唄を忘れた金糸雀(カナリヤ)は
       後の山に棄てましょか 






唄を忘れた金糸雀
懐かしい唄が聴こえた。 誘われるままに足を向けると、裏庭でひっそりとサスケが唄っていた。 「懐かしい唄を唄ってるね」 声をかければ、疲れきった顔で見上げてくる。 「お前でも、唄うんだ」 揶揄って言ったところで、目に生気は戻ってこない。 瞬きを数回繰り返し、遠くを見るような目でまた唄いだす。 「ねぇ、サスケ言うことないの?  俺、久しぶりにお前んちに来たんだけど」 言いながら、笑いそうになった。 久々に来た理由が、女に振られたということだったから。 一体、何をしに来たのか。 それでも、言葉は止まらない。 「サスケ、聞いてる?」 サスケはゆっくりと顔を上げた。 「……いいのに」 「何?」 「…早く、捨ててくれればいいのに」 「…捨てて欲しいの?」 見つめた黒い目は、戸惑うように揺れた。 いつから、こんな目をするようになったのか。 いつから、自分の意思をはっきりと伝えなくなったのか。 いつから、こんな人間に成り果ててしまったのか。 「捨てて欲しいの?」 問う声は、無意味に響いた。 「唄を忘れた金糸雀は捨てられるんだろ?  必要なくなったら、捨てられるんだろ?  …中途半端は、もう嫌だ」 泣くのではないかと思うほど潤む目をして、サスケは笑う。 痛々しいその姿。 そんな人間にしたのは、まぎれもない自分。 金糸雀から唄を奪い取ったように、 サスケからサスケらしさを奪い撮ったのは、自分でしかない。 何のために? 存在意義を奪い取り、楽しむために? ただ、捨てるために? 伸ばした手が、白く滑らかな頬に触れた。 サスケは振り払うことなく、力なく笑うだけ。 「唄を忘れても金糸雀は、捨てられないよ。  象牙の船に乗せて銀の櫂を持たせて月夜の海に浮かべれば、忘れた唄を取り戻すから」 「でも、俺には象牙の舟も銀の櫂なんてモノもないんだよ」 だから、捨ててくれと言外にサスケが言う。 「俺が持ってる」 奪い取ったモノは、すべて俺の内にある。 だから、捨てない。 捨てられない。 「象牙の舟も銀の櫂も、俺が持ってる。  だから、お前はまた失ったモノを取り戻すよ」 生気のない目を見て言った。 サスケは、その目のまま笑った。 「それ、本気で言ってるのか?」 「……本気だよ」 奪った本人が、何を今更言っているのか。 それに奪い取ったものを、同じ形で返すことなどできない。 だからサスケが失ったモノを、もう一度手にすることなどできない。 けれど、捨ててくれ、と言うサスケなど見たくない。 そんなことを言われても、捨てられる筈などないのだから―― 「アンタ、俺をどうしたいんだ。  飼い殺しにしたいのか?」 「…そうだね。  そうかもしれないね」 奪うだけ奪って遊んだ挙句に飽きたら捨てて、気まぐれのように構って、 捨ててくれ、と言っているのに、それさえも承諾せずに…。 サスケを、手放せないでいる。 それはまさしく『飼い殺し』の状態でしかなく、 自分がしていることなのに、やりきれなくて力なく笑った。 「何でアンタがそんな顔するんだよ。  泣きたいのは、俺のほうなのに」 呟く悲痛な声は、心臓を握りつぶしそうなほど強く締め付けた。 けれどそんな声を、訴えを聞いても、手放せないのだ。 「奪ってしまったモノを同じ形で返せない。  でも、新しい形でなら返せるよ」 「…何言ってんだよ。  俺は、捨ててくれって言ってるんだ。  もう、構わないでくれ」 それが、互いのためだと知っている。 けれど、それはできなくて。 「象牙の舟と銀の櫂を作ろう」 言外に、最初からやり直そう、と告げれば、黒い瞳が揺れた。 「ふたりで、月夜の海に出かけよう」 そう告げれば、生気のなかった黒い目に一瞬光が戻った。 「サスケ?」 問えば、サスケは何か考えるように目を閉じた。 それから、ゆっくりと開かれる両眼。 その目は、鋭さを伴っていた。 「サスケ?」 もう一度呼びかけると、サスケは寒気がする程の笑顔で笑った。 「今日、満月なんだって。  だから、今夜海に出かけよう」 久しぶりに見る笑顔は、冷たい何かを放ってくる。 