叩かれた頬が痛かった。 赤い爪が食い込むほどに掴まれた肩が痛かった。 投げ飛ばされ、地面と擦りぶつかった膝が痛かった。 Daybreak. 血に塗れた膝を抱いて、門扉に背を預け閉じられた玄関を見る。 けれど、どんなに見てもそれは開いてくれそうになく、溜息を吐き出す。 どうやら、今日はもう家に入れてくれないらしい。 ここは閑静な住宅街で、0時を回れば道を歩く人間も少なく、 僕の性格からしても、態々何処かに助けを呼ぶこともないとあの人は知っている。 薄手の服じゃ寒くなった秋空の下、このまま過ごすしかないと諦めた。 慣れるほど多くあることじゃないけど、 それでもここ2年の間に、数えるほどに何度かあったからから。 痛みが治まれば、物置に隠してるブランケットに包まって朝を迎えればいい。 朝になって、あの人が出かけたら家に入ればいい。 痛みが治まるまで、ぼんやりと月を眺める。 澄んだ空にぽっかりと浮かぶ月は孤高でとてもキレイで、痛みまでもが癒される気がした。 「…何してるんだ」 突然、驚いたような声が上から降ってきた。 顔を上げれば、眠った子供を抱いた男がひとり。 こんな時間に、と思ったのも一瞬。 よくよく見れば、最近隣に引っ越してきた親子。 近くで寿司屋をやってる父子家庭。 「月見」 だからお気遣いなく、と言っても、男は納得しない。 「…そんな格好でか?」 暗くて怪我は見られないだろうけれど、 服は汚れているし、ズボンは奇妙に裾が捲りあがっている。 気が付かなくていいものを。 「気にしないで」 「…家に入らないのか?」 「もう少ししたらね」 家に入るのではなく、ブランケットに包まるのだけれど。 「…寒くねぇのか?」 さっさと放っておけばいいものの、男はしつこい。 自分にも小さな子供がいるからだろうか。 「寒くないよ。 そっちこそ、早く家に入ったら? その子、風邪引くんじゃないの?」 だからさっさと行ってくれ、と思っていれば、 何を思ったのか、男がしゃがみこむ。 「そうだな。 でも、お前も家に入らないんだろ? だったら、うちに来ないか…ってお前」 近づいた距離のせいで、見つかった怪我の数々。 男は言葉を失う。 そのまま、去ってくれればいいのに。 騒げば、余計にあの人は煩くなる。 思わず舌打ちする。 警戒のために硬くなる身体。 けれど、男は予期せぬ対応。 「うちで、お茶しねぇか?」 な、と笑う男には、 同情は見えず、怒りも見えない。 そっと、門扉越しに触れてくる男の手は暖かく、 「茶葉の紅茶あるならね」 気が付けば、そんな言葉を発していた。 男は抱いていた子供をソファにおろし、キッチンへと向かった。 僕はそっとまだ眠っている子供の隣に座る。 当たり前かもしれないけれど、怪我ひとつない肌。 手を伸ばし触れたら、瞼が震え、目が開いた。 ぼんやりした視線が、しっかりと僕を捉え――笑った。 「あぁ、目を覚ましたか」 テーブルに、緑茶とホットミルクと僕が所望した紅茶が並ぶ。 ホットミルクは子供のモノのようで、 そちらをチラチラと気にしながら、僕を見つめてくる。 「武。 この子はお隣の子で、名前は恭――…」 「ヒバリだよ」 男の声を遮り、名乗る。 一瞬だけ訝しそうな顔をしたけれど、何かを悟ったのかそのまま紹介してくれた。 「ヒバリちゃんって言うんだ。 遊んでもらえよ」 「うん。 ぼく、たけしなの」 ぎゅっしていい、と言われ、 理解できないうちに小さな手で抱きしめられた。 身体中まだ痛い上に更に触れられて痛かったけれど、 たぶん、そういう意味じゃなくって、涙が流れた。 止めどなく流れるそれに、 子供はおろおろとしながらも、小さな手で拭ってくる。 「ひばゃり、痛い?」 違うよ、と声にはならず、首を横に振る。 それでも心配してくる小さな子供に違うと伝えたくて、 痛む身体を無視して抱きしめた。 それは、手当てしような、と男が優しく言ってくれるまで続いた。
08.09.16 ← Back Next →