人肌が温かいだとか安心するだとか、
土方は教えてくれたのに、俺は何も教えられないまま。





望まぬ暁

追い上げられて、意識を手放した土方をぎゅっと抱きしめている瞬間だけが幸せ。 それから再び意識を取り戻す暫くの間が、どうしようもないほどに嫌いだ。 ぐったりとした体を抱きしめる。 汗ばんだ肌。 それでも、体温の低い肌。 すべてが、愛おしい存在。 このまま朝まで眠ってくれりゃあいいのに。 何も考えないように、ぐっすりと眠ってくれりゃあいいのに。 そう思うのに、 やはり今日も長いまつげが揺れ、ぼんやりとした黒い目が開かれる。 「…る」 掠れた声が、何かを告げる。 聞き返すまでもなく、その言葉が何か知っている。 何度も何度も、繰り返された言葉。 同じだけ、聞きたくないと思わされた言葉。 「もう少しだけ」 駄々をこねるガキのように、ぎゅっとまた抱きしめた。 それなのに、そっと抱きしめた手を外される。 ゆったりとした動作で、脱いだ服を着ていく土方。 キレイな白い肌に、俺が残した赤い跡が覗く。 引き止めたいと思うのに、それが無理だと知っている。 だから、何も言わない。 口を開けば、土方を困らせる言葉しか出てこないから。 「…見送らねェよ」 毎度のことながら顔も見れないままに、言った。 「いらねェよ」 土方は苦笑で答えて、出て行った。 残される俺。 取り残される気持ち。 気持ちを告げて、それに応えてもらって、 頼み込んで許しを得て、体の関係ができて、 あーなんて幸せなんだと思っていた頃が懐かしい。 でも、それは本当に僅かな間。 土方の異変に気づいたのは、 夜を一緒に過ごすようになって、暫く経った頃だった。 ただでさえ白かった肌は青白くなり、 眼窩は窪み、見て取れるほどにやつれていった。 「オメェ、大丈夫か?」 抱きしめた腰の細さに、息を呑む。 「何が?」 土方が、笑って答える。 それが決定打。 哀しいことに、土方の笑顔なんて禄に見たことがない。 見れた時はバカみたいに俺が喜ぶから、土方は余計に照れて見せてくれない。 だから照れもせず見せてくれる時は、誤魔化している時でしかない。 「なー、俺ってお前の何?  恋人だろ?  隠し事はするなとは言えないけど、体壊すまで我慢するなよ」 「何言ってんだ。  何もねェって言ってんだから、何もねェんだよ」 俺の腕を払って、背を向ける。 何、らしくなく逃げようとしてんの? 逃げてんじゃねェよ。 「何もないって、ことはないだろ?  そんな今にも倒れそうな顔しやがって」 「煩ェな。  俺がねェって言ってんだから、ねェんだよ。  つーか、気づかないんだからいいじゃねェか」 思考能力まで低下しているのか、 明らかに言わなくてもいいことを言ってしまった、というふうに狼狽して顔を背けられる。 何それ? やっぱ、俺が原因? 何となく解ってはいたけれど、面と向かって言われれば俺だって動揺する。 しかも、苦しそうに叫んで言われたんだから尚更だ。 呆然とする俺に、土方は逃げようと走り出す。 呆然とした頭の中でも、ここで逃がしたら終わりだと解って、 逃げ出そうとする手を掴んで振り向かせたら、今にも泣き出しそうな顔があった。 信じられないものを見た。 土方が、泣くとは思わなかった。 何があっても絶対に、俺の前で涙を見せてくれないと思っていたから。 でも見たかったのは、こんな涙じゃない。 俺が困らせてどうするんだよ。 俺が慰めたり、癒したりするために見たかっただけなのに。 こんな涙が見たかったんじゃない。 「…土方」 その後に、何を続ければいいのか解らない。 土方は悔しそうに、俯いたまま。 掴んだ手から、震えているのが伝わってくる。 「ごめん」 自分の何がいけなかったのか、解らない。 けれど、自分が土方を酷く困らせ追い詰めていることだけは解る。 「…ごめん」 「テメェが悪いわけじゃない」 「でも…」 困らせているのは、俺なんだろ? 「なー、言ってくれよ。  何を我慢してんだ?」 頼むから言ってくれ。 じゃなきゃ、俺まで苦しいんだ。 「…から」 「何?」 「…今夜行くから」 だから今は離せ、と告げてくる。 俯いたまま辛そうに背けられた顔は胸に痛くて、諦めた。 それでも逃がすことなどできなくて、きっちりと逃れられないように約束を取り交わす。 「絶対だな」 「あぁ」 顔を背けられたままでも頷いたことを確認して、掴んだ手を解いた。 「で、何が原因?」 周りくどい聞き方などする余裕もなくて、 訪れた土方と言葉を交わすよりも前に腕を掴んで引き入れて訊いた。 覚悟して来たはずなのに、土方は逃げるように俯く。 「なー、土方。  ちゃんと言ってくれ」 ぎゅっと抱きしめると、びくりと肩が震えたのが伝わった。 とんとんと、落ち着かせるように背を撫ぜる。 「…れねェんだ」 「何?」 「眠れねェんだ。  誰かの体温があると、眠れない。  安心できるはずなのに、頭では解ってるのにっ…」 怖い、と最後に呟かれた言葉は、静かなのに悲痛な叫びに聞こえた。 眠れない、と土方は言う。 俺が傍にいると眠れない、と。 それでも、安心できるはずの存在だとは、思ってくれているらしい。 「なぁ、俺といるの嫌?」 問いかけに、ゆるゆると土方は首を振る。 「俺と寝るの嫌?」 その問いにも、やはり土方は首を振る。 「じゃあ、俺と眠るのは?」 土方は、もう首を振らなかった。 でも、頷きもしなかった。 「…そっか」 それだけしか言えなくって、その日は朝までずっと馬鹿みたいに抱きしめていた。 土方は諦めたように放心したように微動だにせず、 俺はそんな土方の顔を怖くて見れず、 ただ朝なんか来なければいいと、愚かにも祈っていた。 それでも朝は来て、 土方は何も言わず寝不足でふらついた足で帰ろうとする。 その手を掴んで、止めた。 ビクリと揺れる肩が、痛々しかった。 「なぁ、それでも俺はお前が好きなんだ。  だから、これからも抱くよ」 振り返りもせず、土方は立ち止まったまま。 それに追い討ちをかけるように言った。 「お前が苦しむと解っていても、手放せねぇよ」 土方は数瞬の沈黙の後に、また来ると言った。 来ないと思った。 手放すつもりなどなかったけれど、 暫くは距離を置くつもりではいたのに、数日後に土方は来た。 「馬鹿だな」 苦笑交じりに言えば、 土方は、そうだな、と同じ苦笑で返した。 相手を苦しめると解っているのに手放せない俺。 苦しいと解っているのに離れられない土方。 何のために抱き合うのか、解らなくなることがある。 何も知らなかったあの頃が、一番幸せだったのかもしれない。 でもそれでも、その頃に戻りたいとは思わない。 だから、ひとり残されて生まれるこの痛みも、受け入れなければいけない。
05.09.12〜06.07.23 Back