「こんにちは」 笑うことなく無表情に、毒蠍が言った。 Fly away. 「…あの男は?」 挨拶を返すでもなく訊く。 「来ないわよ」 寂しいの、と女が笑う。 「まさか」 ただ、思っただけだ。 一目置いているであろう少年は兎も角、 僕に対し、それなりに好意的なディーノや元校医とは二人きりにさせたがらなかったし、 商談がなければ、やはり獄寺とも二人きりにさせたくなかったようだった。 それなのに何故、毒蠍は許されたのか。 けれど、答えは簡単。 考えるまでもなかった。 女は、男に比べ非力。 逃げ出す気などないが、 他に比べ、どうこうできるまでもない、とでも思ったのだろう。 「本気?」 女が訊いた。 それで、此処に来た理由を理解する。 「話を聞いたの?」 えぇ、と女が頷く。 「他には誰が?」 「リボーン」 まぁ、妥当なろとこか。 少年の協力を得なければ事はなされないし、 あの甘さが残る獄寺のことだ、 秘密をひとりで抱えきれない故に女に話したのかも知れないし、 単に、未だに苦手意識を持っていて感づいた女に脅されたのかも知れない。 どちらにせよ、 確実に男の邪魔がなく話せる相手がいてくれると助かる。 「で、今から?」 此処に持ってきたモノなど何もないし、何も持っていく必要がない。 ただ、自分という存在さえ動けばいいだけのこと。 だから、すぐにでも動ける。 「違うわ。 近いうちは確かだけど、まだ日にちは決定していない」 「どうして?」 簡単なことだろう。 引渡しなんて1時間もいらないし、 少年が仕事を作れば男は確実に帰ってこないし、相手は僕を望んでいる。 「相手が海外に行っているから」 それなら無理だろう。 僕だけ行ったところで、意味がない。 引き渡す際に、 ファミリーに有益な条件を得るために交渉しなければならないのだから。 「もう一度、訊くわ。 本気?」 一瞬、何を言われたのか解らなかったけれど、 先ほども同じ事を言われていたことを思い出した。 「勿論」 「どんな目にあうか解ってるの?」 そんなことは誰にも解らないのだから、 解ってるの、も何もないだろう。 けれど、考えは決して変わらないのだ。 「本気だよ」 その意思が伝わるように、じっと目を見つめた。 「山本武のこと好き?」 突然の問いは、意味が解らないモノだったけれど、 思い出したのは、獄寺の言葉。 ――アイツのこと、どう思ってるんだ。 姉弟はの思考回路は、似ているのかもしれない。 あの時、一瞬、揺らいでしまった思考。 でも、 似て非なるこの問いに対する答えは簡単だった。 「そんな感情は、知らない」 「解らない、ではなく、知らない、なの?」 その問いかけは、更に意味が解らなかった。 答えない僕に、 女は何も言わずに静かに溜息を吐き出し、新たな問いかけをする。 「鳥と猫、どちらが好き? どちらかと言えば、でもいいから、どちらが好きかしら?」 鳥、と聞いて、 一瞬、懐かしい小さな鳥を思い出しそうになり、 かき消すように目を瞬いてから答える。 「猫」 「どうして? あなた、鳥を飼っていたでしょう」 よく、昔のことを覚えていることだ。 「飼ってたんじゃないよ。 ただ、傍にいただけだよ」 鳥篭に入れて飼っていたワケでも、 餌をやっていたワケでもない、 ただ家を出ればすぐに肩に止まってきたから放っておいただけだ。 それに、もういない。 「そう」 女は、それ以上何も訊かなかった。 名前まで付けていたのにとも、 どうして今、あの鳥がいないのかとも、何も訊かなかった。 本当に、 何も訊かな過ぎたから、 落ちてきそうな沈黙から逃れるように訊いた。 「そんな感情知らないんじゃなかったの、って訊かないの?」 「訊かないわ。 だって、人が人に対する好きという感情と、 人が人以外に対する好きという感情は全く違うものだから」 だから、訊いても無駄なのだ、と言う。 解るようで、解らない言葉。 特にあなたはね、と更に続けられれば、 ますます理解なんてできるはずもなかった。 「…あなたは、 本当に、解らないのではなく、知らないのね」 何処か諦めたような言い方のくせに、 視線は、でも、本当に、とでも言いたげだった。 「まぁ、いいわ。 次は猫を連れてくるから」 どこか重くなっていた雰囲気を打ち消すように、女が言った。 「猫なんていらない」 「ダメよ。 此処に来るいい口実なんだから」 それを言われてしまうと、何も言えなくなる。 黙り込んだ僕に、 女は、またね、と笑って出て行った。 長い髪がドアの向こうに消えて、ゆっくりとベッドに身体を倒す。 目を閉じ、 思い出すのは、小さな鳥。 飼ってもいないくせに、名前まで付けてしまった鳥。 鳥は、自由の象徴だと言う。 その言葉の通り、あの鳥はいつだって自由だった。 小さい身体のくせに、何処までも高く飛び立つ姿を今でも覚えている。 けれど、鳥の自由は奪われた。 自由どころか、命さえも奪われた。 僕の目の前で、野良猫に捕まったのだ。 一瞬の出来事だった。 小さな身体が、猫の口の中で必死になって暴れている。 今なら、まだ助けられる、 動こうと思った時には、もう猫は茂みに消えた。 それでも追って、追って、 見つけた時は、もう、残骸とも言えぬモノしか残っていなかった。 だから、もう、あの鳥はいない。 自分が殺した、と思うほど、 自己犠牲の精神に溢れているワケでもない。 ただ、今でも忘れられない。 その事実があるだけ。 ――鳥と猫、どちらが好き? あぁ、もう本当に、 猫、だなんて、よくも答えられたものだ。
08.08.27 ← Back