夕暮れの畦道を並んで歩いていると、カカシがふと足を止めた。
つられて立ち止まり顔を上げれば、
少し離れたところにある崩れかけの墓石と、それに手を合わせ拝む人を見ていた。






Never forgets.

「見てて楽しいか?」 赤と藍色が混じる夕暮れの中、墓に手を合わせる人間など見て何が楽しいというのか。 そんな思いを込めて言ってやれば、カカシは口の端を上げ笑った。 「んー、別に」 「なら、早く帰るぞ」 止まっていた足を数歩動かしても、カカシはまだ動く気配はない。 溜息を吐き出しながら振り返えれば、まだ墓と人を見ていた。 いい加減にしろ、と言おうと口を開いたが、それはカカシの声に遮られる。 「――でも、ぞっとしない?」 今だに墓と人を小馬鹿にした笑みを浮かべ見ながら、カカシが言った。 「…何が?」 問えば、やっとカカシは俺を見た。 口元には、嘲るような笑みが。 「折角死んだのに、誰かの記憶に残るなんて」 瞬間、一度だけ見た光景がフラッシュバックした。 霧雨が降りしきる中、慰霊碑を前にして佇む男。 俯き、その表情は伺えなかった。 けれど、あれはカカシだった。 言葉が何も見つからなくてカカシを見つめれば、またカカシは笑った。 それから、また視線を墓と人に移す。 相変らず、その人間は墓の前に座り込み手を合わせていた。 「死んだら終わりなのに、  他人に好き勝手に記憶を継ぎはぎされて、ああやって他人のいいように解釈されるんだよ。  もう生きてはいないのに、存在していないのに、  誰かの記憶の中に俺ではない俺が存在が、そいつが死ぬまで存在し続けるんだよ。  …俺なら、ぞっとするね」 クスクス楽しそうに笑いながら、カカシが言った。 けれど、俺は相変らず何も言えない。 ただ、カカシを見ている。 ゆっくりと、カカシが振り返る。 そしてまた笑いながら、言葉を重ねる。 「ね?ぞっとするよね?」 「……アンタが言うのか?」 「何?」 俺は、知っている。 カカシが遅刻する理由を。 下らない理由をつけているけれど、 本当は慰霊碑に何時間も馬鹿みたいに突っ立っている。 何を思ってその前に立っているのかは、知らない。 けれど―― 「アンタだけは、そういうことを言わないと思ってたよ」 目を真っ直ぐに見て言った。 その言葉が、視線が何を意味しているのか知ったのか、カカシはもう笑っていない。 無表情で俺を見つめていた。 耳が痛くなるような沈黙が数瞬続いたが、それを破ったのはカカシだった。 「…甘いね。  俺だから、言うんだよ」 小さく笑みを吐き出しながら呟き、また墓へと視線を移す。 視線を移したその先には、墓から立ち去る人の姿が。 「俺がどういう思いで、慰霊碑の前に馬鹿みたいに毎日立ってるか知ってる?  好き勝手都合のいいこと並べ立てるためだよ。  懺悔する気などないけれど、気がついたら馬鹿みたいに、  どうしてあの時――…って考えている。  それがどれだけ愚かしく、自分勝手なことだと知っていながらね。  どうやったところで過去になど戻れるはずもなく、  戻れたところで、間違いなく俺は同じ行動しかしないはずなのに、それでも愚かしくも毎日悔いる。  親友に、先生に…」 カカシが言葉を切り、ゆっくりと俺を見る。 浮かぶ言葉は何もなく見つめ返せば、カカシは嘲笑を浮かべた。 「…でも、それは本当に親友だったのか、先生と慕っていたのかすら覚えていない。  本当は違うのかもしれない。  記憶なんて、どうとでもなる。  勝手に親友だったとか、いい先生だったとか都合よく記憶をすり替えているのかもしれない。  …記憶の中の人間は、  結局俺が都合よく作り上げた幻想と深く絡み合っていて、それはもうそいつ本人ではない。  それなのに俺は、そんな存在しない相手に、毎日馬鹿みたいに懺悔をしている。  そこにどんな意味がある?  死んだら終わりでいいのに、継ぎはぎされた人物像で消えることなく存在する。  俺じゃない俺に懺悔して何になる?  そんなの生き残った人間のエゴでしかない」 俺だったら絶対に嫌だね、とカカシが吐き出した。   「…アンタが。  アンタが絶対に嫌だと言っても、俺は絶対に忘れないからな」 気がつけば、そう言い放っていた。 情けなくも震える声で、情けなくも知らず潤む目で見上げながら。 カカシは目を伏せ、笑った。 それは嘲笑のモノで、俺は馬鹿みたいに胸が痛んだ。 「お前だけは、俺のことをきれいに忘れると思ったんだけどな。  だから、選んだのに…」 痛む胸をさらに抉る言葉をカカシは吐き出す。 「絶対に忘れてやらない。  俺がアンタより先に死んだ時に、アンタが俺のことを忘れたとしても。  絶対に、俺は忘れてやらない」 カカシはゆっくりと閉じていた目を開け、俺をその隻眼に映し出した。 「それが俺自身じゃないとしても?」 カカシは、もう嘲笑を浮かべていない。 射抜くように、ただ俺を見つめる。 それに押されることのないように、両手を握り締め答えた。 「あぁ。  例え、それがアンタじゃないとしても」 言い切れば、カカシは俺をじっと見つめ、笑った。 嘲笑の笑みではなく、諦めたような笑みだった。 「言い切るんだな」 酷く疲れたような掠れた声で、カカシが呟く。 「あぁ、言い切ってやる。  今生きて俺が認識しているアンタですら、アンタからすれば本物じゃないのかもしれない。  でも俺はどう足掻いたところで、  俺が思い、知るアンタをアンタだと認識することしかできないのだから、それは俺にとって本物だ。  