カキーンと言うボールとバッドが当たる懐かしい音と、
遠くから聴こえてくる野球部員と思われるデカい声で目が覚めた。





牡丹

目を開けると、昨夜と変わらぬ桜が満開に咲いていた。 そこから覗くのは、夜空ではなく明るい空の色だったが。 ズキズキと痛む頭を押さえがなら、ゆっくりと身体を起こす。 解っていたことだが、ヒバリはいなかった。 いた形跡すら見当たらない。 当然だ。 アレは夢でなければ、俺が作り上げた幻でしかない。 転がった缶ビールと一升瓶だけが、現実。 それでも、また今夜も来る。 昨夜は、幻でもヒバリに会えた。 来るならどちらか一度だと言ったヒバリだけど、どうせ俺が作り上げた幻だ。 酒に酔えば、また会えるかもしれない。 今度こそ、答えをくれるかもしれない。 ぐっと伸びをして、ゴミを拾い集めコンビニ袋に入れる。 いくらここが忘れ去られたような場所と言えど、学校と言う敷地内。 さっさと出て行くに限る。 塀に手をかけ飛び越えれば、着地点は素敵なことに裏通り。 それも、7時半過ぎなら人通りも少ないだろう。 予想通り、道には誰もいない。 明るい日差しが差し込める中、懐かしい道を歩いて行く。 「山本?」 昨日会った旧友が、目を丸くして立ち止まった。 「お、酒は抜けたか?」 人のことは言えないくせに、昨日へろへろに酔っていた旧友に手を上げる。 「あー、ちょっと二日酔いだな。  てか、お前にやっぱ会ったんだよな。  なんか夢かと思ってよ」 「会ったぜ。  で、これ貰った」 空になった一升瓶を振れば、叫ばれた。 「俺の最高級品っ。  失くしたと思ってたのにっ」 何でお前が、と半泣きな顔で言われても困る。 「いいって断ったのに、お前がくれたんだろうが」 「…最高級品」 そこまでヘコまれると流石に悪いことをした気になる。 「…そんなに最高級品なのか?」 「安月給の俺にとったらな」 深い溜息を吐き、未練がましく一升瓶を見ている。 「値段も勿論なんだけど、  味がいいのも当然として、幻が見れるんだとよ」 「え?」 幻、その言葉に反応してしまう。 「ん?  だから、幻…って、それがどうかしたのか?」 「…嘘だろ」 「さぁな。  でも、飲みあたりがいいくせにアルコール度数半端ねぇから、  呑みすぎて限界通り過ぎて見ちゃうんじゃねぇの?  気持ちよく酔ってる状態だから、夢見心地ないい幻が見れるって噂だ。  昔の恋人が…あれ?死んだ恋人だったか?  それが出てくるって言う噂もあるけど、そんな限定的な幻の噂がどうして出てくるのか謎だな。  って、あれ?  理由、あるっちゃあったんだっけか…」 次から次へと出てくる心当たりのある言葉に、 ドクドクと心臓が音を立て、手にはじっとりと汗が滲む。 「…理由って」 声が、かすかに震えた。 「あぁ、ほら名前がな」 ラベルには、牡丹、と薄墨で書かれ、 何処か儚さを感じさせる薄い金で牡丹の絵が描かれていた。 「牡丹灯篭って知らねぇ?」 「詳しくは……」 「俺も禄に知らないんだけどな、  恋人が夜な夜な家に訪ねてきて嬉しくて家に迎え入れていたのはいいが、  その恋人ってのは実は死んでたんだよ。  で、生気吸い取られて男は衰弱してくし、  恋人が死んだことを他人から知らされて怖くなって、  恋人を拒むんだけど、結局は取り殺されてしまうって話…だった気がする。  ちょっと違うかもしれないけど、まぁそんな感じだ」 「…へぇ」 平静を装うにも、どこか上滑りする。 「ま、何にしろいい幻が見れるって酒っつーことだな」 呑みたかったのに、と、 旧友が悔しそうに溜息を吐き出す姿を、呆然と眺める。 どんな巡り会わせだったか知らないが、アレは幻を見れるという噂の酒だったらしい。 昨夜見たヒバリは、単に偶然が重なっただけかもしれない。 疲れがあって、酒があって、その他の原因があって。 だから、今日行っただけでは見れないかもしれない。 そんなのは、嫌だ。 少しでも、可能性を上げれるのなら上げたい。 「何処で売ってる?」 「だから、最高級品って言ったろ?  あまり出回ってないから、最高級品なんだよ。  って待てよ、2丁目の酒屋にあるかもな。  あそこの親父、趣味でいい酒こっそり自分のために置いてるって話だから」 「そっか、ありがとな。  あれば、お前に買ってやるよ」 自分用を1本キープして、まだ余りがあればだけど。 「あぁ、頼むぜ。  って、ヤバい。遅刻する。  朝っぱらから会議があんだよ。  お前、いつまでいんの?」 「明日の朝には帰るよ」 「早いな。  今夜は用事あるから無理だけど、明日は土曜だし見送りに行ってやる」 「子どもじゃねぇし、いらねぇよ」 「いいんだよ、俺が行きたいんだから」 時間がないと言いながら、電車の時間を聞き出す旧友に呆れながらも教えた。 じゃあなと別れて向かうのは、ホテルではなく聞いたばかりの酒屋。 まだ開いてる時間じゃないと分かっていても、足はそこへと向かっていた。 結局、酒屋には牡丹はあった。 渋る店主を説き伏せて、何とか2本を手にすることができた。 1本は旧友に、1本は今夜呑むために。   ベッドに寝転がって、顔を横に向ければ空と町並みが見えた。 懐かしいと思う反面、知らない街に見える。 本当は、ホテルなんて取らなくても家に帰ることもできた。 それでもしなかったのは、日本に帰りたくなかった理由と同じだ。 ヒバリの死という現実を突きつけられる、と思ったから。 中学の頃、何度かヒバリがうちに来た。 来た、と言うより、 寿司にかこつけて無理矢理連れてきたというのが正しいけれど。 そんな数少ない思い出でも、あの家にはある。 今はまだ、 そんな場所を見ても優しく思い出に浸れることなんて出来ないと思った。 ただ、後悔に塗れるだけだと思った。 だから、帰れなかった。 ゆっくりと瞼を閉じれば、昨夜会った幻のヒバリが思い浮かぶ。 ヒバリ。 俺は、自分が何をしたいのか解らないままだ。 10年経って、 本当のお前ではない幻のお前に何て言わせたかったのかさえ解らない。
08.02.08〜 Back   Next →