時計を見れば、23時半をまわったところ。
もう少しで今日が終わるとともに、今年が終わる。
だから、外は深夜だと言うのに、人の笑い声が聴こえる。
賑やかな声が聴こえる。

今なら、大丈夫。
今だから、大丈夫。
この闇と騒ぎに乗じて、里を抜けられる。
――そんなことを、思ってしまった。






それでも、ずっと…
人の波に乗って神社へと向かう。 そこから裏手に回れば、里は抜けられる。 きっと見張りも浮かれてる。 だから、大丈夫。 そう思っていたのに、呼び止められる声。 「何処へ行くの?」 身体が一気に硬直する。 今から全力で逃げ出したとしても、里を抜けきれる可能性は半分。 ――殺るか。 覚悟を決めて振り向けば、笑うカカシがいた。 「な…っ!?」 「俺って解からなかった?  サスケも甘いね」 言葉が出ない。 気配に気づかなかったことはもちろん、 声を聴いたのに、それがカカシだとは気づかなかった。 「サスケ、何処行くの?」 訊くまでもない問いをするカカシを睨む。 「大晦日の夜に神社に来るのは解かるけど、ここは裏手だよ。  ここにもこの先にも、何もない。  あぁ、この先には里の境界線があったっけ?」 で、何処に行くの? 歪んだ笑みをたたえて、月明かりを背に問うカカシ。 ワケのわからない冷汗が背を伝う。 「で、サスケ何処に行くの?」 「…」 何か言おうと口を開けるのに、言葉が出てはくれない。 何を言ったらいいのか解からない。 口は無様に開いたまま。 「サスケ?」 嬉しそうに歪んだ笑みとともに問う声は、それでも続く。 一歩、わざとらしくカサリと音を立て、カカシが近づく。 それに、ビクリと震える身体。 クっと、笑う声が聴こえた。 その声に、身体が漸く反応する。 頭がいっきに冷えた気がした。 「アンタが思っている処に行くんだよ」 自分への嘲笑とともに吐き出す。 『里を抜けに行く』と直接言っても今更何も変わらないだろうに、その言葉は言えなかった。 『何処に行く?』と問われた答えにはなっていない気がしたから。 行く場所なんてなかった。 ただ、賑やかな声をひとりでなんて聴きたくなかった。 だから、何処にいるとも知らないイタチのもとに行きたかった。 行って、自分が何をするのかも解からないままの、ある種の衝動的な『里抜け』だった。 「ふーん。そうなの?  にしては、もう行く気なさそうだよね?」 言いながら掴まれる手。 その手を払いのけもせず、じっと見つめた。 「…」 「サスケはさ、行く気なくなったかもしれないけど、俺はあるんだよね?」 「…は?」 見上げたカカシは、にやにやと笑っている。 「だからぁ、サスケは俺が思っている処に行く気だったんでしょ?」 「は?」 「さっき、お前そう言ったでしょ」 …言った。 確かに、言った。 けれど、何か違う気がする。 「言ったけど…」 「でしょ?  で、お前は行く気ないみたいだけど、俺にはあるわけ。  もっと言えば、俺はひとりで行く気はさらさらなくて、お前と行きたいのね」 解かる? そう笑って言うくせに、掴まれた腕の力が増した。 有無など言わさぬ、とそれが言っている。 何処に行くのか知らないけれど、きっと何を言っても無駄なのだろう。 ただ、溜息が出る。 …何か、もうどうでもよくなった。 アンタ、ある意味凄いよ。 反論しなくなった俺に満足したのか、カカシが笑った。 さっきまでの馬鹿にした笑いでも、にやにやとした嫌な笑いでもない、そんな笑い方。 カカシは俺の手を引いて、どんどん歩いていく。 行こうとしていた神社の裏の先には向かわず、もと来た人ごみの中へと突き進む。 けれど、神社に行くわけもでもないようだ。 だって、今はまた山の中。 遠くで、除夜の鐘の音が聴こえる。 その音にカカシが立ち止まる。 「除夜の鐘で煩悩消し去るなんて、ありえないよね」 見下ろした街に向かって、カカシが呟いた。 何でもない言葉だったのに答えることができなくて、 カカシの顔が見れなくて、ただ同じように街を見下ろした。 「行こうか。まだ、先は長いしね」 それから数時間、暗闇の中を無言で歩いた。 ずっと掴まれたままの手首が痛くもあり、温かくもあった。 「着いたよ」 その声に顔を上げれば、開けた平地があった。 何もないのに、いや、何もないからこそ眺めが凄い。 眼下には里が見え、遠く果てには海が見える。 その果ての海から、白み始めた空が見える。 