時は確実に過ぎ去って、いつの間にか笑って過ごす日々が増えた。
別に楽しくはないけれど、なんとなく笑うことを覚えた。






Smiling face.

「笑って、と言ったのは僕だけど、そんな笑顔が見たかったんじゃないよ」 寂しそうに笑いながら、アルが言った。 そんなこと言われるまでもなく解ってはいるけれど、 そんな笑い方しかできないんだから仕方がない。 「無理に笑ってるつもりはないんだけどな」 「ん…それも解ってる。  現に、親しい人しか気づいてないもの。  よく知らない人が見ても、楽しそうに笑ってるように見えるよ」 「そっか」 ならいいじゃねぇか、と続けたいけれど、 寂しそうに笑うアルを見てたら、そんなことは言えない。 「…兄さん、ちゃんと外を見てる?」 溜息混じりに訊かれた言葉の意味が、よく解らない。 相変わらず昼夜逆転の生活だけど、それでも前よりは幾分かマシになっている。 日もすっかり落ちきってからの活動が、今は夕暮れ時からの活動になった。 あまり変らないようだけど、実際は結構変った。 人と接することが格段に増え、知り合いも増えた。 「前よりはマトモに外に出てるよ。  お前だって、知ってるだろ?」 「あぁ、そうだね。  以前に比べたら、ちゃんと外に出てるね。  でもそうじゃなくて、最近新聞とかニュースとか見てる?」 痛いところをついてくる。 新聞もニュースも見てない。 元から両方とも見るほうではなかったけれど、あれ以来避けていた。 彼のことを知りたくなかったから。 いや、知りたくないと言ったら嘘だ。 本当は、知りたい。 けど、少しでも知ってしまったら、 気になってすべて逐一知りたくなってしまう。 だから、知り合いとの会話に何となく話題があがっても、適当に話を変えて逃げていた。 その行為に何処か後ろめたさを感じてしまい、何も言えなくなって俯いた。 「…見てないんだね」 少し呆れたように、言われた。 その態度に、以前と違った理由で見ていないのだと気づかれていると感じた。 「ごめん」 「別に謝ることじゃないよ。  それも、僕になんて。  でも、見たほうがいいよ」 「…もう、関係ねぇよ」 自分で言って、少し哀しくなった。 「そう?  でも、自分の笑い方が見えるよ」 「何?」 俯いた顔を上げれば、困ったようにアルが笑った。 「昔からあの人の笑顔は、  どこか作り物めいていながらもキレイだったけど、今は酷いよ。  笑顔にいっそう磨きがかかったみたいだから、気づかない人が大半だろうけど、  兄さんといた時のような笑顔を見たら、見れたものじゃないね。  ちゃんと笑ってないよ。  ただ、笑顔浮かべてるだけだよ」 そんなことを言われても、どうにもできない。 「大人なんだから、いろいろあるんだろ。  みんな、そんなもんじゃねぇの」 「…そうかも知れないけど、じゃあ兄さんは?  まだ、子どもだよ。  無理して笑わないでよ。  見ていて、辛いよ」 だから、そんなこと言われてもどうにもできない。 彼の笑顔がここにいた時と違って作り物めいたモノだろうが、 自分の笑顔が無理したモノだろうが、どうにもならない。 彼は意識的にそれをやっているだろうし、 自分は自分で、無意識にそれをやっている。 それは違うようで、結局どうにもできないということでは同じだ。 「…ごめん。  ちょっと言い過ぎた」 申し訳なさそうに言いながらも、少しだけ責めるような目が覗いた。 「いいよ、もう」 どうにもできないことは、世の中に溢れてることを知ってるから、 諦めることもその分だけ知っている。 諦めることを覚えたのは、何時からだろう。 そんなどうしようもないことを考えていたら、 アルが思考を遮るような強い声で言った。 「明日の昼の1時に、絶対テレビ見てよ」 「うちにテレビがないのは、お前も知ってるだろ?」 テレビなんてモノは、じいちゃんがいた時からこのうちにない。 「そんなの知ってるよ。  だから、ちゃんと外に出て見るんだよ」 「見るったって…」 テレビなんて貴重なモノ、外に出たところで滅多に見れるもんじゃない。 家に帰ればあるけど、たかがそんな理由で一時的と言え帰りたくなどない。 「だから、大通りのミハイルさんの店。  あそこなら、通りから見えるじゃない。  兄さん、ミハイルさんに好かれてるんだから、  挨拶すれば10分くらいなら何も言われないよ」 まあ、ミハイルさんなら、快くテレビを見せてくれるだろうけど。 「でも、一体何があるんだよ。  昼の1時なんて、起きれるか怪しいぞ」 いくら夕方から活動するようになったと言っても、 寝るのは変らず日が昇ってからだ。 「大丈夫。  12時過ぎに電話するから、起きてよ」 「そこまでして、何を見せたいんだよ。  アイツのことだったら、俺は見ないからな」 見たら最後だ、と解っている。 だから見たくないし、知りたくもない。 「見たほうがいいって言ったのは僕けど、別に強要するほどのことじゃないよ。  だから安心して、彼じゃないから」 では、誰なのか。 と考えて、テレビに出そうな知り合いを思い浮かべようとしたけど、 たったひとりしか思い浮かばなかった。 「…親父だったら、尚更見ねぇからな」 あんな奴の顔など見たくもない。 「違うよ。  父さんじゃなくて、僕だよ」 ニッコリと笑って、告げられた。 「アルが?」 「そう、僕が」 先ほどとは打って変わって楽しそうに、アルが笑う。  「兄さんを真似て論文を書いたんだ。  そしたら、それが大きな賞を取っちゃって。  最年少だからって、取材されたんだよ。  と言っても、去年同じ最年少で兄さんも取ってるんだけど、  兄さん取材とか片っ端から断ってたでしょ」 最年少、と言われても、 賞を取ったモノはどれも最年少と言われてたはずで、どれを差すのか解らない。 それより学校の教師が単位取得のために勝手に賞に出していたので、 自分がどの賞に出してどの賞を獲得したのか覚えていない。 「えっと、何だっけ?」 訊けば、アルは照れくさそうに笑った。 「兄さんが去年得た賞全部」 全部って…。 確か、片手では足りないはずの賞を貰ったはずだ。 学校に行っておらず時間がある自分ならともかく、 学校にもマジメに行って、家の手伝いまでしているアルに、 論文をそんなに書く時間などあるわけないのに。 「…マジ?」 「うん、本当」 はにかみながら答えるアルに、何か癒された。 自慢してもいいことなのに、 照れくさそうに笑うだけのその素直さが少しだけ羨ましくもあり、尊敬する。 「凄いじゃねぇか」 嬉しくなって笑ったら、アルも笑った。 照れくさそうにだけじゃなくて、悪戯っ子みたいに。 「当時の兄さんもね」 「あ、そうか」 「うん、だから絶対に見てよ」 「絶対に見る。  でも起きるのちょっと自信ないから、電話して」 「もちろん。  じゃ、今日は帰るね。  明日は来れないけど、また来るよ」 「あぁ、またな」 何だか、今日は嬉しかった。 久しぶりに、心から笑った気がした。 作った笑みなどではなく、ちゃんと笑った。 何となく。 このまま行けば、作った笑みだけどわらえるようになっていたように、 心からのまた笑えるようになっているかもしれない、 なんてことを、根本的に違うから有り得ないと知りながらも思った。
05.05.06 『The morning which surely comes.』≒必ず来る朝。
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