「いいね」

口の端を上げて、ヒバリが微かに笑った。





The day of leaving hospital.





学校対抗マフィアごっこが終わって、2週間目にして退院。

ツナも獄寺もビアンキも結構なケガを負ったが、
それでも小僧の知り合いとかいう医者のおかげでほぼ完璧に元通り。

一番退院の遅かった俺を待っての快気祝い。

そんな中、あの場にヒバリがいたと知る。
それも俺と同じで、今日退院したらしい。




「俺、会わなかったけど?」

「ヒバリさん、前に俺と一緒だった病院に移ったんだ。
 群れるのが嫌って言って」

「あそこもなかなかの設備だしな」

小僧が、訳知り顔でひとり頷く。


「じゃ、何で今日退院だって知ってんだ?」

「会ったからな」

俺の持って来た寿司を美味そうに頬張りながら、小僧がもぐもぐ答える。

「何処で?」

「やけに、知りたそうじゃねぇか」

にやりと笑われて、やっと気づく。

そういや、何でこんなに気になってんだっけ?
今の今まで忘れていた上に、
あの初対面で殴りかかられた挙句、ケリを入れられて以来会ってないというのに。

それでも今更とはいえ気になってしまうのは、アイツがいつもひとりだからか。



群れるな、と言うヒバリこそが、
強がっているように、寂しがっているように見えるのは、
一体どんな血迷いごとかと自分でも思う。

けれど快気祝いと称し、
ツナの母親とビアンキが腕を振るってくれたこの場に、当然のようにヒバリはいない。

誰もヒバリがいないことに不自然だと感じないままに、俺だけが取り残される。

一度気になればどうにもできなくて、
悪ィ、親父が待ってるからと、半分本当で半分嘘を言って、
抗議の声を聞かないふりで席を立った。




外に出て、我に返る。

何処へ行けばいいんだっけ?
こんなことなら、小僧に聞いておけばよかった。

でも今更戻るワケにも行かなくて、
じゃあ思い当たる所にでも、と思ったところで思い当たる所なんてひとつしかない。

共通点なんて、何もない俺とヒバリ。

それでも唯一の場所へと、足を向ける。
いないだろうと思いながらも、いるんだろうなと思って。






「何?」

思い切り眉間に皺を寄せて、
日曜だというのに制服を着こんだヒバリがいる場所は学校の応接室。

「…何でいんだよ」

いや、いるんだろうと思ったから来たんだけどよ。
それでも、やっぱり何でって思うだろ、普通。

「いきなり来といて、何それ?
 いい加減にしないと、咬み殺すよ?」

浮かべた楽しそうな、もとい、不穏な笑み。
それと同時に繰り出されるトンファーを間一髪で避けて、腕を掴む。

信じられない顔でもするかと思えば、悔しそうな顔があるだけ。


あぁ、退院したばっかだっけ?

人のこと言えねぇけど、
コイツの場合は自己判断で出て来そうだし、完治には程遠い状態とか?


「大丈夫かよ?」

そんな心配の言葉が気に入らなかったようで、ガッと鈍い音を立てて膝を蹴られた。
それでも手を離さなかった自分を、心底褒めてあげたい。


悔しそうに見上げてくる目に笑いで返して、有無を言わさず引っ張って歩き出した。








「何処、ここ」

諦めたのか掴まれた手をそのままに、
大人しくついて来たヒバリが目の前の暖簾を見上げて訊いた。

「俺んち」

「だから?」

不信感を隠しもしない目で振り返る。

まっすぐ、というより、見下した目というべきか。
それでも、絶対にコイツは目を逸らさないんだろうな。

逸らしたら負けって、野生の動物みたいだな。


「あー、快気祝いをしようと思って?」

「…下らない」

ふっと、視線が逸らされた。
あからさまにではないけれど、今逃げるように暖簾へと視線を戻さなかったか?

目を逸らさない、と思った傍から、何で?

