シンちゃん、シンちゃん、と、 今にも泣き出しそうな悲痛な声で、名を呼ぶ声がする。 Grudge. 「いいのか?」 かけられた声に振り返れば、キンタローが窓の外を見ていた。 窓の外には、マジックがいる。 俺を探すマジックが。 「あぁ」 いいんだ、別に。 「逃げてるのか?」 「そうだな」 肯定するとは思わなかったのか、キンタローは驚いた目で俺を見た。 「どっからどう見ても逃げてるとしか言えないだろ?」 そう言って、笑ってやった。 執務室でも、休憩に使うカフェテリアでもなく、 倉庫と化した建物に続く廊下に、総帥である俺がいる。 これを逃げていると言わず、何を逃げていると言うのか。 ジャンが来ていると聞いた。 それも俺にでも、サービス叔父さんにでもなければ、マジックに用があるという。 何が、だとか、 どうして、だとか、 そんなモノさえも解らないままに、逃げ出していた。 「よくここが解ったな」 「元は一緒だからな」 24年間、ずっと俺と一緒にいたキンタロー。 思考回路は、もう完全に知られている。 同じだけ一緒にいたマジックは、 逃げているとは言え俺の居場所には気づかないのに。 「…いつもの喧嘩ではないんだな」 静かに問うキンタローに、返事はしなかった。 「理由は、アレか?」 言われた意味が分からなくて、 キンタローの視線の先を辿れば、向かい合う建物の階下に――ジャンが、いた。 赤の番人である男。 俺と、同じ顔をした男。 誰に聞いたワケでもない。 それでも、気づいていた。 あの男が、マジックが愛した男であることを。 あの男が、サービス叔父さんを愛していたことを。 それは笑えるくらいに、 泥沼だったのではないだろうか、と言うことを。 声が止んだ。 俺を呼ぶマジックの声が、聴こえない。 怖い、と思うのに、外を覗き見た。 ニッコリとキレイに、 それなのに、どこか冷たく感じる笑みで笑うジャン。 それを見上げるマジックの金の髪。 ただそれだけのことなのに、心臓が馬鹿みたいに痛みを伝える。 だから、目を逸らそうとした。 けれどその僅か一瞬前に、見てしまった。 ジャンの唇が、何かを告げるところを。 声を出すではなく、囁くように唇が動いた。 それなのに、それを理解したんだろうマジックの肩が僅かに震えてしまったのを。 そこまでが、限界だった。 その後は見ていられなくて、ずるずるとその場に座り込んだ。 「…シンタロー」 気遣わしげな声がする。 けれど、先を続けない。 「…悪ィ。 今日、休んでいいか?」 明日、頑張るから。 だから、今日は見逃してくれないか。 「…解った」 無駄を一切省いた返事をして、キンタローは消えた。 本当は今日中に仕上げなければいけない書類も、 午後から入っていた視察も、その後に晩餐会があることも知っていた。 それでも、無理だった。 今は、動けない。 ――今夜、あの場所で。 ジャンの唇が、そう告げていた。 マジックは、それを正確に読み取っている。 震える手で、頭を抱え込む。 何も、考えたくない。 それなのに、どうしても思考が止まってくれない。 なぁ、マジック。 アンタは、行くのか?
07.02.08 Grudge=遺恨 ← Back Side.S →