恋をしろよ、と言ったのはオヤジだった。


もう5年も経つけれど、未だにこの想いが恋だとか愛だとかは解らない。
そのくせ、愛してる、なんて言葉を吐き出している。

いっそ、ただの執着だと割り切れればいいのか解らない。











      在 り を 探 す 旅 路 











「面白いことしてんだって?」

小僧がニヤリと笑った。

「面白いこと?
 何だそれ。
 何もしてねぇよ」

面白いことなんて。
ただ、ヒバリを軟禁してるだけだ。


「なぁ、辞めていいぜ?」

「何を?」

「マフィア」

「…はぁ?
 お前、何言ってんだよ」

一応、幹部なんてものをやってんだ。
簡単に辞めれるはずもない。

まぁ、笑って言ってる辺りで本気じゃねぇんだろうけど。

「冗談だと思ってるだろ?
 本気だから、考えとけよ。
 お前は元々こっちの世界にいたワケじゃない。
 だから、ツナだって後ろめたく思ってんだ。
 辞めたいなら、いつでも言えよ。
 すぐに、ってのは流石に無理だけど、引継ぎさえしてくれりゃあ別にいいぜ」

ニヤニヤと笑ってるくせに、それが本気だと知れる。








「…何なんだよ、突然」

「だって、お前。
 金、貯まったろ?」

「そりゃ、貯まったけど…」

5年間もこの世界にいるんだ。
危険と隣り合わせな分稼いでいるし、 
昔は解らなかった株にも手を出してるから、それなりに貯まってる。

その上、支出は録にないから、
日本でサラリーマンやってても一生稼げない額は、もう疾うに貯まってる状態だ。

でも、それがどうしたと言うのか。


「お前がこっちに来た理由が、全部解決したんだろ?
 なら、無理してまでいなくていいって言ってるんだよ」

イタリアに来た理由。
ヒバリを探すための情報を得ること。

それは、もう解決したけれど。

「…無理なんて、してねぇだろ?」

悪どいことやって、人も殺して、
両手を赤く染めても、何の罪の意識なんて浮かばない。

無理なんて、してない。

「それは、ヒバリがいなかったからだろ?
 お前は金を貯めて何をしたかったんだ?
 金が貯まっても、今の状況じゃ意味ないんだろ?」

だから、別に辞めていいのだ、と言う小僧は、どこか宥めるような口調。









「まぁ、ゆっくり考えればいい。
 お前だけで結論出してもいいし、ヒバリと一緒に決めてもいい。
 どんな結論を出そうとも俺は何も言わねぇから、ちゃんと考えて決めろよ」

それだけだ、と言って席を立とうとする小僧を呼び止めた。

「俺が探し出す前から、ヒバリの居場所知ってたんだろ?
 いつから気づいてた?」

ずっと訊きたかった。
確証なんてないけれど、小僧は知っていた気がする。

それをどんな想いや思惑があって、俺に黙っていたかは知らない。

「訊いても意味ねぇだろ?」

答える気なんてさらさらないとでも言うように笑って、小僧は出て行った。




ずるずると深くソファに沈み込む。
両手で顔を覆い、項垂れた。





昔、欲しいモノがあった。

そのためには金が必要で、
それ以前に、傍にヒバリがいることが前提で。

今は金もヒバリも手の内にあるけれど、
小僧の言うように、欲しいモノを手に入れるには危険な状況でしかない。



なぁ、ヒバリ。

どうすれば、いいんだろう。
俺は、どうしたいんだろう。




















「ただいま」

家に帰り、部下にヒバリの様子を訊けば、大人しくしてくれていたらしい。
連れてきて半年、その間ずっとヒバリは大人しいまま。
報告を終えた部下を帰らせて、奥の部屋へと向かう。

ヒバリはソファに凭れ、床に座っていた。
ぼんやりと窓の外を見ている。

「ただいま」

もう一度声をかければ、ゆっくりと顔が上がり、お帰りと言った。
ただそれだけなのに、泣きたくなった。

すぐ傍に膝をつき、抱き寄せる。
抵抗もなく、大人しく腕の中におさまる。




欲しかったモノを思い出した。
何が欲しかったのか、今、実感した。




「どっか、遠い処に行こう」

あぁ、また、懇願じみた声になってしまった。

身じろぎ、ヒバリが顔を上げる。
どこかぼんやりとした視線に、また泣きそうになるのを無理して笑みと変えた。

「俺さ、昔、欲しいモノがあったんだ」

何を、と視線で促される。

「…家が、欲しかったんだ。
 ヒバリが、学校なんてのに留まって時間潰してまで帰りたくないような家じゃなく、
 すぐに帰りたくなるような、ずっといたいって思うような、
 いってらっしゃい、とか、お帰りとか、
 そんな何でもない挨拶して幸せになれるような、あったかい家が欲しかった」

