3月31日。 今日で最後。 明日から、ヒバリはもうここにはいない。 The last day. 校門を出る前に、惜しむように学校を見渡してヒバリは背を向けた。 ずっと、不思議だった。 どうして、あんなにも学校を好きだったのか。 考えても解らなかったけれど、 家庭環境を考えると、唯一と言えた居場所のように思えた。 でも、きっと、それがすべてではない。 勝手な想像でしかないけれど、 高校に入ったところで、あんな執着を持たないと思った。 「なぁ、高校行っても迎えに来ていいか?」 ヒバリの行く高校は、3駅先の進学校。 電車通学になるけれど、 並盛中にいた頃のように誰よりも先に登校するなんて思えないから、 前より少しだけ遅い登校になる。 それなら、せめて駅まででも一緒にいたい。 帰りまで一緒に、とは言わないから、 それだけでも認めて欲しかった。 「来なくていいよ」 何の感情も見せず、ヒバリが答えた。 「うん、でも、待ってるから。 一緒に行こうな」 家の前で待ってるから、と笑えば、 ヒバリは呆れたように溜息を吐き出した。 「…部活は?」 「朝練はほとんど自主練だからいいよ」 だから、と言えば、勝手にすればいいと言われた。 その言葉が、ただ嬉しい。 「じゃ、入学式ん時に来るから」 またな、と手を振った。 ヒバリは、じゃあね、と言った。 その時、気づけばよかったんだ。 そうすれば、まだなんとかなったのかも知れない。 じゃあね、なんて一度もヒバリは言ったことがなかったのに。 何で、あの時、気づかなかったんだろう。 けれど、何を言っても今は遅い。 入学式当日に、ヒバリの家に迎えに行った。 何時に家を出るかなんて訊いてないから、 少し早いと解っていても、以前と同じ時間に玄関の前で待っていた。 でも、ヒバリは一向に出てこなかった。 8時を過ぎても、9時を過ぎても、 流石に焦って何度もインターフォンを押しても誰も出てこない。 携帯にかけても、電源が入っていないと言われるばかり。 倒れているのかもしれないと思って、 強硬手段で進入を謀ろうとしたところで声がかけられた。 「どなた? 何か御用かしら?」 振り返れば、中年の女性。 たぶん、ヒバリの家のお手伝いさん。 「あ、えっと、 俺、ヒバリの友人なんですが、 今日一緒に学校行く予定だったのに出てこないんです」 必死になって言う俺に、 お手伝いさんらしき人は、何を言ってるのか解らない、とでも言うように首を傾げる。 どうして焦らないのか。 早く、家の鍵を開けてヒバリの無事を確認したいのに。 「早く――」 鍵を開けてくれ、と言う前に、理解できない言葉を聞いた。 「あの、何か勘違いされてませんか? 恭弥さんは、もう入寮されて此処にはいらっしゃいませんよ?」 入寮って、 此処にはいないって、何? 呆然と立ち尽くす俺に、女性が教えてくれた。 ヒバリが隣県の有名な進学校に入学したことを。 4月に入ってすぐに、そこの寮に引越したことを。 ご存知なかったんですか、と、 気の毒そうに訊かれ、ゆるゆると首を振った。 なんか、もう、ダメだった。 何も考えられなかった。 それでも焦る気持ちに急かされるように家に帰って、 ヒバリが入学したという高校に電話をかけた。 かけたところでどうにもならないと解っていたけれど、 そこにいると言う確信を持ちたかった。 でも、そこで訊かされたのは、いない、と言うことだった。 個人情報の関係で詳しいことは教えてくれなかったけれど、 入学していないことは確実だと知らされた。 何で? あのお手伝いさんが嘘を吐てるようには見えなかった。 それなら、あの人はきっと知らされてない。 何も知らず、あの学校に入学したと思っている。 何処に行った? どうして、何も言わず消えた? ヒバリの意思なのか、 家族の意思なのか解らないままに、 ただ現実として、ヒバリは俺の前から消えた。 どんなに必死になって探しても、 中学生の俺が調べられることは限られていて、 結局、何も解らなかった。 それでも調べることは止めなかったけれど、 その代わりのように、野球は辞めた。 調べる時間が惜しかったし、何よりも熱中できなかったから。 ついでに、 いつ何かの足しになるかも解らないと、勉強を頑張ったら、 あのお手伝いさんが言っていたヒバリがいる有名進学校に受かってしまった。 合格通知をじっと見る。 受かったところで、ヒバリなんていないのに。 そんなところに、行く気なんてないのに。 荒れる、とまでは行かないけれど、 それでも以前と変わってしまったであろう俺に、親父は何も言わない。 ヒバリのことも、何も言わない。 そんな優しさに感謝している。 これから先どうしようか、と思いながら、 今やることは、とりあえず合格を担任に伝えに行くこと。 「どうした?」 学校へと向かう道、小僧がひとり立っていた。 まるで、俺を待っているかのように。 「お前、どうするんだ?」 それを今悩んでいたところだって言うのに、 小僧は少しだけ意地の悪い笑みを浮かべて問う。 「さぁ、どうすっかな。 とりあえず、ここは行かねぇよ。 近場も受かってるから、そこ行くかな」 持っていた合格通知をヒラヒラさせながら答える。 近場と言っても、 そこには、ヒバリもいなければ、ツナも獄寺もいないけれど。 「楽しそうじゃねぇな」 その言葉に苦笑する。 当たり前だ。 楽しいことなんて、何ひとつありはしない。 「一緒に来ないか?」 何処へ、とは訊かない。 だって、もう知っている。 マフィアごっこだと思っていたけれど、本当にマフィアだったことを。 ツナも獄寺も、4月になる前にイタリアに向かうことも。 「…行かない」 イタリアなんかより日本にいるほうが、ヒバリに近い気がするから。 「来いよ」 嫌いじゃないだろ、とまた笑う小僧に、漏れるのは苦笑ばかり。 「犯罪に誘うなよ」 よく知らない世界だけど、キレイ事ばかりじゃない世界だってのは解る。 「怖いなんて思ってないだろうが」 まぁ、そうなんだけどな。 言葉に窮すれば、心底楽しそうに小僧が笑った。 「お前、欲しいモノがあるんだろ?」 一瞬、言われた意味が解らなかった。 「何?」 「お前、言ってただろ? 100万あれば貯金するって」 言われて思い出すのは、1年前のホワイトデー前日。 確か、そんな話をクラスメイトにしていた。 「何が欲しいかなんて訊かねぇけど、 一緒にくれば、すぐ金は溜まるぜ?」 まぁ、その分危険だけどな、と、 言う小僧を見ながらも、昔のことを思い出していた。 昔、欲しいモノがあった。 それには、金が必要だった。 今、欲しいモノは、 ヒバリと、そのためのヒバリに関する情報。 小僧の言うように一緒に行ってマフィアになれば、 危険と引き換えに金は入るだろうし、 一介の高校生が知りうるはずのない情報網を得ることもできるだろう。 何の手がかりもなく、 ただヒバリがいるだろう日本にいるよりは、 それを駆使してヒバリを探すほうがマシに思えた。 それならば。 「解った。 一緒に行くよ」 答えに、小僧は満足そうに笑った。 簡単に決めてしまった、進路ではなく将来。 裏社会で生きて、 ヒバリに再会しても、望むような未来は得られないかもしれない。 でも、そんな先のことよりも、 今はただ少しでも、消えたヒバリに近づきたかった。
08.09.26 ← Back