「…ごめん」

電話越しに、苦しそうな声が聞こえる。

最初から解っていたことなのに、何を苦しんでいるのか解らない。
だから、溜息ひとつ吐き出すことで返した。

それなのに、繰り返される同じ言葉。

 
 
 
 

 
  
 
 
 
            リ リ カ  イ ザ 
   
 
 
 


 
 
 
 

「2月4日、誕生日なんだ。
 だから、絶対にその時来るからな」

前々回、クリスマスに来た男は言った。

「来月、絶対来るから。
 恭弥も、絶対空けといてくれよな」

前回、年越しすぐにまた来日した男が言った。




ニコニコと笑いながら、
それでいて何処か必死な様子で話す男の横で、
側近が酷く苦りきった顔をしていた。

その側近の顔を見ないでも解ることだ。


男はマフィアのボスであるけれど、
表の世界でも成功しており、実業家でもある。

そんな男の誕生日。
それが、ただの生まれた日を意味するだけなんて有り得ない。


誕生日という名目で人を集め、
人脈を広げ、関係をより強固にする場を設けないでどうする。

いくら男がボスの立場であろうとも、
それを無駄になんてできるはずがない。


僕だってそれが解ると言うのに、当の本人が解らないワケがない。




だけど、
無理をしてでも男は来ようとしたのだ。
馬鹿な話だ。









「ごめん」

何度目かの言葉に、いい加減うんざりした。

「煩い。
 それ以外、言うことないの?」


苛々しながらも、電話を切らないだけ破格の待遇だ。
それを男は解っているのだろうか。


「…だって、約束したろ?」

「約束じゃない。
 アレは一方的にあなたが言っただけだ」

一度だって、僕は頷いてなどいない。


「でも、俺にとっては約束だったんだよ」

静かに告げてくる声は酷く哀しそうで、
本当に自分よりも7歳も上なのかと疑いたくなる。




「ねぇ、もういいよ。
 そもそも、あなたは誕生日に日本に来て何がしたかったの?」

無理をしてでも、日本に来る意味はあったのか。

「…恭弥に会いたかった。
 会って、話がしたかった」

ポツリと呟かれた言葉に、また溜息が出た。

「あなた、結構日本に来てるよね。
 この前会ったのだって、3週間前だよ。
 どうせ、誕生日に来れなくても近いうちに来るんじゃないの?
 だったら、その時でいじゃないか」

「…違ぇよ。
 そりゃ、誕生日に行くのはダメになったけど、
 その分無理言って、時間調整してもらったからその後そっちに行ける。
 でも、そうじゃねぇ」

俺は誕生日に会いたかったんだ、と言われた。



何だそれ。
まったく子供の思考でしかない。




「誕生日、誕生日、って言うけどね、そんなに大事?」

呆れを滲ませて訊いた。

「…ファミリー以外と過ごしたい、って思ったのは、
 恭弥が初めてだったんだ。
 だから、一緒にいたいと思ったんだよ」

「…ふぅん」

よく解らない理由だ。
それでも、本人には酷く大事な理由だったらしい。

「ねぇ、思ったんだけど、
 誕生日って言うんだから、
 普通あなたが僕に何かを要求したりするんじゃないの?」

その要求に応えてやる気などないが、思った疑問は口にした。

「…会いたいって思うのは、俺だけだろ?
 恭弥がそうじゃないことくらい、解ってる。
 だから、来てくれ、なんて言わねぇ。
 会いたい俺が、会いに行きたかっただけだ」

それもできねぇけどな、と苦笑が聞こえた。

「よく解らないけど、また日本に来たら連絡しなよ。
 戦ってくれさえすれば、いつでも歓迎するよ」

本心を言っただけなのに、また苦笑された。
どこか諦めきったような笑い方だった。

それから、少しだけ話して電話を切った。


切ったばかりのそれを見て、
少しだけ考えて、短縮の番号を押した。














連れて来られた部屋で、ソファに座りまどろむ。
好きにしていいと言われたけれど、心地よいソファで眠るのも悪くない。
窓から入る陽光が気持よくて、そのまま電気も点けずゴロリと寝転がった。

どれくらいそうしていたか解らないけれど、
ぼんやりと眼を開けたら、暗かったから夜が来たのだろう。
それでも関係なく、ぼんやりしていたら扉が開く音が聞こえた。

一瞬にして警戒した気配が放たれるが、
僕は気にすることなくまどろみを続ける。

足音なく近付く気配。
ピリピリとした緊張感が心地よい。

トンファーを構えて応戦するのもいいけれど、
それよりも今はこのまどろみが手放せない。



カチャリと銃口が頭に突き付けられた。
けれど、もう緊張した気配は感じられない。

それどころか、呆れた気配。

近づいたら、気付いたのだろう。
よく知った気配だと。




「恭弥?」

だよな、と気配で解っても、
視界がはっきりせず確認できてないせいで、
何処か信じられないとでも言うような間抜けな声が降ってきた。

それがおかしくって、僕は笑う。

「Buon Compleanno!」

よかったら言ってやってくれ、と言って、
ここに案内してくれた側近が教えた言葉をそのまま告げてやった。

暗闇でも、男は眼を瞠ったのが解った。
それから嬉しそうに、ありがとう、と日本語で言って僕を抱きしめた。







「なぁ、どうして来てくれたんだ?」

電気を点けて、僕の隣に座った男が訊く。
まだ信じ切れていないのか、
片手は僕の頭を撫で続け、存在を確かめている。

それを許してやるくらいには、機嫌がいい。


「気まぐれだよ」

あの電話を切った後、
草壁に電話をかけ、男の側近と連絡を取らせ、
態々男の誕生日に合わせてイタリアに来たことは、
ただの気まぐれでしかない。

「それだけでか?」

態々?お前が?
と、眼を瞬かせながらも、
あぁでも、お前だしな、とブツブツ言っている男は、
本当によく僕のことを解っていると思う。

けれど、その気まぐれにも切っ掛けがあったことを男は知らない。
まぁ、言うつもりなどないが。



「ねぇ、明日は時間あるって聞いたよ。
 一日中付き合ってもらうからね」

覚悟しなよ、と笑えば、
男は、勿論、と言って破顔した。








会いたい、と言って、
いい大人なのに、
自分の立場も忘れかけて実行しようとした。


でも、それがダメになっても、
会いに来てくれ、とは言わなかった。


別に、男が言ったように、
会いたい、と思わなかった。
まして、態々イタリアに行こうとは思わなかった。


別にまた暫くすれば男が会いに来ることが解っていたし、
本人もそうだと言っていたのだから、
たかが誕生日だからと言って、会いに行く気など本当になかった。


それでも来てしまったのは、
男に言った通り、気まぐれでしかない。


けれど、切っ掛けが一つ。




どんなに自分の我儘を貫こうとした男のくせに、
一度だって、来てくれ、と言わなかったこと。

僕の意思を尊重し、
縛らないその態度は良かった。


単に、絆されただけとも言うけれど。



それでも、
今眼の前で、男は幸せそうに笑っているのだから、
理由なんてどうでもいいのだろう。

僕も、
明日戦う約束ができたのだからそれでいい。


機嫌がいいままに、
もう一度、今度は日本語で祝福の言葉を告げた。






10.01.26〜02.04 Back