「明日、出て行くよ」
「今すぐって言われるかと思った」
笑って言えば、ロイも笑った。
別れは、もうすぐ傍まで来ている。
Last Supper.
最期の晩餐だからと、ふたりで一緒に料理をした。
いつもは手伝うと言うロイの言葉を、
犬は待ってればいいと言って断ってたから知らなかったけれど、ロイは意外に手際がいい。
「何でそんなに手際がいいんだ?」
不思議に思ってそう口にしたことを、すぐさま後悔した。
さっき、ロイの生い立ちを聞いたばかりだ。
施設で育ったと言ったし、軍に入ったとも言った。
共同生活は、自分のことは自分ですることが基本。
ロイの過去に触れることは、もう口にしたくなかったのに…。
「…ごめん」
「いいよ。それよりこれはどうすればいい?」
ロイは困った顔で笑いながら、キャベツを掲げて見せた。
その笑顔を見て、少しだけほっとする。
痛みが見える笑い方でもなく、かわす笑い方でもない。
ちゃんと向き合ってくれていると思えたから。
「あー…久しぶりにロールキャベツ食いたい。
でも、まだ肉あったかな?」
ごそごそと冷凍庫を漁る。
「いつも思っていたのだけどね、エディは肉が嫌いなのかい?」
「え?何で?」
「肉料理をあまり作らなかっただろ?
ベジタリアンかとも思ったんだけど、
たまに食卓に出てたから食べれないことはないとは思ったんだけど…」
思わずその言葉に、手が止まってしまった。
「エディ?」
「…悪ぃ。
そう言えば、肉料理作らなかったよな。
肉が嫌いなわけじゃないんだけど、面倒くさくて…」
苦笑しながら呟けば、ロイはまだ解らないという顔をする。
「ロイが来るまで、昼夜逆転生活だったんだ。
だから店が開いている時間に買いに行けなくて、アルがたまに持ってくる肉しかなかったんだよ。
野菜は庭で育ててるから、自給自足できて困らないんだけどな。
ロイが来てからは昼は起きてたんだから、買出しには行けたのに頭まわらなかった。
…肉食いたかったよな、ごめん」
なんとなく申し訳なくなって俯くと、ロイの大きな手がぽんぽんと軽く頭を叩いた。
見上げたロイは、柔らかい笑みを浮かべている。
「エディ、私は嬉しかったよ。
誰かが自分のために、料理をしてくれる。
それはとても優しく暖かなことだから。
それに君の作る料理は本当に美味しいから、嬉しかったよ」
その言葉は酷く温かかった。
「…俺も嬉しかった。
ひとりで食べる食事は味が解らなくて、食べない時のほうが多かった。
でもロイが来てからちゃんと毎食作って食べてるうちに、味を思い出した。
食事が楽しいことだとも思い出した。
だから、俺も嬉しかった」
顔を見合わせて、ふたりで笑った。
じいちゃんが死んで5年間ひとりで食事をしてきて、
食べなきゃいけない、と義務で食べるのではなく、食事を楽しむことはくすぐったいほどに温かかった。
テーブルの上には、最後の晩餐らしくたくさんの料理を並べる…、
予定だったけれど、結局はいつもとそう変わらないメニューになった。
トマトサラダ、野菜スープ、ロールキャベツ、キッシュ…。
「…見事に、ロールキャベツ以外肉ないよな」
「でも、どれも美味しそうだよ」
笑ってロイが言ってくれた。
「そうだな。一緒に作ったしな。ロイ、酒飲める?」
「飲めるよ」
「じゃあ、一緒に飲もうぜ」
「未成年なのに?」
くすくすとロイが笑う。
「いいんだよ。こういう時は、特別なんだから」
「ちょっと待ってろ。
地下から酒取ってくるわ」
「地下?」
「ワインセラーになってんの。
じいちゃん、ワインに目がなかったからな」
ロイをおいて地下室に入れば、黴臭さが広がった。
月に一度しか入らない地下のワインセラー。
それなのに、今日は2回目。
最奥にあるボトルを取り出す。
じいちゃんがくれた最後の誕生日プレゼント。
なんで10歳のガキに酒をくれるのか解らなかったけど、
今考えると、死期が近いことを知っていたのかもな…。
特別なやつと飲め、ってあの時じいちゃんは言ったけど、そんな相手ができるとは思わなかった。
でもじいちゃん、あれから5年経った今、飲みたい相手ができたよ。
一生飲むことはないと思っていたこの酒が、成人するまでに飲めるよ。
「取って置きのワインだ。飲もうぜ」
にっと笑ってボトルを突き出すと、ロイが呻くように呟いた。
「…ロマネ・コンティ…25年もの」
「何?」
「エ…エディ、それがいくらするか知っているのかい?」
呆然としながらロイがボトルを指差す。
「さぁ?
