「大佐でもフラれることあるんだな」 ぽつりと子どもが呟いた。 「…君はいったいどんな目で私を見ているのだね」 「なんかさ、大佐の相手ってどれも遊びのイメージなんだよな。 互いに割り切って、その場限り楽しめればいいって感じ。 フるとかフラれるとかの次元からは、ほど遠い感じ」 あまりに見事に核心をついていて、思わず絶句してしまう。 そんな自分を見て、子どもは悪戯が成功したみたいに嬉しそうに笑った。 「…よく解ってるな」 「当たりだろ? だから、アンタがフラれるなんて想像つかないんだ」 今度は、静かに笑った。 子どもの笑みなんかではなく、大人の何か悟ったそれに近い。 見ていて、痛々しい笑顔。 「…鋼の。 先ほどから、私がフラれていることを前提に話していないか?」 子どもは、きょとんとした顔で見上げてくる。 「違うのか?」 「別れを告げられたのは確かだけどね、 君が言うように、フるとかフラれるとかの次元の話じゃないよ。 だから、そのことに関しては特にどうも思わないよ」 「俺、そういう関係無理だ」 子どもは眉間に皺を寄せ、雨に濡れるアスファルトに視線を落とす。 「…そうだね。 私も、無理だよ」 「…フラれたから?」 「違うよ。 本当に好きな人ができたからね。 他の人では満たされない、と気づいたから」 本当は自分より先にそのことを女が気づき、教えてくれたのだけれど、そのことには触れなかった。 「…本命いるんだ」 「君は、私の話をちゃんと聞いていたのかね? 君と同じように、 思ってほしい相手には眼中にされていないが、それでも思わずにいられない、 と、私は言ったじゃないか」 「…あぁ、言ったな。 大佐は……大丈夫だよ」 掠れた声が、やけに響いて聴こえた。 「…何が?」 「俺と違って、拾って欲しい人に拾って貰えるよ」 「鋼の?」 ゆっくりと上げられた金の目と、視線が交差する。 「大佐は魅力的な人だから、大丈夫だよ。 きっと、相手も大佐のことを好きになってくれるよ」 「…鋼の?」 金の目が、静かに伏せられる。 「だから、大丈夫」 「鋼の?」 子どもは、俯き押し黙った。 金の髪の隙間から垣間見える横顔を濡らす雫。 それは、本当に雨なのか――… 「鋼の、君も大丈夫だよ」 優しく言えば、ぴくりと肩が震えた。 「君も人の目を惹きつけて離さないから、相手も君のことを好きになってくれるよ」 酷く自虐的な言葉を、酷く甘い声で囁いた。 子どもの後押しをして、どうするのか。 自分が欲しているくせに、どうして他人のもとへやろうとする? 子どもを想ってのこと? …いや、単に臆病なだけなのだ。 引き止めても子どもが離れていくことを思えば、胸が悲鳴をあげる。 それなら、送り出したい。 逃げてるだけと知りながらも、それしかできない。 子どもが、ゆっくりと顔を上げた。 「…嘘吐き」 何に対しての言葉なのか。 胸のうちが読まれたのだろか。 心は乱されるばかり。 それなのに、ポーカーフェイスは無意味に機能を果す。 「嘘など吐いてないよ。 君も、大丈夫だよ」 それは、本心だった。 この自分が捕らわれているのだから。 彼は、誰であれ魅了していくだろう。 それは、自分の意に介してはいないけれど…。 子どもは、見つめる視線を強めた。 「だったら…、だったらどうしてアンタは俺を好きになってくれないんだ」 「鋼の?」 「俺が拾って欲しいのは…大佐、アンタだよ」 あまりに突然の言葉に、頭がショートを起こす。 欲した言葉を、子どもが告げてきた。 自分以外の誰かを求めていると思っていたのに、その相手が自分だと知った。 けれど、予想外で言葉が、何も浮かばない。 子どもはそんな自分を見て、自嘲気味に笑った。 「だから、嘘吐きって言ったんだよ。 アンタは、俺を見てくれない」 儚げに笑って、子どもは立ち上がる。 それから背を向けたまま、サヨナラと呟いた。 去っていこうとする腕を咄嗟に掴む。 子どもは振り返り、痛みを堪える顔で、離せ、と呟く。 頭の中は、まだ整理できていない。 けれど、今この手を離すことなどできない。 考えるな。 思ったままを口にしろ。 そうしなければ、二度とこの手を掴めることはないのだから。 「拾ってはくれないだろうか」 考える前に出た言葉は、情けないものだった。 子どもは、理解しかねたのか眉間に皺を寄せ見つめてくる。 「君の眼中に私が入っていると言うのなら、拾ってはくれないだろうか」 大の大人が、色事には百戦錬磨とまで言われたこの自分が、 14も離れた子どもに、しかも男に言えた言葉は、 甘い愛の告白でなければ囁きでもなく、切実なまでの懇願だった。 「…本気で言ってんの?」 射抜くような眼差しで見つめながらも、問う子どもの声は弱々しい。 「これ以上ないくらいにね」 そう告げれば、子どもは破顔した。 「なんだ…馬鹿みてぇ。 俺、自分自身に嫉妬してたってことじゃん」 「私も同じだよ。 私自身に嫉妬していたのだからね」 子どもが、そりゃそうだ、と笑った。 痛々しいあの笑顔ではなく、子どもらしく純粋な笑顔で。 つられて笑った。 「手、離して」 少し恥ずかしそうに子どもが告げる。 「どうして?」 「恥ずかしいから」 耳まで染めて、子どもは俯く。 その幼い姿がいじらしくて、可愛くて――… 「断る」 言い切れば、子どもは手を振り解こうと暴れる。 その姿すら愛しくて、でも、離す気などなくて、引き寄せ抱きしめる。 子どもは諦めたのか、暴れることなく静かに腕の中に収まった。 温かなぬくもりが、腕の中にある。 欲してやまなかったぬくもりを、今手にしている。 やっと、眠れそうだ。 呟いた声は、静かな雨音に掻き消えた。
04.06.07〜06.12 『Rain and two abandoned cats.』=雨と2匹の捨て猫。 ← Back 2