「何で?」

口をついて出てきた言葉に、ヒバリは問いかけの意味を誤解して答える。

「僕は、何でか解らない君が解らないよ」

じっと暖簾を見上げる目。
横から見ただけだと何とも言えないが、
それはいつもの強い視線とは違って見えた。




「離してよ。
 忙しいんだから」

忙しいって、あれからどれだけ時間が経ってると思うんだ。
今まで大人しくしてたくせに。

「あー、帰ったらもう家の人が料理作って待ってるとか?」

「…家の人、ね。
 まー、違いはないね。
 けれど、君が思ってるような人でないことは確かだよ」

暖簾を見上げたままの横顔から見得る口が、歪められて僅かに持ち上がった。

「あ?」

「家政婦が料理くらい作ってるだろうね。
 でも、待ってなんかいないけど」

振り返って有り得ないくらい、ヒバリはニッコリと笑った。


家政婦って何だよ。
想像もつかねぇよ、そんなんがいる家なんて。

それより、その笑顔が信じられねぇ。






「おっ、タケシ。
 えらくベッピンさん、連れてんじゃねぇか」

「…咬み殺すよ」

店に入って早々に、
オヤジはヒバリを気に入り、ヒバリはトンファーを構えかけた。

「まぁまぁ。
 ヒバリ、止めろって。
 オヤジ、コイツも今日退院したんだ。
 快気祝いしてくれよ」

「おっ、めでてぇな。
 こりゃ、腕を振るわねぇとな」

「…帰りたいんだけど」

腕まくりをして魚を捌き始める親父に気をそがれたのか、ヒバリは呆れた声を出す。

「えー、食ってけよ。
 絶対、美味いから」

無理矢理座らせて、甲斐甲斐しくお茶を出せば漸くヒバリは諦めた。



食が細いらしいヒバリは、
そんなに多くは食べなかったけど、
それでも静かに大人しく親父の作った寿司を食べた。

カウンター越しに俺と親父が話すのを聞きながら、顔に似た上品な箸使いで。

それから箸を置き、
きちんと親父に、ごちそうさま、と言った。

らしくなく少し照れた態度とその声に、
親父ならずとも、こっちまでなんか照れそうになって焦った。







すっかり暗くなった帰り道。

送って行く、と言えば、
女の子じゃない、と冷たい返事。

それを宥めて、夜道を肩を並べて歩く。






「いいね」

ふいに、ヒバリが言った。
僅かに上げられた口元に、意味もなく焦る。

「何が?」

「君の父親」

「そっか?
 サンキューな」

自分が褒められたワケでもないのに、何だか照れくさい。

「君に、似てるね」

「そっかー?」

「うん」

真っ直ぐ先を見つめるヒバリの表情は、暗くてよく見えない。


「なぁ、ヒバリの親ってどんな人」

らしくないヒバリから照れを隠すように、
訊いても教えてくれないだろうと思いつつ訊けば、
それは即答とも言える速さでキッパリとヒバリは答えた。

「強欲と売女」

「え?」

ヒバリが、足を止めた。
つられて俺も足が止まる。

振り向くヒバリ。
近くにあった街灯の下、ぼんやりとその表情が見える。


「あと、それに群れる親戚と言う名のクズ」

薄っすらと、笑みが浮かんだ口元。
でも、目は笑っていない。

じっと見透かすように、俺を見ている。

「……」

「素敵だろ?」

ヒバリは、晴れやかに笑った。
それで気が済んだのか、また前を向いて歩き出す。

それなのに、俺の足は止まったまま。





「だからか?」
 ヒバリが、群れるの嫌いなの」

ヒバリは足を止め、
数瞬考えるように黙ってから振り返った。

「さぁね」

街灯の下から離れてしまっていて、もう表情は読めない。


「なぁ、群れるって何だ?」

ヒバリは答えないし、動かない。
よくは見えないけれど、じっとあの黒い目で俺を見ているのだろう。

「俺がいるだけでも、群れてる、とヒバリは見なすのか?
 今、ヒバリは群れてるって言うのか?」

「ねぇ、僕はひとりでも生きていけるよ」

問いに対する答えではない答えを、ヒバリは返す。
いつもの挑発するような物言いではなく、穏やか過ぎると言えるそれで。

「だから、君は帰りなよ」

有り得ないほどの静かな声で、それだけ言ってヒバリは歩き出した。
止めたいと思うのに、足が何故か動かない。





「嫌がっても、俺は付きまとうからな」

考える間もなく、口から出たのはそんな言葉。
ヒバリは無視して、歩き続ける。

その背中に、尚も叫ぶ。

「ふたりなら、群れるって言わねぇんだよ。
 だから、大丈夫だ」

何が大丈夫なのかと、突っ込まれたら答えようがない。
それでも、言わなきゃ気がすまなかった。

そんなどうしようもない言葉に、ヒバリが足を止め振り返った。


「言っただろ?
 僕の両親は、強欲と売女だって。
 あれも君の言う、ふたり、だよ。
 確かに、群れてないかもしれないけどね、
 僕にとって、嫌悪の対象でしかないことも確かなんだよ。
 ――だから、二度と僕に付きまとわないでよ。
 じゃないと、咬み殺すよ」

変らず静かな声。
それなのに、冷え切った声。

それは、ヒバリ自身のように。

「俺も言ったよな?
 嫌がっても、付きまとうって。
 だから、諦めろよ」

互いに表情も見えぬ夜道で、睨み合う。




先に逸らしたのは、ヒバリ。
何も言い返すことなく、
遠くなり最後には消えた背中を、もう呼び止めなかった。

野生の動物のように先に視線を逸らさないと思っていたのに、
今日一日だけでも、何度ヒバリは俺から視線を逸らしただろう。

そんなだったら、お前生きていけねぇよ?
ひとりで生きていけるとか言うヤツが、自分から逸らすなよ。



知らず握り締めた拳。
それが契機となって、やっと止まっていた足が動き出す。

走り出し、向かう先はあの小さな背中。



煩いと殴られようが、
構うなと拒絶されようが、
付きまとうと言ったろ、と笑って言ってやる。

何があっても付きまとってやる、
と、ストーカーじみた想い。

たった一日で生まれたのか、気づかされたのか解らない感情。
それはとどまることを知らないのか、単に止めたくないだけか。

それすらも解らないままに、走り出した。




退院した日だと言うのに、
誰もいない――いたところで、碌な人間がいない――家になんて帰さない。

ひとりで生きていけると思うのと、
それが好きだということとは全然違うだろ?


ふたり、ってのは、群れるってこととは違うから。

お前が知ってる嫌悪の対象であるのも、ふたり、だけど、
そうじゃない、ふたり、ってのもあるから。


だから、手始めに俺と一緒にいようぜ?






06.06.05〜06.11 Back