牡丹

「電話で予約した山本ですが、花束できてますか?」 「山本様ですね、できてますよ」 昨日と同じ花屋に、花束を注文した。 渡された花束は、昨日と同じで二種類。 「大切な方に贈られるんですか?  貰われる方は幸せですね」 こんな素敵な花束を、と羨ましそうに見る店員の言葉に固まる。 花束を、渡した。 確かに、昨日、渡した。 でも、起きたらそれらはなかった。 風で飛んだ? ふたつともが? 期待と不安が押し寄せる。 アレは幻だ。 だって、ヒバリは死んだから。 もう、この世にいないのだから。 「どちらの花束も、愛に溢れたの花言葉なのがいいですね」 ハイ、と渡される花束を呆然と見ながら、曖昧に返事をした。 何が本当で、何が嘘か解らない。 「薔薇はたぶんご存知だと思いますが、  薔薇自体の花言葉も『愛』で、  赤い薔薇も『愛情』で一緒なんですけど、アネモネは違うんですよ。  アネモネ自体は…、えっと、赤いアネモネは『愛の告白』なんですよ」 何故か一瞬言いよどむ素振りを見せたが、結局はにこやかに店員は笑って送り出してくれた。 けれど、心はワケの解らぬ期待と不安に満ちたまま。 見上げた空には月がなく、何処か陰鬱な気にさせられた。 昨日と同じく桜の幹に背を預け、同じ量の酒を呑む。 ビールは全て空となり、一升瓶も早くも底をつきそうだ。 昨日よりかはマシだが、ほろ酔いなのは確か。 頭は酷く冷静のようでいて、現実味を帯びていないのも確か。 何が本当で、何が嘘かが解らないまま、酒を煽る手が止まらない。 止めてしまえば、ヒバリに会える可能性が消えてなくなりそうで怖いのだ。 弱くなったものだと思う。 こんなことで恐怖を感じるなんて。 それでも、こんなことだから恐怖を感じるのだと知っている。 「なぁ、ヒバリ」 俺は弱くなったよ、と現れたヒバリに声をかけた。 二度は行かないと言ったのは、10年前のヒバリ。 だから、きっと目の前にいるのは俺の都合にいいヒバリの幻でしかない。 それでも嬉しいと思うのか、哀しいと思うのか、もう感覚は麻痺したまま。 「しつこいね、君も」   そうだな、自分でも思うよ。 「まだ、何か言いたいの?」 あるけど、それが解らない。 何も答えない俺に焦れたのか、苛立たしげに昨日と同じ薬を放った。 「飲んで。  じゃないと、今すぐ消えるよ」 そんなことを言われたら、 また飲むしかないから、戸惑いもせずに酒で飲み下す。 「好きだ」 ふたつの花束を放りながら、同じ言葉を繰り返した。 ヒバリはそれを受け止め、俯き加減にじっと見ていて表情がよく見えない。 「ヒバリ」 名前を読んでも、顔を上げてくれない。 ただ、静寂だけがそこにあった。 「僕の――」 珍しく、目を見て言葉を発しないヒバリ。 視線は、変わらず花束にある。 それでも、俺は言葉を待った。 ゆっくりと上げられる顔には、 やはり何の表情もなく、昨夜のようだと既見感を覚えた。 「僕の幸せに君はいない」 何の迷いもなく告げられた言葉に、呼吸すら忘れる。 軋むような痛みを告げてくる心臓に構うことなく、ヒバリを見つめる。 言葉を失い、食い入るように見る俺に、これが最後だと、同じ言葉を繰り返す。 「僕の幸せに、君はいない」 それだけ言って、背を向ける。   何か言いたいのに、言葉が出ない。 追いたいのに、指一本動かせない。 ただ、その背中を見ているだけしかできなかった。 どこで意識を失ったのか、目が覚めれば朝だった。 相変わらず、周りには空き缶が転がり、 ヒバリがいたという痕跡は一切ないくせに、花束が消えている。 幻なのか現実なのか解らない。 思うことは、ただひとつ。 牡丹灯篭の話のように、死んでいてもいいから毎夜現れて欲しいということ。 取り殺されもいいとさえ思う、愚かな願望。 その願望、ただひとつ。
08.02.08〜 Back   Next →