「どうしてここにいるの?」

記憶より少しだけ幼さが消えたように見えるヒバリが、何の表情も浮かべずに訊いてきた。





牡丹

「約束を果たしに」 いっそ笑えるほど真剣に言えば、ヒバリは眉間に皺を寄せた。 なんて、想像通りの反応。 あぁ、違うか。 自分が作り出した幻だから、同じ反応をするだけか。 見慣れた黒いスーツに黒いネクタイではなく、 落ち着いた濃いグレーにシルバーのラインが入ったブルーのネクタイ。 同じ世界に生きることに何も思ってなかったつもりだけど、 本当は殺しなんてない世界に生きて欲しかったのかもしれない。 だから、こんな格好のヒバリの幻を見てしまうのだろうか。 でも、それでもいい。 今更どうしたって、死んだヒバリは生き返らない。 ただ、夢でも幻でも何でも、 束の間だけだとしても、会えることなら会いたかった。 顔が見たかった。 話がしたかった。 ヒバリに、傍にいてほしかった。 「…僕は、もういないよ」 「知ってる。  でも、今、目の前にいる」 それが嬉しくて笑えば、何処か苦しそうに唇を噛み締めながら何かを放ってくる。 受け止めれば、赤と白の色をしたカプセル。 幻のくせに、なんて現実的な…。 「飲んで」 「え、何で?」 一体、これはどういう状況だ? ワケも解らず戸惑っていると、 飲まなきゃ今すぐ消える、なんて言われるからすぐに飲んだ。 アルコールと未知の薬らしきモノを一緒に飲むことに不安を覚えたが、 結局は夢幻でしかないのだから何の変化もないだろう。 案の定、薬を飲んだところで目の前のヒバリは消えていない。 それなら、薬なんてどうでもいい。 訊きたいことがある。 約束を果たしたのだから、訊きたいことがある。 だから―― 「好きだ」 あの日からちょうど10年目の今日、 あの時と同じ場所で、同じ言葉を告げた。 ここまできて言われる言葉なんて解ってるだろうに、ヒバリは息を呑む。 そして、苦しそうに顔を歪めた。 そんな顔をさせているのが、 自分の言葉であり、感情であるということが酷く辛いけれど訊きたい。 例え本物のヒバリではなく、俺が勝手に作り上げたヒバリでしかなかったとしても。 「なぁ、信じてくれた?」 「…それ、何?」 答えてはくれないヒバリ。 代わりに、傍に置いてあったモノに視線を向けている。 その顔は変わらず苦しげなままで、 まるで答えを言うことを少しでも先延ばしにしているように見えた。 答えを訊きたいと心底思っているくせに、本当は訊きたくないとでも思っているのだろうか。 自分勝手に作り上げた幻なんだから、俺に都合のいいままでいてくれればいいのに。 でも、そんなヒバリは本当のヒバリには程遠い。 「ヒバリに」 やるせなさを誤魔化すように小さく息を吐き出して、ヒバリが見ていたモノを放り投げた。 バサリと音を立てながら、それはヒバリの腕の中に納まる。 鮮血に似た赤い薔薇の抱えるほどの花束と、ブーケと言ってもいいくらいの小さな赤い花の花束。 ヒバリの葬列のときに見た、名も知らぬあの赤い花。 自分でも自分のようだと思い、ビアンキも俺のようだと言った赤い花。 薔薇を買った花屋の隅で、 相変わらず頼りなげに揺られていた花を買ったのには、理由なんてなかった。 「…薔薇とアネモネ」 「アネモネ?」 名も知らぬあの赤い花の名前だろうか。 「知らないで買ったの?」 一輪だけ花束から抜き出し、月に翳す。 白銀の月と透き通るような白さのヒバリの手と揺れる赤い花は、 何処までもヒバリを非現実的にさせるから、余計に幻と話していると痛いほどに感じさせる。 「俺みたいだろ?」 「…誰かがそう言ったの?」 「ん?ビアンキがな。  でも、自分でもそう思ったよ」 ヒバリを失って、ただ流されるままに生きている自分と似ている。 「……へぇ」 「嫌いだったか?」 「……別に」 ヒバリは考えるように、じっとアネモネだと言った花を見ている。 「なぁ、答えは?」 ゆっくりと、花から視線が俺へと移される。 そこにはもう、苦しげな表情どころか、一切の表情が消えていた。 だから、余計に怖くなる。 それでも、訊かなければいけない。 前に、進めない。 そう思う反面、 進みたくはないと思う気持ちを隠しながら、もう一度訊いた。 「信じてくれたか?」 「君は――」 静かな声が、静寂の中に凛と響き渡る。 続く言葉を思うと、心臓が痛みを告げる。 それでも、訊きたくもあり訊きたくもない10年越しの言葉を待つ。  「君は、何がしたかったの?」 予想外にもほどがある。 そんな言葉は、想像さえしなかった。 「ヒバリ?」 「10年の間、たかがそんなことが知りたかったの?  もう僕はいないのに?  それを君は解っているのに?  そんな僕の言葉を信じるの?  信じたところで、今更知ってどうするの?」 矢継早に話される言葉は、ただ痛かった。 どれもが本当のこと。 ヒバリはいない。 目の前にいるのは、俺が作り上げただけの幻のヒバリ。 そんなヒバリが何かを言ったところで、約束をしたあのヒバリの言葉じゃない。 答えじゃない。 そんなことは、解っている。 解っているけど、でも、ヒバリ。 俺は、それでも――… 何かを言おうとしたのに、くらりと視界が揺れる。 意識があやふやに落ちて行く。 霞んでいく視界の中で最後に捉えたのは、腕時計にちらりと視線を走らせるヒバリの姿。 幻のくせに、 変にリアリティを感じさせるその姿に違和感を覚えながら、完全に意識を手放した。
08.02.08〜 Back   Next →