「忘れない人でも、向こうにいるの?」

ナイスバディで、妖艶な美女が笑う。
そんな言葉に思い浮かぶのは、3年近くも会っていない男。





Unforgettable.





…バシッ。

乾いた音と共に、左頬に痛み。

これで何度目だっけ?
最近、こんなことが幾度となく続いている。

そして、続くお決まりのセリフである、
馬鹿にしないで、が続くかと思ったのに、今日は違った。




「可哀想ね」

妖艶に笑う目から、哀れみ溢れる目に早代わり。

可哀想ね、って誰が?

会えもしない男を忘れられない男が?
それとも、向こうにいるアイツが?

どっちが?、と訊こうにも、
年上の美女は、会計を速やかに終えて消えた。



最後の女だった。
何人かいた馴染みの女は、もう誰もいない。

皆が皆、同じセリフと共に去っていった。


申し合わせたかのようなタイミング。
何か失態をやらかしたか?、と思ったところで、何も思い当たらなかった。







「最近、マジメじゃねぇか」

幹部会の帰り際、小僧が呼び止めた。

「何、言ってんだ。
 俺はいつだって、マジメだろ?」

「よく言うぜ。
 あぁ、違うか。
 お前は、元よりマジメだったんだよな」

「だろ?
 今更気づくなんて、遅ぇよ」

何に対して言ってるのか知らないが、笑って答えてやる。


「3年も、片想いか。
 ホントにマジメだよな?」

ニヤリと笑う顔に、一瞬浮かんだのは殺意。
けれどそれをすぐに消し、浮かべたのはいつもの笑み。

「何、言ってんだ?」

「なぁ、何でお前の女たちが離れていったか知ってるか?」

不遜な態度。
それに、バカにした笑み。


「知らねぇよ。
 お前が、何か手でも打ったのか?」

何の得があってだよ、と思ったけれど、言わずにはいられない。

「バーカ。
 俺が損得無しに動くワケねぇだろ。
 ただ、アイツらが気づいただけだ」

「何を?」

「自分が、お前の一番になれないってな」

バカだよな、と笑うのは、誰に対してか。





一番になれないって、何だそれ?

別に、特定の相手を作った覚えもなかったし、
そんな下らない想いを持つような女には手を出してない。

互いに他に相手がいても別にいい、
という都合のいい相手同士だったはずだ。

それを今更、一番になれない、って何だ?
しかも、同じ時期に?








「解らないって顔してるな」

当たり前だろ。

同じ時期に、誰もが離れていったんだ。
それも、誰もが同じセリフを残して。

――忘れられない人が、向こうにいるの?


そんな相手はいなかった。
いや、いたけれど、心の片隅に引っかかってただけだ。

それなのに、女たちが口々に言うから思い出した。

忘れようとしてたってことを。
どれだけ、大切だったかってことを。






「お前、ツナに貰っただろ?」

何を、と訊く前に、答えが解った。
1週間ほど前、ツナに写真を貰った。

まだ中学の時のモノで、
ツナと獄寺と俺、それにヒバリがいた。

思えば、ヒバリと一緒に写ってる写真なんてそれしかない。

どんな経緯でそれを撮ったのかさえ覚えていないけど、
写真嫌いなヒバリは思いっきり嫌そうな顔で顔を逸らしていた。

そう言えば、何で今更ツナはこんなモノをくれたのだろう。


「それ、何処にしまってる?」

「胸ポケットだけど、見たいのか?」

「見たくねぇよ、そんなモノ」

何もそんな嫌そうな顔しなくてもいいだろうが、ってくらいの渋い顔をされた。

「それ見てるお前を、見たんだとよ」

「誰が?」

「お前の女だろ」

溜息を吐かれたところで、
それこそ、だから?、と言うものだ。

展開が解らない。


「写真見てるお前を見て、ショック受けたんだと。
 そんな顔を、自分の前でしてくれたことなんて一度もないってよ」

そんな顔って、どんな顔だよ。
写真を見て思うことなんて、いい思い出なんかではない。

ただ懐かしさと痛ましさと、ほんの少しの後悔と、
それでも何度時間を巻き戻せたとしても選ぶだろうこの人生への僅かな諦めくらいで、
楽しそうな顔でも優しげな顔でもないことは確かだ。






