扉を開ければ、激高する声が聴こえた。 聞いたことのない、男の怒鳴り声だった。 Crack. 用意された部屋はゲストルームだったためか、 バストイレ付きの上にミニキッチンも付いていた。 だから、部屋から出るようなことはなかったし、 何もする気力のない僕には、出る必要さえもなかった。 けれど時折、行きたくなる場所があった。 それが、階下の書庫。 日本語、英語、イタリア語の莫大な量の本があるその部屋で、 本を読むでもなく、ソファに座り眠ることが好きだった。 だから、その時も気の赴くままに書庫に足を向けようとして、 部屋の扉を開ければ、男の怒鳴り声が聴こえた。 帰ってきた男が、玄関で部下と揉めているのだろう。 どんなことがあっても、男は玄関から先には入れないから。 普段なら男の行動など気にしないが、 大声を出すことが珍しい男に興味を持って、声が聴こえる位置まで近づいた。 男は最初の怒鳴り声の後は、 ボソボソと声を落としながらも外に部下と言い合いをしている。 顔は、険しい。 それでも、人殺しの顔ではない。 と言ったところで、僕は男のそんな顔など知らないけれど。 『捨てろ』 切り捨てるように言う男の声が聴こえた。 『…ですが』 言いよどむ部下に、男は無言で睨みつける。 息を飲む部下。 それでも、怯える素振りを見せないのは流石と言うべきか。 『…絶対に、ヒバリには渡すな。 また同じモノが届いたら捨てろ』 『ですが、ファミリーの…』 部下が何かを言い終える前に、 捨てろ、ともう一度念を押すように男の声がした。 『…解りました。 この件に関しましては、もう何も言いません。 明日は、――ホテルで商談がありますから、朝8時に迎えに上がります』 諦めきったのか、 部下は淡々とした声でそう告げて帰っていった。 僕に関係する何か。 それは一体何なのか。 僕がここにいることを知っているのは、 中学の時に面識を持ったファミリー上層部の極限られた人間だけ。 他は、誰も知らない。 家族にすら、僕は居場所を伝えていない。 そんな中で僕に何かを送ろうなんていう人間はいないと断言できる。 けれど、マフィアの情報網を考えれば、 僕が…と言うより、男が誰かを家に入れている、ということなどきっともう知られている。 でも、それは僕を僕として認識しているというのではなく、 僕を男の付属品とでも考えている人間からの何かかもしれない。 敵――とまではいかなくとも、それに似た別ファミリー。 十中八九、送り主はそう言った相手。 ならば、その中身とは何なのか。 「ヒバリ」 漠然とそんなことを考えていたら、声が聴こえた。 視線の先、階段下には男が驚いた顔で見上げていた。 男はこの家の中では気を緩ませているのか、 僕がいることに慣れきったのか、 僕の気配にはかなり鈍感のために、今まですぐ近くにいることに気づかなかったのだろう。 「大丈夫か?」 床に座り込み、壁にもたれかかっている状態を、 気分でも悪いと勘違いした男が、焦って階段を駆け上ってくる。 そこにある焦りは、僕の健康上のことだけなのは、 男は僕がイタリア語を理解できると思っていないから。 訊かれなかったから、言っていない。 講義ですら取ってなかったのだから、知らなくても当たり前で、 後々を考えれば、知らないでいてくれたほうが有難いから、 訊かれない限り黙っているつもりだ。 「何でもないよ。 ただ、疲れただけだから」 「部屋、戻るか?」 「…君の、怒鳴り声が聴こえたよ」 指し伸ばされた手を見ずに、男の目を見て言った。 「あぁ、ちょっと仕事のことでな」 でも大丈夫だから、と男が笑う。 そんな男を無視して、言葉を告げた。 「獄寺に、明日会いたいんだけど」 「え?」 伸ばされていた手が、驚きのせいでか僅かに動いた。 「獄寺に、明日会いたいんだけど」 同じ言葉を繰り返しても、男はなかなか理解できないらしい。 それもそうだろう。 僕と獄寺は、昔から仲がいいどころかその反対だ。 と言うよりも、向こうが毛嫌いしているというほうが正しい。 それなのに、突然会いたいなどと言えば驚くだろう。 「…何で?」 「別に。 ディーノにもシャマルにもリボーンにも会ったけど、彼には会ってないから。 流石に、忙しい10代目に会いたいなんて言わないけど、 たまには懐かしがりたいんだけど、いけない?」 言いながら、無理のあることを言っていると思う。 別に、旧交を深めるつもりなんてないし、 性格上、そんなことを望んでいるとは男も思っていないだろう。 更に言えば、10代目より忙しくないとは言え、獄寺も男と同じ幹部なのだ。 いきなり、明日会いたい、なんて言ってもすぐに都合が付く可能性は低い。 それでも、明日会いたかったのだ。 先程、男の部下が明日商談があると言っていた。 流石に、それを抜けてまで来ないだろう。 男の商談の時間帯に獄寺が来てくれるのが望ましいが、 それが無理でも、早いうちに訊きたいことがある。 だから無理を言ってでも、獄寺に会いたい、と言った。 そして、そんな無理を聞いてくれるほどに、男は馬鹿なのだ。 何か思うところがあったとしても、僕の望みを優先しようとする。 男は携帯を取り出し、電話かけた。 相手は確認するまでもなく、獄寺。 端的な言葉の応酬の後に、男は電話を切った。 「明日、朝9時に来るって」 望んだ時間帯。 男は、その時ここにいない。 「そう」 「あぁ。 俺、その時間いねぇけど、何かあったら電話しろよ」 何があるのか、と笑いそうになる。 何処までも心配性な男。 「解った」 安心させるようにそう告げた。 それから再び伸ばされた手を取る。 人の命を奪ってきた手だというのに、 温かい体温を伝えるその手が、優しいと思った。
08.03.04 ← Back