街で青い鳥を見かけた。
鳥籠の中に入れられた青い鳥。
それを手に持つ子どもと、傍らで笑いかける母親。

青い鳥を見た。
青い鳥を思い出した。
俺が逃がしてしまった青い鳥を――思い出した。


恐怖で足が竦む。

アルから俺は、奪ってばかりだ。
幸せを呼ぶ青い鳥も。
彼の肉体も。

今すぐに、肉体を与えることはできない。
それならば、代わりに今何を差し出せばいい?






Blue bird,Blue rose.






逃げるように走りだせば、いつの間にか東方司令部の中庭にいた。
無意識の内にでも、彼に会いたかったのかもしれない。
人に頼ることなどしたくないのに、それでは弱くなる一方だというのに。

勤務時間中のため中庭には誰もおらず、閑散としている。
隅に追いやられたようにある花壇の花が、手入れされていないままなのも余計にそれを感じさせる。

何となく花壇に近づけば、花は薔薇が大半だった。
色とりどりの花を咲かせている。
けれど、青い薔薇はひとつもない。

当然だ。
青い薔薇などこの世に存在しないのだから。



あぁ、そうだ。
青い薔薇など、存在しないのだ。
それなら、代わりになるだろうか。
奪ってしまった青い鳥の代わりになるだろうか。

代わりにはならなくても、償いの気持ちが一番伝わるのはこれしかないと思った。
それに青い鳥と違い、青い薔薇だと逃げることはないから。


音を立てて両手を合わせ、地面に手をつく。
青白い錬成反応の光が放たれる。
けれど、青い薔薇は錬成できない。

何の設備もないこんな処で、いきなり青い薔薇などできないことは知っている。
それでも、青い薔薇を作らなければいけないのだ。
今すぐにでも、アルに渡したい。

立て続けに錬成を繰り返す。
けれど、当然の如く青い薔薇は錬成されない。


涙と笑いが一緒に出た。
心が均衡を崩す。




「何をしているのだね?」

突然問い掛けられ、振り返れば彼がいた。
彼は何故か楽しそうに笑みを浮かべている。

その笑顔に安堵する。
それでは、いけないのに。
頼ってはいけないのに。

だから取り繕うように、頬を膨らませた。
彼は俺の子どもらしい態度を訝しむことなくそのまま受け取り、
漏れる笑顔を隠さず、もう一度何をしているか訊ねてくる。
それに安堵し、膨らませた頬をそのままに、薔薇、と呟いた。



「薔薇?
 薔薇なら、目の前に色とりどりの花を咲かせているではないか」

不思議そうに花壇を指差しながら言う。
それに小さな声で、違う、と呟けば、彼は訝しがりながらも更に言葉を続ける。

「あぁ、別に少しくらいなら手折っても構わないよ。
 見たとおり誰も花壇の手入れなどしないから、君が持って帰っても大丈夫だよ」

言われるまでもなく、錬成するために何本か手折った。
そんなことではない。
だからまた、違う、と呟いた。

「では、一体何をしている?」

呆れながら問いかけてくる。
それなのに、どこか声は優しい。

だから、答えそうになる。
答えても、いいのだろうか。




「鋼の」

名を呼ばれ、逸らしていた視線を彼に向けた。
その目は、やはりどこか優しい。

「鋼の」

促すように、もう一度呼ばれたのが限界だった。

「青い薔薇を作りたかったんだ」

呟けば、彼は僅かに目を瞠った。

「……またどうして」

問う彼の口調が、
青い薔薇などこの世に存在しないと知っているだろう、と告げてくる。

そんなことは言われるまでもなく、知っている。
でも――…




「青い鳥は逃げるから…」

言いながら泣きそうになるのを、笑顔で誤魔化す。
振り仰いだ彼は、何故か自分より痛みを耐える顔をしていた。

そして、抱きしめられる。
その優しさに、暖かさに、身を委ねる。

「青い鳥?」

優しい声で、彼が問う。
目を閉じ、その声を聞きながら答える。

「さっき、街で青い鳥を見かけたんだ。
 それで…昔のことを思い出した。
 母さんがいた頃、アルと青い鳥を飼ってた。
 でも母さんが死んで暫くして、俺の不注意で…」