「ここ…」 「特等席」 そう言って、その場に座り込む。 掴まれたままの手に引きずられるように、つられて座り込む。 「ずっと、見てな」 そんなこと言われるまでもなく、目が逸らせない。 空が変化していく。 振り返れば濃い闇がまだあるというのに、水平線上には赤く滲む太陽が見え始めている。 綺麗だった。 それは、本当に綺麗だった。 「泣くなよ」 「え?」 空いた手で目元を拭えば、確かに濡れていた。 呆然と濡れた手を眺める。 ゆっくりとした動作で覗き込まれ、その手を捕らえられる。 両手とも、掴まえられた。 「…どけよ。  太陽が、見えねぇ」 「見なくていいよ」 そう言うカカシの目は酷く真摯で、見ていられなくて目を逸らした。 「逸らすなよ」 「…」 「サスケ、見ろって」 何を? アンタを? …見れるかよ。 いつまで経っても見ようとしない俺に、カカシが溜息を零す。 そして、片方だけ離される手。 もう片方は、ずっと掴まれたまま。 「…陽が、昇ったね」 視線を上げれば、太陽を見つめるカカシの横顔と完全に姿を現した太陽が見える。 「これをお前と見たかったんだよ」 小さく呟かれる言葉。 ゆっくりと振り返ったカカシと視線が絡む。 あの居たたまれなくなるほどの真摯な視線がそこにある。 「誘いに行けば、お前何処かに行こうとしてるしさ。  まいったね。  お前、何処に行こうとしてたの?」 ここまで来ても、アンタはあれを『里抜け』しようとしてた、なんて言わないんだな。 なぁ、それって優しさ? それとも、俺が何も言わずに出て行くはずがないっていう自惚れ? 「ねぇ、お前何処に行こうとしてたの?」 重ねて問う言葉に、口を開いた。 けれど、目は閉じた。 アンタの顔を見れなかったから。 「アイツの処に行こうとした」 カカシの変化が読めなかった。 驚いたのかもしれないし、呆れたのかもしれないけれど、何の変化も読めなかった。 ただ、静かに問われた。 「居場所も知らないのに?  会って、どうするつもりだった?」 殺せたのか、と訊かれた気がした。 解からない。 そんなことは、解からない。 ただの衝動だった。 聴こえてくる浮かれた喧騒が嫌だった。 ひとりだと思い知らされて嫌だった。 誰かのもとに行こうとすれば、思い浮かぶのは唯一人、アイツだった。 アンタではなく、アイツだった。 何でだろうな。 殺したいし、殺さなきゃいけない相手なのに、アイツのもとに行けば何とかなると思った。 馬鹿だよな。 ――なんで、アンタを思い出さなかったんだろう。 目を開ければ、やはり真摯な眼差しのカカシがいる。 「ひとりは嫌だった」 答えになっていないとは思ったけれど、唯一解かっていることはそれだけだった。 「俺を思い出さなかった?」 「…思い出さなかった」 「そう」 カカシはゆっくりと、太陽へと視線を向けた。 あれほど赤かった太陽もいつの間にか、普段と変わらぬ霞んだ黄色へと変わっている。 あれほど綺麗だったというのに、今では昨日見た太陽と何ら変わりがない。 なぁ、カカシ。 何も変わっちゃいない。 年が明けると浮かれる奴等がいたのに、 そのせいでワケの解からない衝動に駆られたと言うのに、何も変わっていない。 俺は一生アイツに捕らわれたままなのか。 なぁ、カカシ。 ――教えてくれよ。 もうワケが解からなくなった。 カカシの空いた手が伸び、目に触れた。 泣いていることに今度は気づいていた。 瞬きをするたびに、涙が零れ落ちる。 声も出さずに、ただ、泣いた。 その間ずっと、カカシは手を掴んだままだった。 昨夜からずっとその手は掴まれたまま。 手を繋ぐわけでもなく、掴まれたまま。 ずっと、そうしていて欲しいと思った。 きっと気づかないから、アイツに捕らわれてしまって、アンタのことに気づかない。 でも、アンタのことも捨てきれないから、その手で捕まえていて欲しいと思った。 繋ぐのではなく、掴んでいて欲しいと思った。 アンタに残酷なことを強いていると解かっていても、 それでもこの手をずっと掴んで離さないで欲しいと思った。
2003.12.27〜12.30 新年、おめでとう御座います。 新年早々、こんなSSを書いてしまいました。 恐らくどころか確実に、 今年もこんな雰囲気のを書くこと間違いなしですが、今年も宜しくお願い致します。
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