ヒバリが笑った。 見送ってもくれた。 それが嬉しくって、それだけしか考えられなかった。 ――だから、単純にも見落としてしまった。 Dead slumber. 付きまとうと言って、 ヒバリはそれをどうにか受け入れてくれて、一緒に時間を過ごすことが多くなった。 と言っても、朝とか帰りとかその程度だけど。 それでも、僅かな時間が俺にとってはいつの間にか大切な時間へと変わっていった。 この感情が恋愛感情なのかは解らないけれど、野球とは別次元で、ヒバリとの時間は大切だった。 会話なんて禄にないけれど、知らなかったヒバリを知る。 群れる草食動物は嫌いだと言うヒバリとも、 怖いくらいキレイな冷笑を見せるヒバリとも違う、 静かな、ともすれば、痛々しくも儚い、とも言えそうになるヒバリ。 そう思ってしまうのは、 多少なりとも、ヒバリの両親のことを聞いたからだろうか。 同情は、してないと思う。 何も思わないワケじゃなないけど、 抱きしめたいだとか、守りたいだとか思ってしまうのは、 恋愛感情としてヒバリを見ているのだろうか。 考えても解らなくて、握っていたバットを振った。 風を切る音が心地よくって、浮かぶ笑み。 それから、思い出したヒバリの顔。 チョコに怯えたヒバリ。 その理由を聞いた。 ――聞いたのに、何で。 立ち止まる。 一瞬、動けなくなる。 あのヒバリが、怯えた。 その理由を聞いた。 それから、家に明かりが点いていた。 送るようになって、それは初めて点いていた。 それが意味することなんて解りきっていて、 だからヒバリは、見送ると笑って言ったんだ。 あの家に、入れなかったんだ。 だから、言ったんだ。 何で、 何で気づかなかったんだ。 何で、ヒバリは何も言ってくれない。 走り出した。 戻って来た道を全速力で走りながら、後悔した。 「…ヒバリ」 俺を笑って見送った場所に、膝を抱え込んで座っていた。 目を閉じ空を見上げるように顔を上げ、少しだけ笑っていた。 泣いてるように、 それなのに、何処か幸せそうに。 気配に敏感なくせに、気づかないヒバリ。 痛々しくって、どうしようもなくて、ヒバリ、と強く名を呼んだ。 瞬きをして開かれる目は、黒く何処までも澄んでいて子どものようだった。 けれどそれは一瞬で、いつもの深い黒に変わっていた。 「…何してるの?」 冷ややかとも、穏やかとも言いがたい声でヒバリが問う。 そんなの、俺が聞きたい。 「ヒバリこそ、何してんだよ?」 「…まだ、終わらないんだよ」 答えられた意味が解らない。 「何?」 「今日が、まだ終わらないんだ」 ――だから。 だから、家に入れないとも言うんだろうか。 いや、言うんだよな。 ヒバリ、お前は絶対に。 触れたいと、 抱きしめたいと、思った。 自分より強いのに、この人を守りたい、 と、ただどうしようもなく思った。 邪魔な門を飛び越えて、ヒバリの前に立った。 近づいて、ヒバリの顔が赤いことに気づいた。 目が潤んでいることにも気づいた。 馬鹿だと思った。 この寒空の下で薄着で、一晩過ごす気だったのだろうか。 それがどういう結果をもたらすか解らないワケではないだろうに。 片膝をついて、抱きしめた。 ヒバリは抵抗しなかった。 異常に温かい温度の頬が、俺の首に触れた。 温かい、と小さく笑う声が聴こえた。 それが最後で、ヒバリは意識を失った。 抱きしめる。 腕の中の、温かい存在。 大切な、存在。 認める感情。 恋愛感情だとか、そうじゃないとか、 関係なく、ただこの存在の愛おしさ。 抱き上げて、歩き出す。 扉を開ければヒバリの家なのに、 どうしても、そこには連れて行けなかった。 ヒバリが望んでいるし、 何よりも、俺がそれを嫌だと思った。 こんな家に、ヒバリを置いていけないと思った。 だから、俺の家へと歩き出す。 でも、そんなのは、 一時しのぎでしかないと知っている。 親父は何も言わないどころか、 ヒバリならずっと居てくれてもいい、と笑うだろうけれど、 それをヒバリが許すはずがない。 明日になったら、ヒバリはあの家に帰って行く。 下手すれば、目覚めた瞬間にでも帰ろうとするだろう。 何事もなかったかのように、あの家で生活をする。 ただ今日という日だけ、家にいなければいいと思っている。 俺は、何もできない。 ヒバリを止めることも。 止めたところで、どうすることも。 俺は、養われる立場の子どもでしかない。 できることなんて、ほんの僅かでしかない。 そんな現実が、悔しかった。 早く大人になるから、と呟いた。 眠っているヒバリには聴こえないと思ったけれど、関係なく呟いた。 大人になって、 温かな家でヒバリを与えたいと思った。 どんなにそれが非現実的なことだと解っていても、 そう思わずにはいられなかった。
07.03.06 ← Back 3(Side.H) →