「だから、私言ったネ」 にんまりと神楽が笑った。 アゲハ蝶 「あー、もう。 うるせーな。 いいから、お前、アレ持ってこい」 「アレ?」 「チョコだよ、チョコ。 冷蔵庫ん中あったはずだから」 「そんなもんないアル」 …何で、お前が知ってんですか? しかも、言い切ってくれちゃってんですか? 「まさか、喰ったとか言わねぇよな?」 「それがどうしたアル?」 当然のように言い切る神楽。 ふざけんな。 アレは俺の非常食だったのに。 何してくれちゃってんの? 「テメェ、アレがどれだけ大切だと知っての狼藉かっ」 「物々交換ネ」 にっこりと、邪気のある笑みで神楽が答える。 「はぁ? お前が俺に何くれたっつーの? つーか、逆に寄越せ。 毎度毎度、来るたびに鍵かドア壊しやがって」 「ハッ、銀ちゃんこそ、何言ってるアル。 それ、私やったネ?」 指で指し示した先、俺の隣で眠ったままのガキ。 「これは、テメェが押し付けただけだろうが。 俺はくれなんて、言っちゃいねぇ」 「でも、気に入ったアル。 大好きなチョコ取りに行くより、そいつの手を離せなかったネ」 言い放たれた正論に、思わずグッと言葉に詰まる。 あー、本当に何やってんだか。 たかが手を離すだけで、チョコにありつけたのに。 何より大切な糖分より、こんなちっぽけな手を選んでしまうなんて。 これって、どんな異常事態だよ。 「ま、チョコなんて冷蔵庫ん中に残ってないアルけど」 …人が珍しくしんみりしてりゃ、何その態度。 結局はテメェの、罪を帳消しにしたかっただけじゃねぇの? 「あー…、もういい。 神楽、金やるから糖分買ってきて?」 「銀ちゃん。 金で動くなんて、私そんな安い女じゃないヨ」 何、真剣な目で嘘吐いてんの? 「俺も、お前も、金次第だろうが」 何でも、仕事受け付けます。 金次第で、盗みから人殺しまで。 そんな、万屋家業やってんだろ? 俺も、お前も。 「…望んだワケじゃないネ」 そう言って俯いた神楽の表情は、前髪に隠れ見えない。 こいつもまだガキと同じような年頃で、まだまだガキなんだ。 そんな当たり前のことなのに、いつも忘れてしまうことを思い出された。 「…悪ィ」 「じゃ、桁ひとつあげるアル」 顔を上げた神楽は、にっこりと笑った。 邪気のない笑みのようで、邪気たっぷりの笑顔。 …騙しやがったな。 「…2倍に負けろ」 「5倍で、手を打つアル」 勝ち誇った笑みに勝てる気力はなく、言われたままの金額を放り投げた。 「なぁ、こいつ何処で拾ったんだ?」 「――歌舞伎町、B地区」 B地区。 金さえあれば何でもありな、無法地帯っつーあそこですか。 「…お前、何でそんなトコいたの?」 「仕事以外、何があるネ」 ギュッと金を握り締めた拳が、悔しそうに少し震えていた。 「…そうだな」 「ねぇ、銀ちゃん。 そいつ、キレイだったアル。 あのゴミ溜めみたいな汚い街で、 血に塗れたヤツらが転がっている中、小汚い格好なのにキレイだったアル」 羨ましいね、と歳不相応に大人びた哀しそうな目で神楽が言った。 「…そっか」 「…そうアル。 だから、銀ちゃんにやったアル」 続けられた言葉は解らなかったけれど、連れ帰った意味は解った気がした。 「よし、今日は肉だ。 神楽、肉買って来い」 「銀ちゃん、こんなはした金で肉なんて買えないアルヨ。 もっと、金寄越すアル」 金を握り締めた手とは、逆の手を差し出される。 その手を、パシリと振り払う。 「バッカ、お前。 なんとかしてこそ、女ってもんだろ」 「何、腐れたヒモの精神言ってるアル。 適当に仕事して、女んトコに転がるのは止めるネ。 これからは、立場逆転なんだから改めるアルヨ」 「はぁ? 何、言ってんの?」 「銀ちゃんが、そいつ養うアル。 だから、いい加減マジメに働くネ」 ケラケラと楽しそうに神楽が、笑って出て行った。 無邪気に、笑う神楽を久しぶりに見た気がした。 「オメェ、ヒモだってよ」 視線を落として、ガキを見た。 ガキは、下から俺をじっと見ていた。 反論どころか言葉ひとつなく、死んだ魚のような目で。 それでも、シャツを掴んだ手は離されないまま。
06.06.04 ← Back