その先を言うのは、怖かった。
だから彼の軍服を握り締め、逃げた、と告げた。
彼は何も言わず、抱きしめる力を強める。
それに、安堵しながら先を続ける。


「青い鳥って、幸せを運んでくるんだろ?
 なのに、俺…自分から逃がした。
 しかも、さっき青い鳥見るまで忘れてた。
 俺がアルの幸せも…逃がした」

情けないことに、声が震える。
それを労わるように、彼は背を撫でながら言葉をくれた。

「…違うよ。
 青い鳥は、自分自身のために飛び立ったんだ。
 籠の中に閉じ込められ死んでいくより、自由になって羽ばたきたかったはずだよ。
 だから、君は悪くない。
 君は青い鳥自身が幸せになるように手を貸しただけだ」

優しい、優しい言葉。
でも俺が逃がしたことは――アルから幸せを奪ったことは事実なんだ。

「でも、青い鳥は逃げた」

笑みを浮かべて告げれば、彼は痛みを耐えるような顔をした。




「鋼の…」

続く彼の言葉を遮るように、告げる。

「だから、青い薔薇を作ろうと思った。
 青い薔薇なら、もう逃げないから…。」

「青い薔薇は存在しないよ」

「…知ってる。
 でも、それじゃないと代わりにはならないから」

この世に存在しない青い薔薇を作り上げたとしても、代わりにはきっとならない。
それでも代わりになりそうなものは、それしか思いつかないんだ。

そう思うのに、彼の軍服を握り締める力は弱まらない。
彼を手放したくない。
離れたくない。

矛盾していると知っている。
彼もこの矛盾に気がついている。
でも、どうか、気づかないふりをしてほしい。



「鋼の、幸せになりなさい」

彼は乞うようにそう告げた。
彼のこの優しさに、どうしようもないほどに救われる。
だから、大丈夫。
だから――

「俺は…二番目でいい。
 アルが幸せにならない限り、幸せにはなれない」

彼の優しさを知っている。
その優しさに、触れられる。
だから、それだけで十分。

彼は頭を胸に押し付け強く抱きしめながら、小さく告げてきた。

「君が幸せにならない限り、私は幸せにはなれない。
 だから――」






その言葉で、十分だから。
その言葉だけで、十分に幸せだから。

その先に続く言葉を、言わないでくれ。

彼がその先に何を言いたいのか知っている。
けれど、どの言葉を彼が言おうとも頷けない。
どんなに嬉しくて望んだとしても、絶対に頷けない。

だから、もう何も言わないでくれ。
その言葉だけで、俺は幸せだから。
その先を望むことはできないし、許されないから。

けれど、それは俺だけの幸せで彼の幸せには通じない。
それを知っているのに、彼との決別の言葉は吐けないでいる。

彼に酷いことをしている。
それでも、彼を手放すことはできない。

言葉だけで十分に幸せになりながらも、彼が離れていくことは嫌なのだ。
傍に居て欲しい。
けれど、彼を一番に考えることはできない。

なんて、我侭で残酷なのだろう。




「…ごめん」

謝っても済まされないのに、この言葉しか出てはくれない。

「…ごめん」

何度も何度も、ごめん、と呟く。
彼は何も言わず、きつく抱きしめる。

彼に何も返せない。
それなのに、彼から俺は与えてもらってばかり。

アルからも、彼からも、俺は奪ってばかり。
何も、返せない。


けれど、せめてアルには青い薔薇をあげよう。
肉体を取り戻すよりは、きっと難しくはないだろうから。

それなら、彼には何を渡せばいい?
考えたところで、ひとつだけしか思いつかなかった。



「…大佐にも、青い薔薇やるから」

そう告げれば、彼の目に殺意にも似た怒りが見えた。
けれどそれは一瞬で、次の瞬間には諦めに似た笑みが浮かんでいた。

彼は抱きしめていた腕を解き軍服を握っていた俺の手を取り、その掌の上に口付けを落とした。
掌の上の口付けは、懇願の証。
以前、彼がそう言っていたのを思い出す。
見上げれば、彼は静かに笑い、言った。

「青い薔薇などいらない」

その言葉に答えようと口を開く前に、彼は強く抱きしめてきた。
答えなのど聞く気はない、と全身で告げてくる。
だから、彼は俺の答えを知らない。






青い薔薇など、きっと彼は欲しがらない。

彼の望むものは、彼が言うように俺が自身の幸せを一番に考えること。
けれどそれこそが、青い薔薇を作り出すより難しい。

だから、いつかあげようと思う。
青い薔薇のように、いつか時が経てば誰もが手に入れられるような花などではなく、
どんなに時間が経とうとも、変わらない俺の気持ちを。

それを渡すことができるまでには、時間がかかると知っている。
けれど、それでも彼が望むものはきっとこれしかないから。

――だから、俺という名の青い薔薇をいつか受け取って欲しい。






04.07.01 Back      Side.R