黒ばかりの葬列から視線を逸らせば、視界に入ったのは赤。 見慣れた血の赤ほど強烈ではない赤が、道端に静かに揺れていた。 名も知らぬ花だった。 ゆらゆらと風に流されるままのその様は頼りなげで、まるで自分のようだと思った。牡丹灯篭
あれから6年も経ったというのに、いつだって白い大理石の墓石は変わらずキレイなまま。 そこに刻まれているのは、ヒバリの名前。 来るたびに、同じことを思う。 享年18歳、って何だよ。 美人薄命とでも言いたいのかよ。 …美人だったけどな、そんなガラじゃねぇだろ? 問いかけたところで、ここには何もない。 爆破に巻き込まれたヒバリは、骨ひとつ残さず逝った。 それなのに、馬鹿みたいにここに来てしまう。 ――ヒバリ。 約束を果たしに行くよ。 呟いた声は、風に消えた。 窓の外は時折雲が見えるだけで、あとは青が広がるばかり。 数時間もすれば、10年ぶりの日本。 こっちの世界に入って、 一度も日本に帰らなかったのは、いつでも帰られると思っていたから。 けれど、一度として帰ることはなかった。 そのことに意味なんてないと思っていたけれど、隣の席を見て苦笑する。 ひとつ空いた席は、搭乗客はいないまま。 単なる空席ではなく、ヒバリのためにと取った席。 ヒバリがここに座ることができないと解っているのに。 今にして思えば、帰らなかった理由は簡単。 ヒバリが傍にいる時はそれだけでよくて、 ヒバリがいなくなってからは、日本に帰るのが怖かった。 突きつけられる現実が、怖かった。 現実の癖に現実離れしているこちらと、 平和すぎた現実しか知らなかったあちらでは、突きつけられる現実の重みが違った。 ヒバリの死が、現実でしかないと突きつけられるようで、怖かった。 死んだということは、解っている。 それなのに、何年経ってもヒバリの死を真実理解しているとは言えない。 ビアンキは、一年だった。 今でもはっきりと、理解しなさい、と言ったビアンキを覚えている。 「来てたのか」 ビアンキとヒバリ。 この組み合わせが意外だと感じずにはいられないが、 それでもここで会うのはビアンキだけだった。 一度、理由を訊いたことがある。 生前、それほど仲が良かったワケでもないのにどうして、と。 それに対して表情を変えるでもなく、好きだったから、とビアンキは答えた。 気高き獣みたいで、とどこか懐かしそうに笑いながら、 似合うでしょ、と手に持っていた白い薔薇の花束を同じ色をした墓石に置いた。 色違いだな、と俺は笑った。 俺の手には、赤い薔薇の花束。 ヒバリが好きだった鮮血に似た赤い薔薇。 「これが最後。 もう来ないわ。 だって、ここに彼はいないもの」 1年経って、自分の中で昇華したからもう来ないと言う。 もともと、マフィアと言う世界で生まれ育ったビアンキ。 ここまで誰かの死を引きずることはなかったのに、ヒバリの死には1年がかかった。 「あなたも、いい加減に理解しなさい」 彼の死を、と続けるけれど、苦笑を浮かべるしかない。 そう割り切れるものじゃない。 それに―― 「約束があるんだ」 だから、まだ忘れられない。 忘れることなんてできやしない。 強くその想いを込めて視線を合わせれば、小さく溜息を吐かれた。 「…帰るわ」 ゆっくりと、ビアンキが近づいてくる。 俺なんか見ずに、ずっと前を見て。 そんなビアンキを、動くでもなく見ていた。 擦れ違って、ゆっくりと息を吐き出して、 やっと自分が知らぬうちに緊張していたことを知る。 改めて息を吸って足を踏み出そうとした瞬間、背後から声が聴こえた。 「…ようね」 言われた意味が解らず振り返れば、ビアンキは俺ではなく道端に揺れる花を見ていた。 いつか見た、あの赤い花。 ゆらゆらと風に流されるままの、名も知らぬ花。 「まるで」 声につられビアンキを見れば、酷く辛そうな顔をしていた。 「まるで、あなたのようね」 言うだけ言って、ビアンキはもう立ち止まることなく去っていった。 その後姿を、馬鹿みたいに立ち尽くして見ていた。 目を閉じれば、関連性もなく思い出される過去。 10年――10年だ、ヒバリ。 忘れたなんて言わせない。 もう存在していないとしても、そんな言葉は言わせない。 「好きだ」 何度も何度も言っていたのは、中学の頃。 信じない、と一笑に付していたヒバリが、一度だけ折れたことがある。 一年前と違い、 気分を害することなく桜を見られるのが嬉しかったせいかもしれない。 桜を見上げる目が柔らかく、口元には小さな微笑さえ浮かんでいた。 「10年後の今日、ここで同じ言葉を言ったら信じてあげるよ」 ニヤリと笑うその顔に目を奪われて、それから、笑った。 いつもと違う展開。 それでも、嬉しさが勝る。 だって、そうだろ。 ヒバリは嘘を吐かない。 そんなヒバリからの約束。 今以上に10年後のヒバリの気持ちは解らないけれど、 絶対にこの約束を覚えているであろうヒバリは、10年後の今日ここに来てくれる。 どんな人生を歩んで行くのか互いに知らないけれど、 それでもヒバリと会えることが確定された日がある。 10年間、 例え離れようと、ヒバリはこの約束がある限り、絶対に俺のことを忘れない。 「絶対だな?」 「信じるだけだよ。それに…」 それに、と続く言葉は言わせなかった。 君は来ない、と続く言葉なんて、聴きたくなかった。 だから、誤魔化すように続けた。 「10年後が平日かどうか解らないからな。 0時から5時まで。 それから学校が閉鎖された20時から24時まで」 な、と笑えば、嫌そうに眉間に皺が寄せられる。 「…君、2回も会おうとする気?」 「おう、約束な」 会えるのなら、ずっと会っていたいけれど、 できないのならせめて会える回数を増やして欲しい。 「…君とは違って暇じゃないから、気が向いたどっちかだけだよ」 「そっか」 それでも、別にいい。 来てくれるということが前提に話されていることが嬉しかった。 あの日から3年間ずっと傍にいたけれど、約束の話は一度たりとも出てこなかった。 話すと、意味がなくなるから。 10年間ずっと話題に上げないという条件下で、覚えておかなきゃ意味がない。 そんな、約束だった。
08.02.08〜 『Anemone』→『牡丹灯篭』 改題 ← Back Next →