群れを避けて歩いていたら、誰もいない所に辿り着いた。 今にも崩れそうな廃墟と化したビルの屋上に、勝手に上がる。 ア イ ラ イ ロ 時間は、夕暮れ。 赤みがかった空と藍色の夜が混じる。 キラリと一番星が光った。 目を閉じ、先ほどのことを思い出す。 半年ぶりに見るディーノは、記憶と少し変わっていた。 髪をきちんと撫でつけ、ラフな格好ではなく上質なスーツを着ていた。 似合わない。 …嘘、似合っていた。 僕が、知らないディーノ。 マフィアのボスのディーノ。 …誰かのモノになってしまったディーノ。 他の誰かを好きになればいい、と、 自分で言っていたくせに、それが納得できないでいる。 どこか儚さを思わせる女は、どこかのファミリーのボスの娘。 半年前、僕が知ったディーノのお見合い相手。 ディーノが僕を好きだと言うことを、彼の部下たちも知っていた。 それもそうだ。 僕に会うためにただでさえ忙しい身のくせに、 必死に時間を作って日本に来て、 それでも出る不満を解消するようにと、日本でも取引をするようになった。 それは功を奏し、フロント企業の経営は潤う一方だったらしいけれど、 ディーノは疲れる一方で、ボスを敬愛する部下たちにいっそう僕は嫌われていた。 古参の部下の数人だけが、 ディーノを甘やかすように好きなようにさせているのが不思議で、一度だけ訊いたことがある。 「どうして、あの人を甘やかすの? 碌なことにならないよ?」 疲れきったまま日本に来て、 商談をこなし僕に会って構い倒し、 ソファで爆睡しているディーノを見ながら訊いた。 「お前以外のことは、甘やかしてねぇからな」 そう言って、ロマーリオが苦笑する。 「嘘。 あなた、すべてにおいてあの人に甘いと思うよ」 いつだって、 仕方ない、と笑ってディーノを甘やかすのはこの人だ。 じっと見上げて、 更に視線で問い詰めると、降参、とでも言うように軽く両手を上げられた。 そのふざけた態度を睨むと、 自分の子供でも見るような目でディーノを見ながらポツリと言った。 「無理ばかり、させてきたからな」 やけに静かで、重く響いた。 「ボスになんてなりたくねぇ、って泣いてたんだ。 いっそ潰しちまったほうが良かったのかもしれねぇ、って時々思うよ。 でも、俺たちがいる限り、ボスはボスでいようとする。 何もかも諦めて、ファミリーのことだけを考えて、自分のことなんて全部後回し」 マフィアのボスのくせに、お前は聖人君子か、ってんだよな、と、 小さく笑うけれど、後悔が垣間見える。 「…後悔してるの?」 問えば、いいや、と首を振られた。 「あぁ、違うな。 もう後ろは振り返らないことにしてる」 ともすれば、怖いから、とでも続きそうだった。 「前だけ見て、 できうる限り、ボスの好きなようにさせてやりたいと思う。 俺たちがいる限り、ボスはボスでしかねぇ。 俺たちもボスの幸せを願いながらも、ボスがボスであることを望んでしまう。 でも、ボスはボスであろうとしながらも、お前を望んでいるだろ? だから、できる限りは好きにさせてやりたい」 そう言うロマーリオは、やっぱり息子を見るような目だった。 僕が誰にも向けられたことのないような、温かな目だった。 ボスはボスであろうとする。 僕を望みながら。 ロマーリオのその言葉は、矛盾を孕んだ言葉だった。 キャバッローネのボスの証は、直系にのみ現れる。 そんな特殊な世襲制のファミリーのボスが、男の僕を望んだところで未来なんてない。 「その気がないなら、ボスを諦めさせてくれ」 そう言ったのは、 古参ではないけれど、ディーノの来日の度に見かけていた部下の男。 その気がないなら、と言いながらも、 あったところで、諦めさせてくれ、が、諦めてくれ、に変わるだけだと知っていた。 何も言わない僕に、男は勝手に話を続ける。 「ボスに見合いの話が来てる。 昔から懇意にしてもらってるファミリーのボスの娘だ」 そう言って、何故か見せられたのは儚げな女の写真。 マフィアのボスの娘には見えないけれど、所謂箱入り娘というモノだろうか。 興味深げに写真を見る僕に、 だから、と男は言いにくそうに続けようとしたけれど、それを遮った。 「だから、子供も産めない男に用はない、って?」 それ以前の問題として、僕とディーノとの間には何もない。 ただディーノが、僕を勝手に好きだと言うだけの関係でしかない。 部下の男は一瞬言葉に詰まりながらも、そうだ、と言った。 「キャバッローネがすべてなんだ」 ポツリと言った言葉は、酷く弱々しく聴こえた。 弱い人間になんて、興味がない。 あぁ、そうだ。 群れは嫌い。 そして、ディーノはその群れの頂点に立つ。 最初から、切り捨てておけばよかったのだ。 強いからとか関係なく、 付き纏うことを了承せず、ただ戦うだけの関係でいればよかったのだ。
09.11.25 ← Back Next →