白い粉が音も立てず、琥珀色の液体に消えた。
俺は、何をしているんだろう。





Dead issue.






食後の珈琲をカカシに差しだし、自分は緑茶を啜る。
いつからこんなことが、当たり前の光景になったのか。

振り返ってみたところで思い出せない。
確かなことは、半年はゆうに経っているということ。

けれど、そんな当たり前の光景が今日は違った。



「そっちが飲みたいから、交換しよう」

そう言って差し出された、珈琲。
だけど飲みかけの緑茶を渡すワケにはいかなくて、
新しいのを淹れなおそうと立ち上がれば止められる。

「違うって。
 交換しようって言ったの。
 コレお前にあげるから、お茶ちょうだい」

言われるままに、飲みかけの湯飲みを差し出して、
琥珀色の液体が揺れるマグカップを受け取った。

カカシが入り浸るようになったから、買うようになった珈琲。
一口飲んでみたけど、苦味しか伝わらず味なんて解らない。

もともとがこういう味なのか、
それともあの白い粉のせいでこんな味なのかも解らない。

無味無臭のはずなのに。





「美味しい?」

ニッコリと笑って訊かれる。

一緒にいる時間が長くなるにつれ、
本当に笑っているのかそうでないのか解るようになったけれど、
今の笑みはどちらか解らない。

だから、どんな返答をすればいいのか解らない。

「美味しい?」

それなのに、カカシは笑ったまま同じ問いを繰り返すから、
苦い、と正直に答えた。

その答えに、ふっとカカシが笑う。



「ねぇ、俺を殺したい?」

笑ったままに、訊かれた。
何となく自分の行動が知られているとは解っていたけど、
こういう形で訊かれるとは思わなかった。

「俺を殺したいなら、こんな量じゃダメだよ。
 暗部にまでいた忍だよ。
 毒になんて慣らされている。
 だから、こんな軽い毒のこんな量じゃ殺せない」

馬鹿だな、と笑われる。
心底、人を馬鹿にした笑みの中、
見える怒りは、自分が殺されそうになったからじゃない。
それが解ってしまったのが、哀しかった。

「…らない」

呟いた声は、酷く小さかった。
けれど、聞こえたのか察したのか、
カカシは、本当に馬鹿だ、と呟いた。



解らない。

そんなのは、嘘だ。
ただ、認めたくないだけ。


握りこんだままだったマグカップの珈琲を一気に飲んだ。
苦い味と共に、こんな思いも消えてしまえばいい。




「美味しかった?」

酷く冷めた目で、カカシが訊いた。
答える声は出てくれなくて、ただ首を横に降った。

「そう?
 俺は美味しかったよ?」

何を言ってるのか解らなくてカカシを見ても、変らず冷めた目で見ているだけ。

「訊いてる?
 俺は美味しかったって言ったの。
 半年間も、どうもありがとう」

視線同様に酷く冷めた声で、感謝の言葉を言われた。




「あと1年も同じことすれば、流石に俺も内臓やられたね。
 ま、そのくらいで死にはしないだろうけど。
 ねぇ、もう止めない?」

あぁ、もう終わりなんだな。

俺も疲れた。
自分の行動の愚かしさに疲れた。

「あぁ」

了承の言葉は、すんなりと漏れ出た。
あまりのあっけなさに、もっと早く別れの言葉を言われると思っていたと気づいた。


「あぁ、って何?
 本当に解ってる?」

「あぁ」

別れたいってことだろ?
言外に目でいわば、鼻で笑われた。

「お前、本当に人の話聞かないよね。
 俺はありがとう、って言ったんだよ。
 別れたかったら言うかよ」

「でも、止めない?、って言っただろ?」

何を言われているのか解らなくて、思ったままに告げれば呆れた顔をされた。

「お前が、致死量にも満たない毒入り珈琲を淹れるのも、
 俺がそれを黙って飲むのも、
 いい加減、馬鹿らしいから止めない?って言っただけだろ」

お前、本当に馬鹿だね。
今度は、何処か哀れむように笑われた。




「俺は、死なないよ。
 それに、お前から離れてもやらない。
 解る?
 お前が望んでも、ってことだよ」

意味が、脳に浸透してくれない。
それでも、口は勝手に動いていた。

「望んでも?」

無意識に震える声で問えば、
望んでも、と強い言葉で返された。

生まれ出る感情は、酷い安堵。
それでやっと、自分の望みを、行動を認めた。




離れていって欲しくなかった。
ただ、それだけだった。

でも、引き止め方を知らない。
だって、みんな突然に死んだから。

誰かを引き止める方法を知る前に、
誰かを引き止めるほどの想いを知る前に、
みんな死んでしまったから。

だから、勝手にいなくならないようにと。
いなくなってしまうのなら、自分の手でと。

そんな思いで、毒薬へと手を伸ばした。



けれど、完全にいなくなって欲しくなかった。

死んだら、終わり。
それだけは、嫌と言うほど知っている。

死んだ人間は、生き返らない。
どんなに望んでも、生き返ってはくれない。

だから、猛毒には手を出せなかった。


そんな矛盾が、
中途半端な毒を選び、
致死量には程遠い極微量を入れさせた。


認めたくなかった自分の愚かな行動の意味を、やっと認める。
認めたところで、愚かさは変わりはしないけれど。

それでも離れないと言ってくれた言葉が、安堵をくれた。




「そっか…」

安堵のままに呟けば、泣きそうになった。
カカシは何も言わず立ち上がって、キッチンへと消えた。

そして、トレイにカップを乗せて持って戻ってくる。

渡されたのは、半分ほど入った琥珀色の液体。
思わず、眉間に皺がよる。


「苦いって言ったよな」

「お子様だからね」

言いながら、
トレイに乗っていたミルクを注がれ、白い粉も入れられる。

「お前の白い粉とは違うよ」

「知ってる」

どう見ても、粒子の大きさが違う。



「飲んで?」

言われるままに飲んだ。

「美味しい?」

甘かった。
甘いものは、好きじゃない。

それでも、今日は美味しいと思った。
けれど、そう素直になれるはずもなく。

「甘い」

とだけ応えれば、ふっとカカシが笑った。


「子供だね」

その言葉にムッとしたけど、
カカシが柔らかく笑んだままだから、何も言えなかった。

「だから、お前はそのままでいいんだよ。
 言いたいことがあるなら、口で言え」

言いながら頭を撫ぜられ、くすぐったかった。




珈琲も、
頭を撫ぜる手も、
カカシの存在自体も、
温かくって、優しくって、知らず涙が零れた。

咄嗟に珈琲を飲んで、苦い、と誤魔化すように言った。
砂糖を入れられたそれを甘いと言ったのは、つい先ほどのことなのに。
何か言われると思ったけどカカシは何も言わず、ずっと頭を撫ぜてくれた。


何もかもが温かくて、
その温かさで気づいてしまった事実が哀しくなって、嗚咽をかみ殺して泣いた。




想いは、共にある。
けれど、その種類が違った。

カカシが俺に向ける想いはすべての愛情で、
俺がカカシに向ける想いは、失った家族愛でしかない。

ただ、庇護されたいというのもとの愛情。


そしてそれを解っていても、何も言わないカカシ。




逃げるように珈琲を飲み込めば、
甘く感じたはずのそれが、酷く苦かった。






06.01.15〜11.27 Back