艶やかな黒髪が、キレイだった。 それは、誰だったか…。 Black. 部屋に戻れば、シンタローがいた。 ソファに座り込み、じっと動かない。 何をしているのか、と近づいても、珍しく気配に気づかない。 そっと後ろから覗き込めば、自分の前髪を引っ張りじっとそれを見ている。 ますます、何をしているのか解らない。 声をかけようとしたが、声がでなかった。 手に持つモノを、見てしまったから。 それは何処にでも打っている、ブリーチ剤。 安っぽい箱には、金の髪が描かれている。 シンタローは、考えるようにじっと黒い髪を見つめている。 引っ張られた髪は、黒く艶やか。 キレイなキレイな黒い髪。 愛した人の色彩。 愛した人は、彼なのか。 それとも今目の前にいるシンタローなのか、時折解らなくなる。 「黒い髪は、嫌い?」 浮かんだ思いを振り切るように、声をかけた。 シンタローは驚き、手に持っていた箱を落とした。 反射的に振り返った顔には、驚愕の表情が浮かんでいた。 振り返ったのは、紛れもないシンタロー。 彼であるはずがないのに、私は何を迷ったのだろう。 「お前は、黒い髪が嫌い?」 「……別…に」 目を見開いたままに、シンタローが答える。 「…そう」 こんな風に感情をさらけ出すことは、彼は私にはしてくれなかった。 だからこれは彼ではなく、紛れもなくシンタロー。 「色を変えたいんだったら、変えていいよ。 でも折角キレイな髪なんだから、その辺で買ったモノを使うのは止めなさい。 ちゃんと美容師にやってもらいなさい」 彼とシンタローを、間違えてしまいそうになる。 それは、間違えたいからかもしれない。 まだ私は、彼に捕らわれている。 忘れることなどできないから。 それがいいことなのか、悪いことなのか解らない。 私は、それを決められない。 決めることが、怖いのかもしれない。 だから、シンタローに委ねる。 「…アンタは、何がキレイだと言ったんだ? 髪自体?それとも…色?」 シンタローの黒い目が、不安に揺れた。 彼は、そんな顔をしなかった、 と愚かなことを思ってしまい、思わず苦笑が漏れた。 それに敏感に、シンタローが反応を示そうとする。 だから、制するように続ける。 「お前の存在が、キレイなんだよ。 だから、髪もキレイなんだよ」 嘘でも偽りでもなく、それは本音の言葉。 けれど、すべてではない言葉。 それを敏感に悟ったのか、戸惑う表情を見せる。 シンタローは言葉を探すように口を開けるけれど、言葉は出てこないのか唇を噛み締める。 表情を見せてくれる、シンタロー。 私の前では、禄に見せてくれなかった彼。 シンタローは、彼ではない。 当たり前のことなのに、そう実感した。 それが何故か胸に鈍い痛みを告げるのを、気づかないふりをして笑みで誤魔化した。 物言いたげに見つめてくる視線を背中に感じながらも、振り返らなかった。 時折――、 それは本当に時折、解らなくなる。 目の前にいるのが、彼なのかシンタローなのか。 そして、そこに向かう感情が何なのか。 過去は過去として切り離されるのではなく、過去は今も継続して存在する。 私はそこに取り残されたまま、見失ってしまう。 何を求めているのか、解らなくなる。 けれど、今はまだ解りたくないのかもしれない。 理解すれば、後には戻れなくなる。 とっくに失っていたと思っていた良心というやつが、それを理解することを躊躇させる。 そう思っている時点で答えは出ているのだろうに、 それでも明確に理解したくない私は解らないふりをする。 だから背後で音を立ててガラスが割れる音がしても、振り返らなかった。 立ち止まりもしなかった。 答えなど、目の前にある。 けれど、理解はしたくない。 そんな私が取れる行動は、 やはり愚かにもシンタローに委ねることでしかなかった。 シンタロー、お前はどうしたい? お前は、私に何を望む?
04.12.08〜05.08.01 ← Back Side.S→