書類整理に飽きて窓の外に視線を投げれば、子どもがひとりでしゃがみ込み何かをしている。 興味が湧き暫く見ていると、青白い錬成反応が立て続けに起こった。 何を練成したのか覗き込んでも、よく見えない。 今なら中尉もいない。 少しくらいなら、いいだろう。 そう言い訳をして、席を立った。 Blue rose,Blue bird. 中庭に行けば、変わらず子どもはひとりで何かを錬成している。 珍しくひとりで、静かに錬成を続けている。 「何をしているのだね?」 問い掛ければ、ビクリと肩を震わせながら子どもは振り向く。 浮かぶ表情は、悪戯が見つかった子どもそのもの。 久しく見ていなかった、歳相応の表情。 違和感を感じながらも、思わず笑みが漏れた。 けれど、それがお気に召さなかったようで、ムスっと頬を膨らます。 どうやら今日の子どもは、いつもと違い子どもに戻ったようだ。 漏れる笑顔を隠さず、もう一度何をしているか訊ねれば、 膨らませた頬をそのままに、薔薇、と呟く。 「薔薇?」 薔薇ならわざわざ錬成するまでもなく、目の前の花壇に咲いているというのに、 何を今更錬成する必要があるというのか。 「薔薇なら、目の前に色とりどりの花を咲かせているではないか」 指差せば子どもは振り向きそれを見ながら小さな声で、違う、と呟いた。 「あぁ、別に少しくらいなら手折っても構わないよ。 見たとおり誰も花壇の手入れなどしないから、君が持って帰っても大丈夫だよ」 違和感を感じながらも言えば、 やはりそういったことではないようで、子どもはまた、違う、と呟く。 「では、一体何をしている?」 呆れながら問えば、子どもは視線を逸らし答えない。 本当に、今日のこの子どもはどこかおかしい。 歳相応を通り越し、小さな子どもみたいだ。 「鋼の」 名を呼べば、覚悟を決めたのか視線を合わせてくる。 けれど、答えてはくれない。 「鋼の」 もう一度呼ぶと子どもは俯き、ぽつりと呟いた。 「青い薔薇を作りたかったんだ」 「……またどうして」 青い薔薇は、この世に存在しない。 薔薇は、もともと青色色素を作るために必要な酵素の遺伝子を持っていないからだ。 それ故に、青い薔薇は不可能の象徴とされている。 それを知らないわけではないだろうに。 しかも、なんの設備も整っていない庭でできる筈もないのに。 「青い鳥は逃げるから…」 顔を上げて、子どもは呟いた。 泣きそうな顔を笑って誤魔化ながら、そう告げた。 そして、漸く納得する。 奇妙な子どもらしさは、辛さを誤魔化していたにすぎないと。 小さな身体を引き寄せ抱きしめる。 子どもは抗うことなく、肩に顔を埋める。 「青い鳥?」 「さっき、街で青い鳥を見かけたんだ。 それで…昔のことを思い出した」 ぽつぽつと子どもは言葉を零す。 それを急かすことなく、背をあやすように撫でる。 「母さんがいた頃、アルと青い鳥を飼ってた。 でも、母さんが死んで暫くして、俺の不注意で…」 掴んでいた軍服を握り締め、逃げた、と呟いた。 かける言葉もなく、ただ抱きしめる力を強めれば子どもはまた話しだす。 「青い鳥って、幸せを運んでくるんだろ? なのに、俺…自分から逃がした。 しかも、さっき青い鳥見るまで忘れてた。 俺がアルの幸せも…逃がした」 今にも泣きそうな震える声で、子どもは告げる。 「…違うよ。 青い鳥は、自分自身のために飛び立ったんだ。 籠の中に閉じ込められ死んでいくより、自由になって羽ばたきたかったはずだよ。 だから、君は悪くない。 君は青い鳥自身が幸せになるように手を貸しただけだ」 気休めにもならぬ言葉と解っていても、それでも言わずにはいられない。 子どもは、顔を上げ小さく笑った。 「でも、青い鳥は逃げた」 どうして、子どもは笑うのか。 泣いてくれれば、抱きしめ甘やかし離さないというのに、 子どもは泣きそうな顔で笑って、それを阻む。 「鋼の…」 「だから、青い薔薇を作ろうと思った。 青い薔薇なら、もう逃げないから…。」 「青い薔薇は存在しないよ」 「…知ってる。 でも、それじゃないと代わりにはならないから」 そう言って笑いながらも、軍服を握り締める力は弱まることはない。 矛盾しているというのに、気づかないのか…。 いや、気づいているうえで、気づかないふりをしているのだろう。 「鋼の、幸せになりなさい」 何を言えばいいか解らず、ただただ乞うように告げた。 子どもは痛みを堪えるように、眉を寄せながらも笑った。 「俺は…二番目でいい。 アルが幸せにならない限り、幸せにはなれない」 本当に、どうして笑うのか。 そんな笑みなど見たくはないのに。 強く抱きしめ、子どもの頭を胸に押し付ける。 「君が幸せにならない限り、私は幸せにはなれない。 だから――」 だから? 続く言葉は何だと言うのか。 弟の幸せを一番に考えるな? 自分自身のために、幸せになってくれ? 一緒に幸せになろう? どの言葉を吐いても、子どもは頷かない。 それを望んでくれたとしても、子どもは頷いてはくれない。 何を言えば、この子どもは自分自身を一番に考えてくれるのか。 私を一番に考えてほしいなどとは、望まない。 子ども自身の幸せを願ってほしい。 それなのに、子どもはそんな誰もが当然としていることを願ってはくれない。 胸に澱が、溜まっていく。 痛みを伴い、溜まっていく。 「…ごめん」 胸のうちを悟ったのか、子どもが呟く。 そんな言葉など、聞きたくはないのに。 「…ごめん」 違うと、聞きたくないと声を荒げてでも言いたいのに、声が出ない。 自分の不甲斐なさと、子どもの曲げられぬ想いに胸が詰まる。 口を開けば、子どもを傷つける言葉を発しそうになる。 だから代わりに、今だけは、きつく子どもを抱きしめる。 泣きそうに笑う顔など見えないように、強く強く抱きしめる。 それなのに、子どもは残酷な言葉を吐いた。 「…大佐にも、青い薔薇やるから」 殴ってやろうかと、殺してやろかと、一瞬殺意が湧いた。 どうして、この子どもは解ってくれないのか。 どうして、この想いは子どもに伝わってはくれないのか…。 もう、どうしていいのか解らない。 痛みも殺意も消えて残ったのは、 どうやっても消えそうにない子どもへの想いと、何も伝わらないという諦めだった。 抱きしめていた腕を解き軍服を握る子どもの手を取り、その掌の上に懇願の口付けを落とした。 解ってくれと、気づいてくれと、想いを込めて…そして、告げた。 「青い薔薇などいらない」 子どもが答えるよりもあの笑みを浮かべるよりも早く、それを見ないようにとまた強く抱きしめた。 答えなど、怖くて聞けない。 この想いを制するように笑う顔など、見たくはない。 だから、子どもの答えは知らない。 青い薔薇を作り出すより、子どもを手に入れるほうが難しい。 時が経てば、いつかは作り出せるであろう青い薔薇。 けれどこの子どもは、どんなに時が経とうとも私のものになることは恐らくないのだろう。 私にとっての青い薔薇は、この子ども自身だった。 ――だから、この子ども以外の青い薔薇などいらない。
04.06.30 04.06.30:世界初、青い薔薇開発成功記念SS。 ← Back Side.E →