ付けて欲しい。 でも、いつかでいい。 ずっと先でもいいから、付けてくれ。 気に入らなかったら、一回だけでもいいから」 箱の中身が何かも伝えぬままに、それだけ言った。 戸惑うヒバリに、また明日、と笑って背を向けた。 本当は朝イチで渡したかったけれど、 付き返されることが目に見えていたから、最後まで引き伸ばした。 受け取ってもらうと言うより、 押し付けたと言ったほうが近かったけれど、ヒバリの手の中にあればそれでいい。 ――それから。 いつかでいいから、あの時計を付けてくれたらいい。 その後で、この右ポケットにある時計を一緒に捨てることができたらいい。 いつか、呪縛からの解放を。
08.03.04 ← Back After →