「碌な顔してなかったと思うけどな」

思わず漏れた苦笑に、
小僧が、だからだろ、とバカにした笑みで笑う。

「いつもお前は笑ってるか、優しい顔しかしないのにって泣きつかれて困ったぜ」

「何が、困った、だ。
 どうせ泣きついたのをいいことに、喰ったんだろ?」

「妬くか?」

悪びれもせずに言う小僧。

「妬くワケねぇだろ」

「だろうな。
 お前にとっては、その程度だからな」

そうだな。
俺にとっては、どの女もその程度だったよ。







「お前、気をつけろよ?」

ふいに見せる真剣さ。

「何が?」

「見えないが、お前もうちの幹部の一人だ」

見えないは、余計だろ。

「特定の人間を作らないのは別にいい。
 けれどそれを作ったら、覚悟しとけよ?
 狙われるのはお前じゃなくて、そいつだ」

「…気づかれねぇよ」

そう答えた時点で、
特定の人間がいるってことを認めたことも同じ。


「甘いんだよ、お前は。
 3年も連絡を取っていなかろうが、相手が日本にいようが、
 お前のアキレスだと解ったら利用する。
 それが、マフィアってヤツなんだよ」

相手が誰かを問うことなく、
確実に相手を当て、小僧は話を続けた。

忘れなくてはと思ったのに、忘れられなかったヒバリ。

「でも、大丈夫だろ?
 だって、気づかねぇよ。
 連絡取ってないし、アイツは男だろ。
 だから――」

大丈夫だろ、と続くはずの言葉は、小僧の声に掻き消えた。

「だから、お前は甘いって言ってんだ。
 お前が後生大事に持ってる写真で、女どもは気づいたんだろうが。
 日本に大切な人間を残してるって。
 女の口は、軽いんだよ。
 俺にそんな話してくるくらいだから、何処で話が漏れてるか解ったもんじゃねぇ。
 しかも、お前の全部の女に同じセリフ言われたんだろ?
 バレるのは時間の問題ってヤツだ」

いつも嫌味なほど冷静な小僧が、珍しく苛立ちを隠そうともしなかった。
そう言えば、コイツもヒバリのことを気に入ってたんだっけ。


「何、ぼんやりしてんだよ。
 お前、忘れたのか?
 アイツ、もう武器仕込んでないんだぞ。
 それが意味すること解るよな?」

血の気が引いた。
それは小僧の射殺さんばかりの睨みでは勿論なく、想像した惨状に。

武器を仕込んでないと聞いたのは、1年前。

それから、きっとヒバリは戦ってない。
戦闘を忘れた身体。

そんな身体でマフィアを相手にするなんて、無理だ。





「…ヒバリ」

掠れた声で名を呼んでも、どうにもなるワケがない。

「…お前が撒いた種だ。
 自分でどうにかするんだな」

「なぁ、暫く休んでいい?」

「…いい、と言いたいとこだが、無理だな」

苦虫を噛み潰したような顔で、小僧が答える。

「何でだよ。
 自分でどうにかしろって言ったのは、お前だろ?」

「今、お前に抜けられちゃ、こっちが困るんだよ。
 さっきの幹部会でも言っただろうが」

あぁ、敵対してるマフィアが何かしかけそうなんだっけ?
でも――

「俺がいなくても、大丈夫だろ?」

「だったらいいがな。
 接近戦になりそうなんだよ。
 うちのファミリーで、接近戦に使える人間考えろよ」

…少ないな。
こんなことなら、マジメに部下を鍛えとけばよかった。





「…なんで、今言ったんだ」

聞かなければ、よかったのに。
気づかなければ、よかったのに。

ヒバリが心配なのに、動けない。
何から後悔するべきかさえ、解らない。

「今しか言う時がないだろうが。
 あっちのファミリーが動き出したら、それどころじゃねぇ」

そうだけど。
そうかもしれねぇけど。

それでも、こんな気持ちのまま戦闘に出ろっていうのか。

無理だろ。
ヒバリが気になって、アイツのとこに行く前に俺が殺られたらどうするよ。


「…時間の問題、と言っただろうが。
 お前の選んだ女は、どれもバカじゃないからな。
 しかも、まだお前に惚れてるらしいから、
 敵対するヤツ…というより、俺以外にはお前を売るようなことは言わねぇよ」

どんな慰めだ、と思わないでもないが、
コイツがこういった嘘をつかないことを知っている。

「…俺は、動かない。
 でも、俺の部下はヒバリにつける。
 それくらいは、いいよな?」

「…あぁ。
 さっさとこっちをケリつけたら、 お前は勝手にすればいい」

「おぅ。
 勝手にさせてもらう」

そうと決まれば、やることはたくさんある。
じゃあな、と背を向けたところで、小僧が呼び止めた。




「ひとつ、訊いていいか?」

「何だよ?
 俺、忙しいんだけど」

「アイツのもとに行って、お前どうするんだ?」

時が、止まった気がした。
何も思い浮かばなかった。

「アイツが、お前にただで守られると思うか?
 ましてそれを許したとしても、期限は?
 お前はもうこっちの人間だ。
 向こうに、ずっといられねぇよ。
 戻る場所は、ここしかねぇ。
 その時、アイツはどこにいるんだ?」

じっと見据えてくる目を、バカみたいに凝視しても答えは生まれなかった。

息すらもできないまま固まる俺に、
小僧は哀れむような目を向け去っていった。

それはいつしか女が去り際に見せた目に、どこか似ていた。






3年前のヒバリしか、俺は知らない。

そのヒバリは、
俺に――どころか人に、守られることをよしとしない性格で、
万が一にもそれを許可してくれたとしても、小僧が言うように期限は?

いつまで俺は向こうにいれるかなんて解りきったことで、片がつくまでだろう。
でも、それって本当に片がついたなんて言える状況なんだろうか。

俺がこの世界にいる限り、
俺がヒバリを特別だと思う限り、ヒバリに危険は伴う。

そしてそのヒバリは、昔みたいに戦えないと言う。



…あぁ、そうだ。
ヒバリは、戦えないんだっけ。

そんなヒバリなんて想像できなくて、
俺の知るヒバリはもういないかもしれないと、ある種の恐怖が這い上がる。

そんなヒバリでも俺は変らず、特別だと思うのだろうか。


何を、どこから考えればいいのか、
どれだけその場から動けずにいても、答えは出てはくれなかった。



結局振り切るように出した答えは、
変っていようがいまいが、特別だろうがそうでなかろうが、
ただ、会いたい、という思いだけだった。






06.06.18 Back