「ただいま」 そう言って、笑った。 Oath. 見上げてくるヒバリの目は、僅かに潤んでいた。 一度として、俺はこんなヒバリを見たことはない。 ここまで、感情を引き出せなかった。 だから、10年前の自分に負けたと痛感した。 でもそれは当然だと解っているから、仕方がない。 諦めた、とは違う。 ただ10年前のあの一生懸命さに感心し、どこか誇らしかった。 「ランボがいてさ…って、まぁ当然だろうけど、 疲れたような笑い方するって、泣いたんだ」 言いながら、ヒバリの頬に触れる。 昔は触れさせてもらえなかった。 触れる前に、触れていいか、とも訊いていたのを思い出した。 潤んだ目が、じっと見つめてくる。 でもそれだけで何も言わないから、勝手に喋る。 「大人になったからって答えたんだけどさ、それって答えになってねぇよな」 本当に、なんて馬鹿な答えをしたんだろう。 子ども相手に、そんな言葉など通じるワケないのに。 真っ直ぐな子どもの心には、そんな言葉は無意味なことでしかないのに。 「ランボがさ…。 あの頃の俺は、絶対にヒバリから離れないと誓ってるって言って、 ヒバリのことは逃げてるって言ってた」 黒い目が、僅かに揺らいだ。 それに、少し笑った。 反応が僅かでも返ってくることが、嬉しかった。 「それで、目が覚めた。 誓い、立てたんだよな。 …忘れてたワケじゃねぇんだけど。 ヒバリの気持ちが解んなくなって、ちょっと諦めちまった。 でも、誓いってそんなんじゃねぇよな? ヒバリの気持ちなんて関係ない。 俺が、自分に立てた誓いだ。 だから…うまく言えないけど、ヒバリが嫌だと言っても離れねぇから」 言葉にすれば、単純なことだった。 それなのに、馬鹿みたいに悩んで自滅しかけた。 こんなに簡単なことだったのに。 そう思うと、やはり笑ってしまった。 じっと見つめてくる目が、ゆっくりと閉ざされる。 恐怖はない。 変わらず感情を隠す目が現れようが、 冷たい目がそこに現れようが、どうでもいい。 立てた誓いに忠実に生きるのみ。 笑って待っていれば、黒い目が現れた。 感情を読ませてくれない目。 それでも、意志の強そうな目。 ずっと昔に良く見ていた目。 「嘘吐き」 言い放たれた言葉は適切で、 あまりにも適切すぎて、胸が痛かった。 「…うん、ごめんな。 でも、もう嘘は吐かない」 「俺の記憶にさ、ランボに頼んでまでこっちに来たってのはないんだ。 だから、あっちとこっちは違う。 繋がってない。 あっちの俺ももう間違わないから、大丈夫だ」 言ってて、うまく伝えられているか解らない。 それでも伝えたかった。 過去はひとつしかないけど、未来は数え切れないくらいあると思う。 そこからどれを選び取るかで、未来は変わってくる。 選択ひとつで、未来は変わる。 それが解っていれば大丈夫。 もう間違わない。 こんな未来になると解っていて、間違う馬鹿ならそれまでだ。 でも、絶対にそんな未来を選び取らないと知っている。 だって、誓ったのだ。 誓いは本物。 だから、間違わない。 あっちの俺も、今からの俺も。 「もう間違わない。 誓いは、違えない」 嘘偽りのない気持ちを告げる。 相変わらず、底の見えぬ深さの黒い目を見ながら。 「好きだ」 何度も告げてきた言葉。 それなのに、ずっと言ってなかった言葉。 「…信じない」 揺らぐことなく、真っ直ぐに見つめてくる目。 「いいよ、信じなくても」 告げれば、僅かに揺らいだ目が愛おしかった。 それを安心させるように、笑う。 「言ったろ?誓いだ、って。 ヒバリの意見なんてどうでもいいんだ。 ただ、俺はそれをずっと実行するだけだ。 ずっと、な」 もう一度、好きだ、と告げた。 ゆっくりと閉じられる目が開かれることに、相変わらず恐怖はない。 何を思われようと、言われようと、 俺の気持ちは何があろうと変わらないのだから。 「勝手だね」 目を閉じたまま告げられる言葉に、笑った。 呆れるでも怒るでもなく、全身の力を抜いて言うから。 そんな無防備な姿を見せてくれるから。 「あぁ、悪いな」 「思ってもないことを」 ゆっくりと開けられた目が、少しだけ笑っていた。 ずっと見ていなかったそれに、泣きたくなった。 それを隠すように、覆いかぶさって抱きしめる。 「好きだ」 どうしようもないくらい。 それしか、言葉が出てこないくらい。 言葉もなく、ずっと抱きしめた。 ヒバリは言葉も発せず、行動も起こさずただ受け入れたままだった。 ふいに、後頭部を抱きしめるように手が伸ばされた。 強くじゃないけれど、 そっと伸ばされたその手が愛おしくって、身勝手にも許された気になった。 再び泣きそうになるのを固く目を閉じることで押し留めて、 何度目か解らない同じ言葉を繰り返した。 ――好きだ。 この気持ちは、本物。 もう間違うことも、誓いを違えることも絶対にない。
06.01.12〜07.12.17 ← Back