ずっと傍にいて、最期に相手の死に直面し向き合わなければいけないことと、
時間を置きながら会うことで誤魔化しながら、
相手の死を受け止めることなく自分の最期を迎えることでは、どちらが幸せだというのだろう。







Each happiness of the black dog and me.







控えめなノックの音とともに、グンマが入ってきた。
そして、思いつめた顔で告げてくる。

「シンちゃん、お父様のところに行ってあげて」

「…いきなり何言ってるんだよ。
 お前にはこれが見えねぇのかよ」

トントンと指で山積みとなった書類を指し示したところで、グンマは引かない。
変わらず思いつめた顔で俺を見つめ、また同じ言葉を告げる。

「お願いだから…行ってあげて」

ただ一心に俺を見つめ同じことを言うグンマに、
何を言っても俺の言うことを聞いてはくれないと悟った。



「…解ったよ。
 で、あの親父がどうかしたのか?
 それに、行けってアイツ何処かに行ったのか?」

「シンちゃん、知ってた?
 お父様、犬を飼ってたんだって」

グンマは質問には答えず、逆に質問をしてきた。
けれど、それに答える術を知らない。

マジックが犬を飼ってた?
いつから?

「犬?」

「そう、犬。
 その犬がね、さっき亡くなったんだって。
 お父様と一緒にお茶してたら、電話がかかってきて…。
 着替えてから行くと思うから、まだ間に合うと思う。
 だから、シンちゃん一緒に行ってあげて」

寂しいと思うんだよ、と小さくグンマが呟いた。

胸がざわめく。
書類など、もう目に入らない。
席を立ちコートに手をかけ扉へと向いながら、グンマの声を聞いた。

「あのね、たぶんシンちゃんが士官学校に入るまで住んでたあのお屋敷だと思う。
 電話から聞こえた声が、管理人のおじさんに似てたから」








早足で地下の駐車場へと向かう。
エレベーターから降り立てば、マジックはいた。
そして、車のドアを開けるティラミスの姿が。

どうして?
俺には何も言わないくせに、ティラミスは何もかも知っていた?

今考えるべきことではないのに、その言葉が時を止める。
動けない。
ただ呆然と、ふたりを視界に映し出す。

その間にマジックは車に乗り込み、ティラミスと言葉を交わし行ってしまった。
あとに残るのは、車に向かって礼をし続けるティラミス。

完全にマジックの車のエンジン音が消えて、ティラミスは顔を上げ振り返る。
そして俺と――目が、合う。

一瞬驚くようにティラミスは目を瞠ったけれど、何事もなかったかのように俺に一礼をする。
顔を上げたティラミスは、いつもと同じ感情の読めぬ表情をしていた。





「シンタロー様、書類は終わったのですか?」

冷たい声が、何事もなかったかのように問うてくる。

「…終わってない」

「今日が期日のものもあったはずですが?」

「…親父は何処に行った?」

質問には答えず、マジックの行方を訊いた。
けれどティラミスは答えず、俺を見据えるだけ。

「ティラミス、お前の上司は誰だ?」

どす黒い感情が蠢き、知らず口脅す口調になる。
それなのにティラミスは動じることなく、俺の目を見て言い放つ。

「あなたです。シンタロー様」

「だったら、教えろ。
 親父は何処に行った?」

ティラミスは数瞬俺を見つめた後、静かな笑みを乗せた。

「シンタロー様、私の上司はあなたです。
 けれど私が仕えるのは、マジック様ただひとりです。
 マジック様の命だから、あなたに仕えているだけです。
 だから口止めをされている私が、あなたに教える義務はないのですよ」

視線を逸らすことなく、ティラミスは告げる。
何処までも感情の読めぬ、深い深い色合いをした目で。
その目は吸い込まれそうになるというより、引きずり込まれそうになる感覚を与えてきた。

――怖い、と思った。
情けないことに、怖い、と。


逃げるように視線を逸らし、車へと手をかける。
行き先はグンマの行ったように、昔住んでいた家だろう。
ヘリを使わず車で出て行ったマジックを思えば、間違っていないはず。

それなら、こんな下らないことを言い合っている暇などない。
さっさとマジックを追えばいい。

車に乗り込みドアを閉めようとした瞬間、後ろから声が聴こえた。




「あなたの代わりだったんですよ」

どこか自嘲を含む声が、そう告げる。

振り向かずにさっさと行けばいいと思うのに、振り返ってしまった。
ティラミスは、薄く笑っていた。
自嘲とも苦笑とも取れる笑みで。

「何…が…?」

心臓が、ドクドクと音を立てる。
手に冷たい汗が滲む。
それを解っているのかいないのか、ティラミスはまた静かに笑う。

「犬、ですよ。犬。
 グンマさまに聴いたのでしょう?」

その言葉に安堵する自分がいた。
けれど何故安堵を覚えるのかを考えることは、怖くて放棄した。

「あなたがコタロー様の件でマジック様を避けるようになってから、拾われたのですよ。
 信じられないことに、あの方が、ですよ。
 動物好きではいらっしゃったけれど、あの人の好きは単に可愛がるだけということ。
 世話をすることは含まれていない。
 そんなあの方が、自分で選んで買ったワケでもない、たかが迷い犬を飼っていたのですよ。
 子犬でもなく、とうに成長しきった成犬を。
 ――ただ、あなたに似た黒く長い毛並みだったというだけで」

愛されてますね、とティラミスは静かに呟いた。
浮かぶ言葉も、返す言葉もなかった。
ただ呆然とティラミスを見やる。

そんな俺に、ティラミスは静かにまた笑う。

「早く行ってあげてください。
 幼少のあなたと過ごしたあの家に、マジック様はいらっしゃいます」

「…俺に教えていいのか?」

「…いいですよ。
 私はね、マジック様の望まれないことはしない。
 けれど、喜ぶことはしたいと思っていますから」

そう言って、ティラミスは静かに目を閉じた。
もう、あの怖いくらい静かな目は見えない。


言葉が、見つからない。
感謝の言葉も、謝罪の言葉も違うと思った。

何も言えず、かといって動くこともできずにいれば、ティラミスは顔を上げ笑った。
変わらず静かな笑みだったけれど、何処か諦めたような笑みで。



「早く行ってあげてください。
 書類は明日で結構ですから」

それだけ言うと、ティラミスは踵を返した。
マジックの時と違い、見送るつもりはないらしい。

向けられた背に、悪い、告げた。
それが何に対しての言葉であったか、自分でもよく解らなかった。
けれどもう振り返ることなく、車に乗り込み発進した。






04.10.21〜22 『Each happiness of the black dog and me.』 ≒黒い犬と俺の其々の幸せ。 Back   Next →