じいちゃんが、特別だと思ったやつと飲めって言って俺にくれたやつなんだけど。
…何、高いの?」
そんなに高価なモノだろうか?
ボトルを見ても薄汚いし、年代を見ても25年も前のだし…。
高いとか言う以前に、これ飲めるのか?
「それは、社会人一年目の年収に匹敵する値段だよ…」
信じられないという目で、ロイが見つめている。
その目に倣ってボトルを見るけれど、薄汚いとしか思えない。
これがそんなに高価なモノにどうしても見えない。
じっと見ても、見れば見るほどその思いは強くなる一方。
そんな俺を見て、ロイは溜息を吐き出す
「…それはエディが一緒に飲みたいと思った特別な相手に残しておいたほうがいいよ。
私と飲むには、勿体無いからね」
「何で?
じいちゃんが特別だと思うやつと飲めって言ったんだよ。
俺にとってロイが特別だと思ったんだから、別にいいじゃん。
それよりさー、俺が毎月じいちゃんの墓にかけてた酒も高かったのかな。
ロイ知ってる?」
ロイは何か言いたそうに口をぱくぱくさせたけど、諦めたのかまた溜息を吐き出した。
「…そんなに詳しくはないけどね。
名前は何て言うんだね」
「これと同じでロマネコンティってとこの。
年代はいろいろだったけど。
俺、飲まないから解らないんだよな。
あれもやっぱ高かったのかな?」
「…エディ。
ロマネコンティは高いよ」
驚きのあまりかロイの声は掠れている。
その声に、こちらまでなんか怖くなる。
月に一度、墓にワインをかけていたけれど、あれは実はかなり勿体無いことをしていたのだろうか。
「…どのくらい?」
「ピンキリだけど、最低価格で初月給の半分くらいかな」
苦笑しながら、ロイが答える。
「俺、もしかしたらかなり勿体無いことしてた?
口につけずに、墓にかけるなんて…」
「まぁ、そう言えないことはないけれど、エディはおじいさんのためにしてたんだろう?
それならおじいさんもきっと喜んでいたはずだから、気にすることはないよ」
優しく頭を撫でながらロイが言ってくれたけど、
ちょっと怖いものがあって、月命日ごとにやるのはやめて命日だけにしようと誓った。
「なぁ、これって美味いの?」
高級だと知ったワインの味は、情けないことによく解らない。
「美味しいよ。
エディの口には合わない?」
ロイはグラスに口をつけ、にっこりと笑った。
それに倣い一口飲むけれど、やっぱりよく解らない。
「んー…不味くはないけど、美味くもない。
それより、ロイが作ったロールキャベツのが断然美味い。
トマトベースのよりコンソメベースのが好きだから、余計に美味い」
「ロマネ・コンティの25年ものより、格上に評価されて嬉しいよ」
「だって母さんもじいちゃんもトマトベースのが好きであまり食べられなかったし、
俺もそんなに作らなかったから、本当に食べれて嬉しかったんだよ。
しかも、美味しいし…」
上等のワインよりも、ロイの作ったロールキャベツのがどう考えても美味しい。
そんな自分は、やっぱり子どもなのだろう。
自覚すればするほど子どもに戻るようで、
膨れてしまう俺を見て、ロイが宥めながらもクスクスと笑った。
――そんな久しぶりの本当に温かい最後の晩餐だった。
04.07.17〜07.24
『Last Supper.』=最後の晩餐。
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