野球は、高校で辞めた。
プロからの誘いもあったけれど、野球を仕事にしたくなくて断った。

夏の大会後やることがなくなって、
代わりに勉強に励んでいたら、何の間違いか日本最高峰と言われる大学に受かってしまった。





Blue sky.

甲子園連続優勝で騒がれていたせいか、 どうにも顔が知れ渡っているようで、キャンバス内の何処を歩いても視線を感じる。 いい大人なんだから放っておいてくれればいいのに、と思うけれど、 入学から数日経っても、付きまとう視線は離れない。 いい加減、 嫌気が差して、図書館の奥に逃げ込んだ。 光も禄に差さないような奥の座席は、穴場のようで人影は少ない。 ここなら大丈夫だろう、と座り込み、 ぼんやりと顔を巡らせば、懐かしい顔があった。 「ヒバリ?」 ヒバリとは、高校は別だったから何年も会ってない。 記憶より大人びた顔になってはいるが、絶対にヒバリだ。 思わず近寄って声をかければ、胡散臭いものでも見るような視線を向けられる。 なんつーか…。 「変わってねぇのな」 その孤高の人っぽいところも、 腕っ節はあるくせに、華奢なところも。 「よく、入れたね」 そんな感想を述べて、視線を本に戻された。 もっと話たいのに、 ここではどうにも無理で、仕方ないから無理矢理腕を掴んで近くの店まで連れ込んだ。 抵抗されるかと思ったけれど、 ヒバリは呆れているのか、大人しくついてきた。 こんなところは、大人になったと言えるのかもしれない。 大人しく珈琲を飲むヒバリを、じっと見る。 4年ぶりの再会。 顔には面影があるものの、雰囲気がどことなく違う気がする。 一本筋が通ったような凛とした雰囲気が変わらずあるにはあるのだけれど、 それがどこか不安定に揺れているように思えなくもない。 何かあったのか。 単に、時の流れのせいか。 「何?」 言葉もなく、 じっと観察していたのが気に入らなかったようで、嫌そうに訊かれてしまった。 「いや、なんか変わってないようで変わったなぁと」 曖昧な言葉を、思わず返してしまう。 咄嗟に、殴られる、と思ったのに、ヒバリは殴ってこなかった。 「…殴んねぇの?」 曖昧な言葉を吐くな、と、 昔、散々トンファーで殴っていたくせに。 「…面倒だからね」 そう言って、奇妙に口元を歪める。 こんな笑い方、昔しなかったよな、なんて、 また勝手に以前との違いをぼんやりと思ってしまう。 「面倒って、酷ぇな」 「そう?」 すべてが面倒でしかないよ、と、 さもどうでもよさそうにヒバリは言い残し席を立った。   なんとなく、ヒバリの横を並んで歩く。 ヒバリは俺の存在なんて本当にないように扱って、 そのままヒバリの家らしきマンションまで到着してしまった。 「…何処まで着いてくるの?」 オートロックを解除する前になって、漸く問われる。 けれど、そんなこと訊かれても、自分でも答えは解らない。 「さぁ?」 苦笑すると、もうどうでもいいと思ったのか、 解除しようとボタンにタッチするために腕が伸びる。 その手を、思わず掴んだ。 ヒバリは驚くでもなく淡々と、何、と訊いた。 「何、じゃねぇよ。  何だよ、これ」 腕にグッサリと縦に入る傷。 ヒバリと傷、それだけでも有り得ないのに、 この傷の場所も付き方も有り得なにもほどがある。 それに縫い目が見えるままなのに、包帯ひとつしていない。 「ヒバリ」 答えないヒバリに、強く名を呼んだ。 「あぁ、血が見たくて」 「…何を?」 「人間の」 何でもないことのように答えられた言葉は、何度反芻したところで理解できない。 「痛いだろ?」 結局、言葉になったのはそんなモノで、 ヒバリはどうだったかを思い出すようにか首を傾げた。 「さぁ?  痛みよりも、興味の方が強いから」 「…俺が痛いよ」 何に対する興味か、と訊いても、 結局は理解できなさそうで、違う言葉をやるせなく呟いた。 「何?」 「いや、何でもない。  なぁ、自分を傷付けるのは止めねぇ?」 「血が見れないよ」 何を馬鹿なことを言っている、とでも言いたげな視線。 「何で、血が見たいんだ?」 「生きてるって解るから」 「…死にたい、とか?」 「僕を草食動物以下にしないでくれる?」 鼻で笑われたことに、安堵する。 