目が覚めたら見知らぬ部屋の中。 僅かに漏れ出た月明かりの中、 部屋の端に置かれた見覚えのある鞄に、ここがどこだか悟った。 Dead slumber. 「起きた?」 予想通りの男が、暫くすると戻ってきて笑う。 聞きたいことはいろいろあったけれど、 そんなことはどうでもよく、熱に浮かされた頭でただひとつだけを聞いた。 「何時?」 腕にはめていた時計は外され、見渡した部屋にも時計はない。 意図的に隠されたと解るその所業。 「23時前」 迷いもなく告げてきた男の目を、じっと見据える。 それを受け止めながら、男が笑う。 「まだ、今日、だ。 だから、大丈夫。 寝てていい」 まだ、今日が終わっていない、と男が言う。 だから、安心してここにいればいい、と男が言う。 嘘だと思った。 時計がなくても、 熱で朦朧とした頭でも、 それでも信じられる体内時計が、嘘だと告げてくる。 でも、今は信じたかった。 弱くなった心は、それを信じたかった。 「…1時間経ったら、起こして」 掠れた声で告げれば、男は困ったように笑う。 たぶん、僕が言う言葉を解っていたのだろう。 「あぁ、起こすよ」 だから寝てろ、と瞼に手を翳される。 温かい手が気持ちよく、促されるように目を閉じる。 同時に意識が落ちて行く中、これも嘘だ、と思った。 男は、起こさない。 目覚めるのは朝だ。 弱っているのは今日だけでいいと思うのに、 心が、体が、何もかもを放棄する。 そのまま眠りに落ち、 気が付けば、案の定、夜明け前とは言え朝と言ってもいい時間。 視線を横に流せば、 床に座り込みベッドに突っ伏して眠る男。 「 」 自分でも、呟いた言葉は何か解らない。 それでも何かを呟いて、気づかれぬようにそっとベッドから抜け出す。 それから壁にかけられていた制服を着て、扉に手をかけた。 一瞬振り返ったけれど、男は同じ体制のまま眠っていた。 ゆっくりと扉を押し、静かにその場を立ち去る。 初めての家でも迷うほどでもなく、すぐに見つかった外に通じる扉。 鍵のことを考えたけれど、 寝たふりをしている男のことを思えば、戸惑いも消えた。 外に踏み出せば、白銀の世界。 寝ている間に、雪が降り積もったらしい。 キラキラと汚れが一点もないその一面に、踏み出すことを戸惑った。 けれど僅かに動いた気配から、逃げるように踏み出した。 もう昨日の自分など、思い出さない。 無様な姿など、思い出さない。 温かだった手の感触さえも、思い出さない。 そう思ったのに、立ち止まる。 思い出したことが、ひとつ。 時計が、ない。 腕時計は外されたまま。 一縷の望みを書けて、制服のポケットを探す。 けれど、それは見つからない。 振り返った。 もう遠くなって家など見えないのに、それでも振り返った。 振り返れば、 白銀の道の中、僕の足跡だけが残っている。 なかったことにできないと思った。 まだ、継続中でしかないと思った。 何もかもなかったことにして、 何食わぬ顔でいようと思ったのに、 できるとさえ信じて疑わなかったのに、それをあの男は許すのだろうか。 あの男こそ、何食わぬ顔で笑ってなかったことにしてくれるだろうか。 考えて、首を振った。 例えそうだとしても、 残してきてしまった時計が、あの時間を否定してくれない。 もう考えるのは嫌だった。 男がどうでるか、その時に考えればいい。 対して自分がどうでるかも、その時考えればいい。 どうせ、なるようにしかならないのだから。
07.03.13〜07.17 ← Back