『好きだ』 そんな言葉を、10年近くも言い続けた。 オオカミ少年 別に、嘘だったワケじゃない。 恋愛感情ではなかったけれど、好きだとは思っていたから。 言ってみれば、懐かない猫を構う気持ち。 近づき過ぎないように距離を置いて、 それでも傍を離れないで、 いつになればこの手から餌を食うか、 この手に落ちるかと、それを楽しんでいた。 それだけだったはずなのに、いつからこの感情は変わった? 「ヒバリは?」 幹部会に、ヒバリがいないのはいつものこと。 それを許される働きを、成果を、ヒバリは上げている。 それでも、つい訊いてしまう。 「いつものことだろ」 眉間に皺を寄せて、獄寺が嫌そうに答える。 その横で、困ったようにツナが笑う。 「…ヒバリさん、今日は来ないよ。 機嫌よくなかったし」 「10代目が、そんな顔する必要ないんですよ。 機嫌悪いのなんて、いつものことなんですし」 10年経ってもツナ至上主義の獄寺は、必死でツナのせいじゃないと言う。 「いつもとは、ちょっと違うよ。 ターゲットを横取りされちゃったみたいなんだよ」 「嬲殺しにするヒバリに殺されるくらいなら、 さっさと違うヤツに殺ってもらうほうがいいですって」 マフィアのボスとなった今でも、ツナは相変わらず。 そして、やはり獄寺も相変わらず。 「お前、何笑ってんだよ」 「別にー」 ただ、相変わらずのお前らが羨ましかったんだよ。 「早く帰れ」 邪魔だ、とでも言いたげに、獄寺が吠えた。 外に出れば、重い雲が広がっていた。 もうすぐ、外は雨。 暗い闇の中、 明かりを求めて裏通りをうろつけば、馴染みの女が何人か声をかけてくる。 安っぽさと煌びやかさが混じった裏路地に、 何処か安心を覚えるようになったのはいつからか。 気が付けば、すっかり裏社会の住人。 プロ野球選手の夢は、何処に消えた? 明るい未来は、何処に消えた? 考えたところで、後悔なんざしてねぇけどな。 それでも少し懐かしいと思うのは、 このやっかいな感情が存在する前のがよかったからか。 考えるのは、性に合わない。 目が合った娼婦のモネちゃんに笑いかければ、 ニッコリと笑い返してくれて、細い腕を巻きつけてきた。 このままホテルでもよかったけれど、飲みたくて近くのバーへと足を向けた。 安っぽいバーは、 店同様に安っぽいドアで、開けると耳障りな音を立てた。 思わず眉間に皺を寄せれば、強い視線。 その先に、やっかいな感情を抱かせてくれる相手。 考えたくない相手は、 普段より機嫌が悪そうだというのに、 更に機嫌を悪くしたように背を向けた。 あー、何だろうな。 そんな仕草さえも可愛いと思ってしまうほどに、俺は落ちてんだろうか。 「ヒバリ」 声をかけたところで、返事はない。 そんなモノを期待したこともないから、気にしない。 「ひとりで飲んで美味いか?」 覗き込めば、これ以上にないというくらいに眉間に皺を寄せられる。 そして、無視は続行されたまま。 懐かない猫は、10年経とうと懐いてはくれない。 それでも、傍に寄っても警戒されることはなくなった。 会うたびに、距離感を考える。 何処までが、許される? 何処までを、お前は許す? それが、楽しくて仕方ない。 「やっぱ、ヒバリはいいな。 そういうとこ好きだわ」 「好きなのは、手軽な女なんじゃない? さっさと行けば。 入り口に女を放っておいたら、他の男に取られるよ」 最悪まで落ちていると思った機嫌は、 まだまだ下があったようで、どん底まで落ちきった機嫌の悪さを見せ付けられる。 しかも、内容が内容。 何かあったっけ? ヒバリの視線を追い、 後ろを振り返れば、存在を忘れていたモネちゃんが。 傍目から見ても、モネちゃんは可愛い。 男の視線を、今も集めている。 けれどそんな視線を気づかぬふりで、俺たちを見てにっこりと笑っている。 そんなモネちゃんは、やっぱり可愛いけれど。 「あー、別にどうでもいい。 モネちゃんは可愛いけど、ヒバリのがもっと可愛いからな。 こっちのが放っておけねぇよ」 モネちゃんは、男の視線を自然に集める。 金の巻き毛も、あどけない顔も、可愛いから。 そしてヒバリは、男女問わず人を惹きつける。 何処か不自然なバランスの悪さが生み出す、危うさで。 それに魅入ってはいけないと、 本能が止めるから、あからさまな視線は受けないし、 受けたところで、殺気以外には気にも留めないヒバリは気づかない。 