「…死にたいワケじゃねぇんだよな?」 「当たり前だろ」 だったら―― 「止めろよ」 「君に指図される覚えはない」 そうかも知れないけれど。 「俺を殴っていいから。  傷付けていいから」 だから、止めてくれ。 「理由がない」 「俺がそうしたいから」 「…変態?」 軽蔑眼差しが痛い。 「違うよ。  ヒバリが傷つくよりかいいって思っただけ」 「…っ」 言った瞬間、何の躊躇もなく頬を殴られた。 口に広がる鉄錆の味。 「考え、改めた?」 「まさか。  蹴っても刺してもいいぜ?」 血を吐き出して、これ以上ないくらいの笑顔を浮かべてやった。 「…今日はもういい」 どう足掻いても考えを改めないと解ったのか、ヒバリは引いてくれた。 しかも、今日は、と言ったってことは、次があるということ。 「…これ、渡しとく。  確かめたくなったら、連絡しろよ。  夜中でも早朝でも、すぐに行くから」 「痛めつけられに?」 携帯の番号とアドレスをメモって渡せば、酷く馬鹿にした視線で見られた。 「違う。  ヒバリの生きてるという実感のために」 「…やっぱり、変態だろ?」 疑うような視線に、苦笑する。 「だから、違うって。  まぁ、連絡しろよ」 そんな会話があった後、ヒバリとの奇妙な関係は成立した。 中学の頃、好きかもしれないと思っていた。 けれど、好き、を確定するような、 決定的な何かが起こる前に、ヒバリは卒業して行った。 それに対し、僅かに物足りなさを感じていも、 それだけだったからその後は特に何もしなかった。 だから、 出会ったことのない人種故に、興味を持っていただけかとも思っていた。 1週間経っても、連絡はなかった。 だから、勝手にヒバリんちに押しかけて、 帰ってくるまで待ってたら、思いっきり嫌そうな顔をして手首を捻り上げられた。 野球してる時だったら慌てたけれど、もうしていないから気の済むまでヒバリに手を預けた。 折られるかと思った手前で、ヒバリは漸く手首を放す。 「…馬鹿じゃないの」 呟かれた言葉に、ただ苦笑する。 そのままヒバリの手を取り、袖を引き上げる。 「怪我、増えてねぇな」 それだけが確かめたかった。 「血、出てないけど見たいなら、  殴っても蹴っても刺してもいいぜ?」 ヒバリが傷つくくらいなら、俺が傷ついたほうがいい。 「…もういい」 やりきれないようにヒバリは呟いて、マンションの中に入っていった。 ドアが閉まる前、 一度だけ振り返って、次は連絡する、と言う声が聴こえた。 その一週間後、ヒバリから電話があった。 訪れれば、 言葉もないままに思いっきり足を蹴られ、ドアが閉められた。 ドアを叩いても、 ヒバリは応えてくれなくて、ただ蹴られに行ったようなもので、 仕方なく、足を引きずりながら帰った。 それから、さらに一週間後。 またヒバリから連絡があり訪れれば、 玄関先で、懐かしのトンファーが飛んできた。 思わず避けてしまったら、目の端を切って流血した。 血が流れる俺をヒバリはじっと見た後、 トンと肩を押して、玄関から出されてしまった。 今回も、言葉は何もなかった。 「…山本、何をしてるの?」 会うたびに、何か言いたそうな顔をしていたツナ。 我慢していたようだけど、とうとう口にした。 「ん、何もしてないぜ?」 誤魔化されてはくれなくても、 このまま知らないふりをしてくれないかと思って言った。 「気にするな、って無理だよ。  どう考えてもおかしい」 言ってくれないのなら、勝手に調べる、 そんな想いの目をして、強く睨んでくる。 ツナ、と言うか、 マフィアのボスの情報収集力があれば、すぐにバレてしまうんだろう。 友達思いのツナは、友達が傷つくことを良しとしない。 原因を突き止め、排除しようとするだろう。 でも、それは望まないことなんだ。 「再会した時に、  好きだと思ってた人に会った、って言ったの覚えてるか?」 「覚えてるよ」 しっかりと、頷かれる。 「愛情表現なんだ」 「何が?」 理解できないと、その目が語る。 「相手自身を傷付けられるより、俺を傷付けるほうがいいと思わないか?」 俺にとって、それが答えでしかないけれど、 それはツナからすれば、理解できないことでしかないのだろう。 「僕に、それを言うの?」 