幸せな日々は、それから十数年続く。 この手が拭いきれないほど血に染まっていることも忘れ、 どれだけの罪を犯したかも忘れ、幸せに浸っていた。 けれど、どんなものにも終わりはあるのだ。 The treasure named a crime. ――後継者を。 愚かな一族と幹部どもが、今更な言葉を吐き出し始めた。 秘石眼を持たぬどころか、 一族には在り得ない見事なまでの色彩を纏うシンタローを私の子どもとは認めないと言う。 冷笑と嘲笑で答えても納得しない。 無視し続けていれば、最悪な言葉を吐き出した。 彼女のことをシンタローに言う、と。 殺してやろうか、と本気で思った。 心優しいあの子に、彼女のことを告げるのは忍びなかった。 幼い頃、母親の所在を聞いてきたシンタローに、 病気で療養している、とあながち嘘とも言えない言葉で答えた。 子どもは何かを悟っていたのか、それから母親について一度も尋ねてくることはなかった。 そんなシンタローが、事実を知ったら? 愛してもいない彼女との間に生まれた。 それすらも、私が望んでいなかったと知ったら? 今どれだけシンタローを愛していたとしても、傷つくに決まっている。 それに自分の母親を愛していない、と知ったら? 考えれば考えるほどに、碌な結果は生まれてこない。 殺気のこもる手に気づいたのか、幹部が慌てて告げる。 精子の提供だけでいい、と。 ただ私の子どもであると確実な事実を持った子どもが欲しい、と。 何て愚かしい提案。 けれど何よりも愚かしいのは、納得したこの私。 シンタローをそれで守れるなら、と愚かにも思った。 それが、更なる歪みを生むと知る術もなく。 ――それから、数ヵ月後。 子どもが生まれた、との知らせを聞いた。 それからすぐ、彼女が死んだ、とも。 彼女は、自ら命を絶った。 子どもを生んでも、 一度目は私に取り上げられ、二度目は幹部たちに取り上げられ。 静かに壊れていた彼女は、精神もろとも肉体も破壊した。 その報告もそこそこに幹部たちは、 生まれた子どもは両目とも秘石眼で、金と青を纏って生まれたと告げた。 嬉々として話す彼らを見て、彼女を哀れだと思った。 唯一彼女に抱いた感情は、最初から最後までそれでしかなかった。 腕に抱いた一族の色を纏う子ども。 愛情が、湧かない。 何も、思わない。 それは、自分の子どもだと納得していないからなのか、 それとも納得していたとしても、あの色を纏っていないからなのか。 呆然と子どもを抱いていれば、シンタローが笑顔で入ってきた。 もうなかなか見せてくれなくなっていた、心からの笑顔。 けれど、理由が解らない。 そんな私の心境など知らず、シンタローが告げてくる。 「俺の弟、生まれたんだな」 どうして、知っている? 誰から聞いた? 言葉の意味が解らずに、呆然とシンタローを見つめる。 その意味が解ったのか、少し困った顔をする。 「数ヶ月前に、幹部の親父どもが話してるの聞いたんだ。 …母さんが身篭ったって」 『母さん』と言った子供の顔が、痛ましげに曇る。 けれどそれは一瞬のことで、またあの笑顔に戻る。 「いつ生まれるんだって思ってたら、さっきまた幹部の奴らが騒いでるの聞いたから。 コイツ、俺の弟だろ? アンタに似て、キレイな色だよな」 俺の色とは全然違う、と呟いた声が酷く儚げに思えたのは、私の勝手な想像だろうか。 「…私は、お前の色の方が好きだよ。 お前の方が、キレイだよ」 呟く声はどこか呆然として、顔を上げたシンタローは何も言わずただ笑った。 「…母さんは?」 生まれて間もない子どもを抱きながら、問われる。 生まれた、と騒いでいた幹部どもは、彼女を死を少しも話題にしなかったのだろう。 どこまでも、彼女は哀れだ。 「…死んだよ」 理由は言わなかった。 シンタローは目を見開き動きを止めたが、次の瞬間には苦笑しただけだった。 「…そっか」 呟かれたその一言が、胸のうちに鉛のように沈んだ。 かける言葉が見つからない。 慰める言葉も言い訳の言葉も、何も見つからない。 ただ、彼女の死の原因が子どもに知られないことを切に願った。 シンタローは暫し抱いたままの子どもを見ていたが、徐に顔を上げる。 そして、告げてくる。 「親父…母さんは死んじゃったけど、俺達3人仲良くやっていこーな」 吹っ切るように向けられた笑顔。 けれどその腕の中、秘石眼を光らせる生まれたばかりの子どもが。 3人で仲良く、なんて無理だ。 この子どもは、すべてを破壊する力を持っている。 傍にいれば、シンタローすら殺されかねない。 頷きながらも、頭では違うことを考えていた。 生まれたばかりの子どもを幽閉することを、考えていた。 数日のうちに、すべてを整える。 強度の強い壁と最新のセキュリティーで作り上げられた、部屋という名の牢獄。 シンタローには、何も言わなかった。 それなのに、何処から話を聞きつけたシンタローが―― 「コタローを何処にやった」 真っ青な顔で迫るシンタロー。 そんな顔を見ても、何も思わない。 コタローをこの腕に抱いたあの時から、すべてが現実だと思えない。 何もかもが出来の悪い映画を見ている感覚で、空虚だ。 「シンタロー…コタローのことは忘れろ」 「何を言ってんだよ、親父。 気は確かかよ」 見上げてくる顔に、怒りは消えていた。 青ざめた表情に混ざるのは怒りではなく、不安。 それを拭い去る術を知らない。 問われた言葉に、返す言葉がない。 気は確かなつもりだが、現実感がないのだから。 見上げてくる顔に手を伸ばす。 告げるのは、想い。 「私の息子は、お前だけだ…。 お前さえいればいいんだ」 見開かれた黒いシンタローの目に、私が映る。 真剣に告げているのに、それすらも何処か遠い現実。 「な…何言ってんだよ。親父…」 本当に私は何を言っているのだろう。 けれど、口は勝手に開き言葉を吐き出す。 「覚えておけシンタロー。 一族の後継者はお前だ」 「違うよ。 俺は後継者なんかじゃねえっ。 秘石眼すら持たないできそこないだ」 泣きそうな顔で訴えるその顔に、シンタローの哀しみを知った気がした。 負い目を、感じていたのだ。 悟らせることなく、もう何年もの間も。 膿んだ痛みを告げる胸。 けれど、続く言葉にすべてを忘れた。 「俺はアンタみたいにゃなれねえ」 気が付けば、手は勝手に振り上げられ――シンタローを殴っていた。 否定された気がした。 罪を暴かれた気がした。 傷ついた目で、それでも逸らすことなく見上げてくる目から逃げるように、その場を後にした。 手が、痛みを伝える。 本気で殴ったのだ。 胸が、ギリギリと痛む。 生まれて初めて、子どもに手をあげた。 愛してやまなかった子どもに。 それから、私はシンタローに避け始めた。 あれだけ構っていた私も、シンタローに会いに行くことはなくなった。
04.10.31〜11.26 ← Back Next →