そんな家を、ヒバリにあげたかったんだ。

理解できないのか、
不思議そうに瞬いた瞼に唇を落とす。


ずっと、思ってた。

寂しいとか、辛いとか、
そんな感情すら知らないような真っ黒の目に光が灯ることを。
キラキラと輝いた光でなくとも、
密かに灯ったような光でもいいから、って思ってた。



「…馬鹿だね」

俯き顔を隠し、
小さく呟かれた言葉からは、ヒバリの気持ちは解らない。

「…そうかも知れねぇけど、本当なんだ」

だから。

「…だからさ、どっか遠い処にいこうぜ。
 そんでさ、最初から、やり直そう」

やり直すも何も、本当は最初から何もなかったけれど。
それでも、そう言いたかった。

もう、子供じゃない。
誰にも頼らずとか迷惑かけずになんて無理だけど、子供の頃を思えば比じゃない。


「俺、マフィア辞めるから…。
 数年くらい何もせずにのんびりしてさ、暫くしたら何か店でもやるか?
 幸いに、俺、料理上手いし。
 それで、気が向いた時だけに開けるんだ。
 南の島とかでさ」

軟禁してる俺が言える言葉じゃないけど、そんな穏やかな幸せを酷く求めている。




「…どうして?」

肩に顔を埋められたまま、静かに問われる。

「…どうして、だろうな」
 
ぎゅっと抱きしめて、考えた。

恋と呼ぶには醜く、
愛と呼ぶには欲深く、
まるで、執着のよう。

でも、それだけじゃないんだ。

「――ただ、好きなんだ」

恋とか愛とか解らなぬままに、この感情は確かにあって。

「ヒバリといたら苦しいけど、それ以上に、幸せなんだ」

笑ってくれたら、それだけでいいって思える。
同じように、ヒバリが思ってくれればいいって思う。

だから。



「だから、一緒に行こう」

「…いいよ」

信じられない言葉を聞いた気がした。

「…本当に?
 もう、銃弾欲しいって言わねぇ?」

アイツのトコに行きたいなんて言わねぇ?