「今夜?」 「そう、今夜。  象牙の舟は、木の船でもいいよ」 変わらず冷たく感じる笑顔。 それなのに、サスケは楽しそうに声を弾ます。 「銀の櫂は?」 サスケは笑うのを止め、じっと俺を見つめたまま何も言わない。 「銀の櫂は?」 重ねて訊いても、答えてくれない。 「サスケ?」 呼びかければ、ふっとサスケは笑った。 冷たい笑みではなく、あどけない笑みだった。 その笑みのまま、楽しそうにサスケは言う。 「アンタ」 「サスケ?」 「銀の櫂は、アンタ。  金糸雀は、俺。  月夜の海に舟で出かけて、唄を取り戻す」 「…それは本当に取り戻すの?  取り戻す夢を永遠に見るんじゃなくて?」 「よく、解ってるな」 サスケは、楽しそうに笑った。 どうして、驚くことなくサスケの狂った言葉を受け止めているのだろう。 謝罪のつもりなのだろうか。 サスケからすべてを奪ったことへの、謝罪のつもりなのだろうか。 サスケは、俺に捨てて欲しい。 俺は、サスケを捨てられない。 それなら、サスケの行く処に行けばいい。 そこならばいい、とサスケは誘っているのだから。 あぁ、だからか。 だから、驚くことなくこの狂った言葉を受け止めている。 裾を捲くって触れた海水は、まだ冷たい。 今は6月で、夏にはまだ遠い。 あたりを見渡したところで、岸はもう見えない。 ただ空を見上げれば、満月とそれを囲むように星が散らばっている。 そんな静かな、静かな世界。 サスケは海に来てから、一言も話さない。 あの狂った光を宿していた目はいつもの生気のない目に戻り、 冷たさを放っていた笑顔も消えている。 今は、ぴしゃりぴしゃり、と海水をすくっては海に返す行為を続けている。 無感動に、幾度も幾度も繰り返す。 ふいにその手が止まり、じっと見つめてくる。 そして、漸く言葉が紡げられる。 「…何で、アンタ此処にいるんだ?」 「サスケを取り戻すため」 「アンタが奪ったくせに?」 「俺が奪ったからだよ」 「…身勝手だな」 疲れきった顔で、サスケが笑う。 「知ってる」 「アンタは取り戻せないよ」 「取り戻せるよ。  象牙の舟も、銀の櫂もあるし、月夜の海に浮かんでいるんだから」 「でも、俺は望んでいない。  知ってるだろ?」 「知ってるよ。  それでもいいと思ったから、今、此処ににいるんだよ」 「だから何で、知ってるくせにアンタ此処にいるんだ?」 「お前を手放せないから」 「…何言ってんだよ」 あぁ、本当にその通りだ。 でも、結局はそれが答えなのだ。 取り戻したいけれど、取り戻せないと知っている。 それに、サスケが望んでいないことも知っている。 けれど、サスケが望んでいることが何なのかも知っている。 それなら、それをすればいい。 「…舟、出せよ」 揺れる水面を見ながら、サスケが呟く。 どっらに向かって?、とは訊かなかった。 無言で舟を漕ぎ出す。 キィキィと物哀しい音を立てて、岸から遠ざかっていく。 「補陀洛浄土(ふだらくじょうど)」 またぽつりとサスケが呟いた。 「何?」 「昔、近所の婆が言ってた。  浄土を目指して、南方の彼方へ船出するんだとよ。  船出と言えば聞こえはいいけど、  信仰表出であり、漂流、入水の形態をとって行なわれた一種の捨身行なんだと」 そこまで言うと、サスケは空を見上げて笑った。 一緒になって見上げると、うすらぼんやりと輝く星の中で一際輝くアルタイルが。 「俺たちも南に向かっているんだな…。  浄土に行けると思うか?」 「行けるよ」 浄土なんてあるはずもないのに、 そう答えれば、そうか、とサスケは笑った。 子どもらしいあどけない笑顔とは程遠い、疲れきった笑みで。 ふたり揃って、星空を仰ぎ見る。 その間も、舟はゆらゆらと沖へと向かう。 あるはずもない極楽浄土に向かって。 それでも、ふたりだけでいられる場所に向かって。 未来なんてない。 ただ揃って終わるために、舟は進んで行く。
2004.06.03〜2007.01.22 アルタイル→9月の空では南に見えるらしい。
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