『好きだ』

そんな言葉を、男は10年近くも吐き続けた。





オオカミ少年





ファミリー行き着けではなく、ふらりと入った薄暗い半地下のバー。
カウンターに座って、バーボンを頼む。

味は最低でもよかった。
酔えさえすれば、よかった。

それなのに、一向に酔いは来ない。


ギィっと耳障りな音を立て、背後で扉が開く音がした。
何気なく振り返れば、最も会いたくのない男。

こちらに気づいた男が驚いたように目を見開くのが見えたが、
一瞥しただけで視線を戻す。

再び口をつけた酒が、酷く不味く感じた。





「ヒバリ」

男が嬉しそうに、声をかけてくる。
それを聞こえないふりで、もう一杯同じモノを頼んだ。

「ひとりで飲んで美味いか?」

カウンターに手を置き、覗き込んで男が笑う。

味なんかどうでもいいんだよ。
ただ、酔えれば。

けれど、そんなことを男に言う気もなく無視を続行。

普通なら、気を悪くする行為。
それなのに、男は楽しそうに笑うだけ。



「やっぱ、ヒバリはいいな。
 そういうとこ好きだわ」

クスクスと楽しそうに男は笑う。
反して、僕の機嫌は下降の一途を辿る。

「好きなのは、手軽な女なんじゃない?
 さっさと行けば。
 入り口に女を放っておいたら、他の男に取られるよ」

振り返り、男が連れてきていた女を見やる。

金色の巻き毛。
抜群のプロポーションを見せ付ける服を着ているのに、
何処かあどけなさの残る顔。

恐らく、娼婦。

だから、僕らの日本語での会話が解らない。
にっこりと笑ったまま、僕たちを見ている。




この前連れていた女とは、正反対。

前の女は、同盟ファミリーの幹部の秘書。
キリっと纏めた黒髪。
理知的なグレーのスーツ。

そして、それに見合った頭脳を持つ女。

だから、今と似たような会話を男が僕にした時、女の顔が強張った。
けれど何事もないように、軽く引きつっていたとは言え笑みを浮かべていた。


男にとっては、どれも遊び。
けれど、女にとっては本気。




「あー、別にどうでもいい。
 モネちゃんは可愛いけど、ヒバリのがもっと可愛いからな。
 こっちのが放っておけねぇよ」

「死ねば?」

下降の一途を辿っていた機嫌は、地の果てまで落ちた。
酷く冷たい声で返しても、男は笑うだけ。

そして、一瞬だけ真剣な目をする。

「何度、お前に好きだと言えばいい?」

反射的に、持っていたグラスの酒を男にかけた。
後ろで女が小さく悲鳴を上げた。
男の髪からポタポタと水滴が落ち、白いシャツが琥珀に染まる。
 
「…答えになってねぇよ」

口の端を上げて、男が言った。



駆けつける女。
ハンカチを取り出し、男にかかった酒を拭う。

その手を男は無視して、ずっと僕を見ていた。
もう笑ってはいない。

僕は立ち上がり、
どう考えても有り余る札束をカウンターに置いて席を立った。

男は何も言わなかった。
ただ、睨むほどの強い視線で僕を見ていた。






外は、雨。
霧雨が静かに、確実に僕を濡らす。

闇の中、滲む視界。
その中で、厚い雲の陰間からぼんやりと浮かぶ月が見えた。

浮かぶのは、乾いた笑み。

捉えどころのないのに確実に僕に触れてくる雨も、
そんな雨の中でも存在を訴えかけてくる月も、男を連想させた。




何度言えばいい、だって?
そんなの、僕だって知らない。

逆に、僕も訊きたい。
あと何度、そんな戯言を言い続けるのか、と。

10年近く聞き続けた戯言。
それが真実なのか、ただのからかいの言葉なのかもう解らなくなった。

何を信じればいい?
僕は、何を信じたい?






06.05.27 Back   Side.Y →