生きている今でさえそんなものなんだから、アンタが死んだところで忘れてやらない。  絶対に、忘れてやらない」 筋が通っているようで通っていない、そんなことを口走っていることは解っている。 今自分が言っていることは、 子どもが馬鹿みたいに違うと言い張っていることと変わらないのかもしれない。 でも、それでも言わずにはいれなかった。 死んであれこれ言われるのは、嫌だと思う。 禄に自分のことを知らぬ相手に、好き勝手言われることは嫌だと思う。 でも、そんな相手にどう思われようと、もう死んでいるのだから別にいい。 けれど、大切な人にはどんな形であれ、残っていたいと思う。 忘れられるのは、寂しすぎる。 例えそれが、自分という輪郭をぼやけさせたモノでしかなかったとしても、残っていたいと思う。 大切な人であれば、尚更に。 そう思えば思うほどに、悔しさが込み上げる。 俺だけはきれいに忘れてると思った、とカカシは言った。 その言葉は、カカシにとって俺はその程度の人間だったということを意味し、 さらにそれは俺の思いを軽視していることになる。 言われるまで俺も気づかなかったけれど、 どうやら俺は死んでアンタに忘れられても仕方ないとは思っているが、 その逆はできないと思うほどには、大切に思っているらしい。 心許す人間など作らないと決めたこの俺が、 いつの間にか大切に思っていたというのに、アンタはその態度。 悔しすぎて、睨み上げた。 「俺は、絶対に忘れないからな」 カカシは、また小さく笑った。 「俺は、忘れるよ。  親友や先生に対してみたいに、毎日お前の墓前に立たないよ。  お前のことだけは、絶対に忘れるよ」 何を、言っているのだろう。 言葉をなくしたように、馬鹿みたいにカカシを見上げた。 「俺は、忘れるよ」 静かに、静かに、微苦笑を浮かべ、カカシが言葉を重ねる。 馬鹿だと思った。 俺も、カカシも馬鹿だと。 カカシと一緒にいて、何度も思ったそれをまた思った。 忘れたくないほどに、俺は大切に思っている。 けれどカカシは、忘れたいほどに、俺を大切に思っている。 死んでも、互いに交わらないらしい。 想いは果てしなく、互いに向き合っていても。 けれど、その言葉で十分な気に思えた。 そうやって妥協するのが馬鹿である証拠のように思えたけれど、それでも十分だと思えた。 睨み上げていた目を緩めた。 溜息にも似た諦めの笑みが漏れた。 カカシも同じ笑みで笑った。 「俺は、忘れない」 笑みを浮かべたまま言い切れば、カカシも笑みを浮かべたまま言い切った。 「俺は、忘れるよ」 「別に、それでいい」 行き着く先は違えど、想いは一緒ならばそれでいいから。 「…いい加減、帰るぞ」 吹っ切るように背を向け歩き出す。 けれど、それを呼び止める声。 「サスケ」 それは嘲笑めいても諦めを感じさせるものでもない、柔らかな声。 振り返れば、カカシは笑っていた。。 声と同じほどに柔らかではないが、それでもどこか柔らかさを感じさせる笑顔。 「俺は、忘れるよ」 「…もう聞いた」 もう、その話は終わっただろ?、 そんな意味を込めて再び歩き出そうとすれば、再び呼び止められ振り返る。 「でも、一日だけ思い出す。  今日のことは忘れない。  毎年一度、今日だけは思い出すよ」 言っている意味が解らなくて見つめ返せば、誕生日だから、と告げられた。 それなりの時間を共有していて初めて、カカシの口から自身のことを聞いた。 多少なりとも嬉しいと感じればまだよかったのに、哀しいと思った。 何もこんな時に言わなくてもいいだろ? アンタ、今俺と何話しているか解っているのか? どちらかが互いに死んだ話をしているんだよ。 そんな時に、誕生日だから絶対に思い出す、とか言うなよ。 そう思うのに、それでも何とも言えぬ笑みは漏れ出る。 諦めとも自嘲とも言える笑み。 カカシにとって、誕生日などはっきり言ってどうでもいいことだと知っている。 ただ戸籍上生れた日、歳がひとつ増える目安の日、としか思っていない。 それなのに、ちゃんと覚えておいてくれると思えば、それは破格の扱いなのかもしれない。 そう考える時点でもう終わっていると知りながら、それでも選んだのは俺自身。 何をどうやっても互いに譲れないモノがあるのだから、仕方がない。 執着などしない俺は、忘れたくないと思うほどにカカシを思っていて、 執着できないカカシは、忘れたいと思うほどに俺思っている。 そして、年に一度は思い出してもいい、といいほどに思っている。 それ以上にも、それ以下にもなりようがない。 「そうかよ。  ありがとうって言っておいてやるよ」 そう言って笑った。 心から笑った。 カカシも笑った。 心から笑った。 背を向け歩き出す。 もうカカシは呼び止めることはなく、後ろに続く気配を感じる。 誕生日だと告げられたけれど、オメデトウ、は言わなかった。 言う必要などなかったから。 これから先、ふたりで過すことがあったとしても、俺は絶対に言わないだろう。 ただこの日だけは忘れるな、と思いながらその日を過してやる。 思いが交わればいい、と未だに思うことがある。 けれど、もういいのだ。 諦めることは、カカシと付き合うようになって覚えたことだった。 それで上手くいくことがあるのだと知った。 そうしない限り、上手くいかないことがあるとも知った。 そういうことを教えてくれたことを含めて、俺はアンタを忘れない。
04.09.07〜09.14 カカシ,お誕生日おめでとう。
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