知り合ったばかりの女の温かな胸に顔を埋めて、一緒になって笑いあう。 酒臭い息が互いにかかるのさえ、楽しいと、馬鹿みたいに笑いあう。 可笑しいことなど、何ひとつないくせに。 Cynicism. 「アンタ、何したの?」 突然降りかかった声を無視して、抱きしめてくる女に向かって笑みを向ける。 「カカシ、答えなさいよ」 それでも、紅は俺に声をかけてくる。 女がムッとして突っかかるその前に、 紅の手が動くのを視界の端で捉え、次に起こる行動を止める。 手の中で、酒の入ったコップが小さく揺れた。 「何?」 「何、じゃないわよ。 アンタ、あの子に何をしたの?」 問い詰めるように睨みつけてくる目は、心底怒りに燃えていた。 その目を見て流石に女も酔いが冷めたのか、 またね、と口先だけの再会の言葉を残し慌しく去って行く。 「あーぁ。 可愛い子だったのに」 恨みがましい目で見てやれば、また紅の手が動いた。 今度は、止めなかった。 先ほどとは違い、紅の手は俺の頬に痛みを伝える。 その痛みに笑えば、馬鹿みたいに泣きそうになる。 「…そんな顔するくらいなら、どうしてあの子を傷つけるの?」 怒りではなく、やり切れなさに溢れた声で呟かれた。 それしか方法を知らないんだよ、と呟けば、 聴こえなかったのか聴こえないふりをしたのか、紅は何も言わず隣に座った。 「…サスケは?」 「アンタ、どうせ知ってるんでしょ?」 勝手に店の親父に焼酎を注文して、自分で酒を作りながら紅が言った。 「…ナルト、間に合った?」 「…あと少し遅かったら、出血多量で死んでたって」 「そっか」 ぎゅっと手を握った。 今更なのに、祈るように強くぎゅっと握った。 「あの子が何するかなんて、解ってたんでしょ? だから、ナルトを向かわせたんでしょ? 先生に届け物頼まれてなかったら、ってナルト震えてたわ」 サスケがどんな行動に出るか、解っていた。 解っていて放っておいて、俺は逃げて、 タイミングを見計って、ナルトにサスケ宛てに用事を頼んだ。 そこでナルトが、何を見つけるか解っていて。 教師、失格だ。 その前に、人として最低だ。 でも、それでも欲しかったんだ。 「もう一度訊くわ。 あの子に、何をしたの?」 「別に。 いつもと変らないさ。 嘘を吐いただけ」 ただ、それだけ。 嘘を吐いただけ。 俺が望んで止まない嘘を吐いただけ。 「最低ね」 「そうかな? 嘘を突き通せば、それは嘘じゃなくなるよ」 「詭弁ね」 キツイ眼差しが、俺を見つめる。 「かもね。 でも、それを互いに望んでるんだから仕方ないよ」 「それこそ、詭弁ね。 望んでるのは、アンタだけでしょ? あの子は、望んでないんじゃないの?」 問い詰めるように見つめてくる目は、 教師と言うより母親としての目線で、子どもたちを見ているのかもしれない。 紅にとって幼い生徒たちは、 生徒であると同時に自分の子どもに似た感覚なのかもしれない。 「お前に何が解るの? アイツのこと何も知らないくせに?」 笑って、言い放つ。 きっと酷い顔をしている。 「近すぎて、見えなくなることもあるんじゃないの?」 怯むことなく、冷静な目が返してくる。 「それは、それでいいんだよ」 「…最低ね」 本日、二度目の言葉を貰う。 その的確さに、笑うしかない。 そんなことは、言われるまでもなく知っている。 嘘を吐いた。 望んで止まない嘘を吐いた。 「イタチ、死んだって」 どんな顔で言ったっけ? 多分、何でもない顔で言った。 トマト安いんだって、とかそんな軽さで。 「…アンタが言うなら信じる」 サスケは呆然として言葉をなくし、 それからゆっくりと瞬きをして言葉を返してきた。 立っているのが不思議なくらい、血の気が完全に引いた顔で。 嘘だろ、と言われると思ってた。 どうして、と突っかかられると思ってた。 それなのに、サスケは静かに受け入れた。 俺が言うなら信じる、と。 馬鹿だと思った。 逆に俺が、何で問い詰めない、と訊きそうになった。 泣きそうにもなった。 だから逃げるように、任務があるからとまた嘘を重ねて部屋を出た。 その時、俺は笑っていた。 明日、任務遅れるなよ、とか言いながら。 でもこれからサスケがとるだろう行動なんて解りきっていて、 ナルトを見つけて時間調整のために話し込んで、 それから思い出したようにサスケの家に届け物をしてくれと頼んだ。 ごねるナルトに、時間がないからだとか、今度ラーメン奢ってやるからだとか言って。 その足で適当に女の子に声をかけて、飲み屋に行った。 酔ってもないくせに酔ったふりして笑って、誰かが来るのを待っていた。 サスケの無事を伝えてくれる誰かを待っていた。 