「…言わないよ」

もういいから、と呟かれるその言葉に酷く安堵した。

「…そっか。
 すぐには無理だけど、急ぐから、絶対行こうな」

ぎゅっとまた抱きしめれば、小さく頷かれるのを感じた。



































マフィアは辞めた。
一応幹部なんてものをやってたから、
辞めたところで狙われる可能性も高く、
追跡されぬよういろいろ小細工をして南の小さな島に家を買った。


ヒバリは家の傍の海を、いつも見ている。
最初は入水自殺をするかもしれないと思っていたけれど、
そんなことはなく、木陰で海を見ているだけだ。



「ヒバリ、メシできたぜ」

窓から身体を出し、呼ぶ。
沈みゆく赤い夕日が目に痛い。

ヒバリは立ち上がり、扉ではなく俺のいる窓に寄ってきた。

「ヒバリ?」

「まだ、持ってる?」

唐突の言葉なのに、それが何なのかをすぐに悟る。

「持ってるさ」

ポケットの中から取り出したのは、昔ヒバリがしていた時計。
似合わない、ゴツいシルバーの時計。
返さないままで、勝手に捨てることもできなかった時計。

「…返して、欲しいか?」

少しだけ訊くのが怖かったけれど、ヒバリは横に首を振った。

「…もう、いらないから捨てていいよ」

それだけ言って扉に向かうヒバリを呼び止める。

「っちょ、待て」

振り返って立ち止まったヒバリを目に留めて、急いで外に出た。






「一緒に、捨てようぜ?」

ずっとそうしたかったんだ。
いつか一緒に捨てたい、って思ってた。
そうすれば、ヒバリを呪縛から開放できるって思ってた。

今となっては、
呪縛はそれだけじゃないけれど、少しでも軽減したいと思う。

右ポケットから、5年間持ち続けていた時計を取り出した。
ヒバリはじっとその時計を見て、じゃあこれも、と言って付けていた時計を外す。

「…え、ヒバリ?」

だって、それはアイツから貰ったヤツだろ?
ずっと大事にしてたじゃねぇか。

「…もういらないから、いい」

ぎゅっと時計を握って歩き出したヒバリの後を追った。


波打ち際に並んで立つ。
ヒバリはなんの躊躇いもなく時計を海へと投げ捨てた。

右手の中の時計を見る。
呪縛の象徴にさえ思えたヒバリの時計。

――それを、投げ捨てた。
それは一度だけ、
キラリと光り、弧を描いて海へ消えた。




「今度、時計買いに行こうな」

ずっと解き放ちたいと思っていた呪縛を捨てたと言うのに、
何でまた、新たなる呪縛を、と思ったけれど、もうどうしようもないんだ。

ヒバリが、何も言わずいなくなることはないって思っていてもダメなんだ。

イタリアにいた頃の狂気に似た想いは、まだ胸のうちにある。
それが、どうやってしても消えないことも知っている。

「…いらない」

「…そりゃ、
 ここじゃ時計なんていらないかもしれないけど、あったほうがいいだろ?」

「いらないよ。
 持ってるから」

そう言って、ヒバリはポケットから時計を取り出し腕につけた。

「…それ」

見覚えのあるそれは、俺があげたものだった。
ホワイトデーのお返しに、って。

「まだ、持ってたんだな」

ヒバリは答えず、小さく笑っただけだった。





「アイツのこと、愛してた?」

返ってくる答えを解っているくせに訊いた。

「…愛してたよ」

何度も聞いた答えが返ってくる。

ヒバリは、振り返り海を見た。
捨ててしまった時計を後悔しているのだろうか。

「父親像を、見てたんだよ」

小さく浮かべられた笑みは、自嘲と言うには柔らかなモノ。


「君は、僕を愛してるの?」

いつか、訊かれた台詞。
返す言葉は、いつかとは違った答え。

「好きなんだ」

狂気すら覚えるほどに。
執着を覚えるほどに。

「それを愛してると言うのなら、愛してる。
 でも、言葉にするとしたら、
 愛してるってより、好きだってのが合ってる気がする」

上手く伝えられないニュアンスの違い。


でも、きっとそれが正直な気持ち。
愛してる、と言った時の言いようのないもどかしさはない。
苦しさは変わらずあるけれど、それはどこか晴れやかな感じがある。

だから、愛してる、というより、好きだと思う。



「ヒバリは?」

「…さぁね」

ただ、と言って俺を見上げてくるヒバリを見返す。
もう陽は落ち、表情は上手く読めない。

「今の君の隣は嫌いじゃないよ」

それだけ言って、家へと向かうヒバリを呼び止めた。

「もう、何処にも行かねぇ?」

「…行かないよ」

振り返り答えられた言葉は、ずっと望んでいたものだった。








5年経っても、これが恋だとか愛だとかは解らない。

でも、5年経っても、大事だと思う。
守りたいとも思う。

それは変わらずあって。



あぁ、忘れてた。



オヤジの言葉は、
恋をしろよ、としか覚えてなかったけど、他にも言ってたんだっけ。

何もかも捨てでも守りたいと、
エゴとしか言いようのない思いを抱く人間に会えるなんて、
一生に一度出会えるかどうかだから、
出会えたら、その相手が女だとか男だとか関係なく、
想いに正直になれ、って言われた。

犯罪に走ったらどうする、って言ったら、
その辺は信じてる、って言われたけど、
そこは親父を裏切る形になってしまった。


けれど、親父は許してくれる気がする。
複雑な想いを押し込め苦笑して、
出会っちまったんだから仕方ないよな、って言ってくれる気がした。




他の全てなんてどうでもいいほどに、
俺には、ヒバリだけなんだ。


出会って、しまったんだ。
ヒバリには、迷惑でしかないかもしれないけれど。





「ヒバリ」

再び呼びとめた俺を、鬱陶しそうに振り返る。

「何?」

「好きだ」

想いを込めて、
想いを噛みしめて、
何度目だか知らない言葉を告げる。

それほどに、言いたかった。


恋とか愛とか解らないけれど、
何もかも捨てても求めるのはお前だけだった。

その理由は言葉にすれば、たったの三文字。
けれど、それ以外に何もなかった。


「好きだ」

馬鹿みたいに繰り返す俺に、
ヒバリは小さな溜息を吐きだし言った。

「もう知ってる」

それだけ言って、家へと向かうヒバリ。





肯定されなかった想い。
けれど、否定もされなかった想い。


それなのに、
帰る場所は、同じ場所。


それが、嬉しかった。




「ヒバリっ」

扉へと手を伸ばしたヒバリの手をとり、
数年ぶりに見る自分がやった腕時計を撫ぜ、唇を落とす。

これから先、
同じ時間を刻めることを祈るように、誓うように。


「もう、どこにもいかないよ」

呆れたように、諦めたように、
それでも、どこか笑みを乗せたその声が嬉しくて、
思わず泣きそうになって、それを隠すように強く抱きしめた。




何年もかかった想いが、
今、やっと落ち着いた気がした。

胸に溢れる想いは、
ただ、好き、という言葉から、
愛おしい、という言葉に変わった。


離せ、と怒るでもなく、
たどたどしく、服を掴んでくるヒバリが愛おしかった。


泣きたくなるほどに、幸せだった。






08.10.16 欺瞞五題:リライト様提供 Back