今の僕の仕事を知っているくせに、と俯き加減に言われた。 マフィアという社会にいるツナ。 キレイゴトばかりじゃいられない世界。 人を傷付けることが、普通と比べられないくらい多い世界。 「悪ぃ。  そういう意味じゃねぇんだけど…。  無意味に他人を傷付ける相手でも、  自分自身を傷付けるヤツでもないんだけど、  生きてる人間を相手にしてると、解るんだって」 それ以上聞きたくない、とツナの目が揺れる。 宥めるように、少しだけ笑って続ける。 「生きてるって――」 反論するようにツナは口を開いたけれど、 それは言葉になって出てくることはなく、閉じられる。 言いたい言葉を飲み込んで、代わりの言葉を告げられる。 「痛くないの?」 「痛いけど、痛くない…かな」 生きてるって、思えてくれればいいのだから。 「いつか、死んでしまうよ」 まぁ、そうだろうな、とは思う。 トンファーの次は、ナイフだろうか。 でも―― 「いいよ」 その言葉に驚いて、ツナが顔を上げた。 何を言ってる、とその顔が語る。 「山本?」 「アイツが死ぬよりかいい。  なぁ、死にたいワケでもないのに、ナイフで腕を傷付けるんだ。  躊躇い傷っての?アレさえないんだ。  何でそんなことをって訊いたら、見たかったって言うんだ。  自分にも赤い血が流れてるのを。生きてるってのを。  そんなことを唐突にするくせに、本当に死にたいワケじゃないんだから笑えるよな?  でも、それこそそんなことを続けてたら、確実に死ぬ。  だから、別に俺を傷付けることで、アイツが傷つかないならいい。  俺が傷ついている間は、アイツは傷つかない」 だから、アイツは死なない、と強く笑った。 「僕には、解らないよ」 そんなのは、愛情だとは言わない、と言われた気がする。 「別に、解ってもらわなくてもいいよ。  俺の我侭でしかないんだし、勝手に俺がそうしたいと思っているだけだから」 だから、何を言っても無駄なのだ。 「中学の時、無理矢理でも連れて行けばよかったね」 マフィアごっこだと思っていたけれど、 本当にマフィアだと知ったのは卒業する時。 聞かされて驚いたけれど、 だから一緒に、とは誘われなかった。 誘う代わりに、野球頑張って、とツナは言った。 あの時、一緒に、と言われてれば、 何も考えずに一緒について行ったと思う。 でも、それはヒバリと再会すると思っていなかった過去でしかない。 「…ツナ、過去は変えられない。  あるのは、今と未来だけだ」 ヒバリと再会した。 そんな中での今と、未来だけしかない。 「その人が、他に生きる意味を見出せればいいね」 何処か祈るように告げられた。 俺の想いが変わらないと言うのならば、 相手の想いが変わればいいと、ツナは言う。 「本当は…」 言いかけて、言葉を続けるべきか、と一瞬迷ったけれど、 結局、ツナから視線を外しながら、独り言のように呟いた。 「それが一番だと思うんだけど、俺は嫌なんだ」 零れ落ちた言葉は、どうしようもない本音だった。 中学の頃、ヒバリを好きかもしれないと思っていた。 再会して奇妙な関係になっても、 相変わらず、ヒバリに対する感情を、好き、と断定できるとは思えない。 それなのに、愛情表現、とはよく言ったものだ。 殴るヒバリは、俺に愛情なんてないだろう。 けれど、俺は確かに、ヒバリに対して愛情を持っているんだろう。 そうでなきゃ、痛めつけられ損だ。 でもその愛情はやっぱり、好き、から来るモノとは断定できないまま。 けれど、自分のことよりもヒバリのことしか考えられないのだ。 好きだとか、そうでないだとか、もうどうでもいいことでしかない。 ヒバリが俺のことを、 自分自身のことよりも考えるようになって欲しいと思うだけなのだ。 それが可能ならば、 ヒバリが自身を傷付けることでしか生を感じられないままでいることも、 代わりに俺を呼んで痛めつけることも、 そのせいで、俺が命を落とすことになったとしても、別にいいのだ。 それどころか、それが望みですらあるのだ。 聴こえていただろうに、ツナは何も言わなかった。 ただ一緒になって仰ぎ見た空は、 雲ひとつなくて、目に痛いどころか胸にさえも痛かった。
08.0513〜16 Back   Side.T →