「…何を、信じたんだろうな」 サスケは、何を信じたんだろうか。 サスケが起こす行動は解っていたくせに、根本的なことは結局理解できていない。 俺の嘘を信じたのか、俺自身を信じたのか。 「知らないわよ。 吐いた嘘さえ、言わないくせに」 紅が、吐き捨てるように言った。 「イタチが死んだって言ったんだよ」 驚いた顔で、紅が俺を凝視する。 そのあまりにも酷い顔に笑う。 「聞こえた? イタチが死んだって、言ったんだよ」 ちょっと考えれば、それしかないだろ? あの惨劇を体験した子どもが、自殺未遂を起こすほど衝撃を受けることなんて。 野望とさえも言った、生きる意味であるイタチが死んだ。 それ以外に、何があると言うのか。 俺が死んだと聞くよりも、衝撃を受けることは確かだ。 そんな自分の考えにさえ、苦笑と苛立ちが浮かぶ。 俺はいつまでたっても、イタチ以下でしかない。 「…そんな嘘」 「すぐにバレるって?」 紅の言葉を引き受けて笑った。 「バレないよ。 イタチのことは極秘事項だ。 洩らせば殺される。 俺が言わなきゃ、バレない」 「でも、あの子は上忍どころか暗部にだってなれる才能があるわ。 いつか極秘事項に関わってくる。 その時に…」 「才能があるのは認めるよ。 でも、なれると思う? イタチが死んだと思って自殺未遂するようなヤツが。 もう忍を続けないだろうよ。 続ける意味なんてないんだもんな。 生きる意味が死んだワケだし。 だから、バレない。 それにサスケに劣らず才能のあるナルトだって、 いつかイタチの情報を知るようになったところで、そんなサスケには何も言わない。 な?バレないんだよ」 先ほどまでキツイ目を向けていた紅が、怯えるような目で俺を見る。 「さっきも言ったよな? 嘘も吐き続ければ、嘘じゃなくなるって。 バレない嘘は、嘘じゃない。 それは、本当になるんだよ」 「…アンタ、何がしたいの?」 らしくもなく、掠れた声。 「欲しいモノがあるんだよ」 ただ、それだけだ。 「地位も名誉も、持ってるじゃない」 怯えた目が俺を見る。 「本気で言ってる?」 そう訊きながらも、違うと知っている。 紅も俺と同じ。 「そんなもの望んだワケじゃない。 ただ生きてきて、付随してきただけのモノだろ?」 「…たら。 だったら、何が欲しいのよ」 「確かなモノ」 意味を理解したのか、紅は目を見開いた。 俺とサスケを繋ぐ確かなモノが欲しい。 写輪眼だけじゃ足りない。 イタチがいる限り、俺はサスケの一番になり得ない。 サスケから一切のすべてを断ち切って、俺とだけ繋がるモノが欲しい。 「…馬鹿じゃないの」 怯えた目が、泣きそうな目に変わっていた。 きっと、俺も同じ目をしている。 「何で、アンタは…」 そう言ってまた、馬鹿じゃないの、と言った。 「欲しいモノを欲しい、って言えないんだよ。 俺も、サスケも。 言う相手がいなかったからね」 言うべき幼い日には、その対象はいなかった。 両親も、優しい大人もいなかった。 だから、こういったやり方しか知らない。 例え相手を傷つけたとしても、手に入るのならいい。 そうまでして欲しいモノなど、今もこれから先も他には何ひとつないのだから。 俺と同じであるサスケはそれを解っているから、俺を許す。 サスケは、俺が吐いた嘘をきっと信じちゃいない。 本当ならば、あんなに軽く言うはずがないと解ってる。 それでも、その嘘を信じた。 俺が言ったから。 そして何より、自分が信じたかったから。 本当は、ずっと解放されたかったんだ。 あんな小さな背中に、どれだけの重荷を背負っていたのか。 まだ、子どもなのに。 自分の、自分だけの未来を見ていればいい歳なのに。 それでも自殺未遂を起こすほどに衝撃を受けたのは、信じたくなかったから。 生きる意味の消失を、 大好きなお兄ちゃんの死を信じたくなかったから。 でも、もういいだろ? もう十分だろう? 解放を。 全てからの、イタチからの、解放を。 そして解き放たれたサスケを、今度は俺が捉える。 ――ごめんね。 「早く、行きなさいよ」 浮かんだ涙を髪に隠し、紅が言った。 「悪かったな」 「もういいから」 多めに紙幣を置いて店を出た。 外は、今年初めての雪が降っていた。 会いたかった。 早く、会いたかった。 俺が追い込んで自殺未遂までさせたのに、それでも会いたかった。 きっと、明日は雪が積もる。 新雪が降り積もる中、最初からやり直したかった。 サスケが俺だけを見る、新しい世界で。 例えそれが、嘘で塗り固められた世界だとしても。 何もかも、最初からやり直したかった。
Cynicism≒冷笑主義。 06.11.27〜11.28 ← Back