だから、ヒバリのが放っておけない。 「死ねば?」 真実を告げれば、ヒバリの機嫌は更に落ちた。 一体、コイツの機嫌は何処まで落ちるのか。 機嫌よりヒバリ自身が、俺に落ちてくれればいい。 10年って、決して短くはないんだぜ? 何だか知らねぇが、笑みが漏れた。 それは、諦めに似ていたかもしれない。 「何度、お前に好きだと言えばいい?」 言った瞬間、ヒバリが酒をぶっかけてきた。 後ろでモネちゃんが、小さく悲鳴を上げたけれど関係ない。 髪からポタポタと落ちる水滴が、白いシャツを琥珀に染めるのも関係ない。 「…答えになってねぇよ」 酒をぶっかけるのが、答えなんて許さない。 逃げるなんてことをしないお前が、言葉ひとつ返さないなんて許さない。 諦めに似た笑みは消え、挑戦的に笑ってやった。 10年間を思い知れ。 絶対に、逃がさねぇ。 モネちゃんが懸命に酒を拭ってくれるのを無視して、ヒバリを見つめた。 もう、笑ってなんかいられない。 例えそれが、 諦めに似ていようが、 挑戦的にだろうが、もう笑ってる暇はねぇ。 覚悟は、決めた。 ヒバリは結局、 何も言い返さぬまま、どう考えても有り余る札束をカウンターに置いて席を立った。 いつもみたくピンと伸びた背中はなく、酒によっているワケでもなくふらりとした足取り。 物言わぬその背中に、決めたばかりの覚悟が揺らいだ。 どうせなら、完全なる拒絶をしろ、と言いたかった。 「あー、大丈夫だから」 モネちゃんが、心配そうに見上げてくる。 大きな目は、ヒバリと違うと無駄に思い知らされた。 「なぁ、オオカミ少年って知ってる?」 モネちゃんは、可愛らしく首を横に振った。 小さい時から娼婦をしていたというモネちゃんは、学がないと言う。 未だ、禄に字の読み書きができないと笑ったモネちゃんは可愛かったけれど。 「羊飼いの少年が、オオカミが来たって毎度毎度言うワケ。 で、慌てふためく大人を見てからかって喜んでんだ。 んで、ある日、本当にオオカミが来たんだけど、 少年の話をまたいつもの嘘だと思って誰も信じねぇで、少年は自分の羊を食べられた。 って、あれ? 少年が食べられたんだっけ? …まー、人は嘘を吐き続けると、 真実を言っても信じてもらえなくなる、っつーことだな」 それが?、とモネちゃんは長い睫毛をパチパチとさせた。 「ん、まぁ、そんな気分っつーこと」 漏れるのは、苦笑。 それをモネちゃんは、不思議そうに見ていた。 「悪ィ、モネちゃん。 今度、また遊んで?」 言外に、帰って、と言っても、 モネちゃんは、またね、と柔らかく笑って左頬にキスをくれた。 いい女だと思う。 それなのに、頭を占めるのはヒバリのことばかり。 バーテンにヒバリと同じモノを頼んだら、 あまりにも酷い安酒の不味さに笑ってしまった。 高価なモノが好き、と言うワケではないが、 それでも、気に入らないモノは死んでも口にしたくない、という言うヒバリなのに。 それほどまでに、 仕事を横取りされたのが気に入らなかったのか。 そんなことを想いながら杯を重ねても、 違ったら――俺のことだったらいいのに、と思ってしまう愚かさ加減。 なぁ、ヒバリ。 嘘じゃなかったんだぜ、本当に。 懐かない猫を、懐かそうと試みる楽しさ。 警戒を少しずつ解いて行くお前を見て、嬉しかった。 それでも最後の一線は画して、触れさせないその高潔さが好きだった。 ヒバリは怒るだろうけど、 ある意味、親心に近かったそれは、いつしか変っていた。 それでも言葉にすれば、 どちらも同じ、好き、でしか有り得なく。 気が付けば、オオカミ少年と化していた。 何度、好きだと言えばいい、だって? バカか、俺は。 言い過ぎて、信じてもらえてないんだろうが。 それでも、言い続けないとヒバリは信じない。 10年近くずっと言い続けていようが、止めれば嘘だったとヒバリは思うだろうから。 あぁ、本当に。 オオカミ少年って、最後どうなったんだっけ? 単に、羊を失っただけか? それとも、オオカミに喰われたんだっけか? チクショウ、どっちにしても碌な最後じゃねぇな。 浮かぶのは苦笑と悔しさで、 どう足掻けば、脱却できるのか解らぬまま。 流し込んだ安酒は何処までも不味いだけで、答えなど教えてくれなかった。
06.06.01 ← Back Side.H →