よお、と笑ったのは少年。 僕が知っている赤ん坊の面影を残した少年。 Needless. 「元気か?」 僕の目のことを知っているだろうに、少年はそれには触れなかった。 それなりに、と答えれば、少年は小さく笑った。 「楽しいか?」 「…そうだね」 楽しいよ。 ここには何もないから。 だから、僕の心は動かない。 それは、楽しいと言えないことでもない。 「トンファー、受け取らなかったんだな」 どうしてそんなことを知っているのか。 男が言ったのだろうか。 「アイツは何も言ってねぇよ。 いい店を紹介してくれってのと、今日来ないかって言っただけだ」 苦笑しながら、少年は窓を開けた。 冷たい風が部屋の中に流れ込む。 少年は窓から外を見下ろし、帰ってきたか、と呟いた。 男が帰ってきたのだろう。 昨日、男が少年の来訪を告げた。 それから、遅れるけど自分もその頃には帰るから、とも言った。 「お前、どうするんだ?」 振り向きもせず、突然の言葉。 けれど、意味は解っている。 「さぁね。 どうもしないんじゃない」 たぶん、どうもしない。 流されるままに受け入れる。 「これからのことを言ってるんじゃねぇんだぞ」 言いながら、振り返る少年。 「…意味解って言ってんのかよ」 呆れたように深い溜息を吐かれた。 「ここは、異常なくらいセキュリティーはしっかりしてるけど万全じゃねぇ。 アイツが人を入れないからな。 って言っても、人がいたらお前はここにはいねぇんだろうしな」 そうだね。 僕が来るまでは家の大きさに見合わないとは言え、人は入れてたらしい。 でもそんな家だったら、僕は黙ってここにいない。 「幹部の家だし、本部から近いこともあって、 よっぽどのアホしか踏み込んで来ねぇと思うけどな、それでも絶対じゃねぇ。 アイツも四六時中ずっとお前と一緒にいるのも無理だ。 踏み込まれたら――お前、死ぬぜ?」 「そうだね」 だって、僕は戦えないから。 そんな意味を込めて答えれば、少年は酷く嫌そうな顔をした。 じっと無言で見詰め合って、視線を逸らしたのは少年。 外の景色を横目で見ながら、深い溜息を吐き出した。 それから僕を見て、言った。 「やるよ」 少年が懐から何かを投げつけてきた。 僕は手を伸ばさず、落ちるのを待った。 音も立てずシーツの上に落ちたのは、黒い銃。 何度か見たことのある、少年の愛用の銃。 それを、一度だけ使ったことがある。 「使い方を教えてやる」 そう言ったのは、3年前。 僕は、必要ない、と言った。 トンファー以外の武器になんて興味がなかったから。 それでも少年――いや、赤ん坊は諦めず、 代わりに、手合わせしてやるぞ、と言った。 その言葉に反応して、僕は銃を手に取った。 初めて持つそれに違和感も嫌悪感も感じることなく、 人型を模した的に向かって少年の教え通りに引き鉄を引く。 最初は外していたそれが、1時間もしないうちに命中していった。 人間の急所は知っていたし、銃の反動を身体に覚え込ませれば造作もなかった。 動かない的から動く的へと変えても命中率は下がらず、 赤ん坊は本当か嘘か、ヒットマンでもやっていけるな、と笑った。 満足した赤ん坊はいきなり寝てしまい、 僕との手合わせの話は有耶無耶に消えた。 その時以来、銃は手にしていない。 「いらない」 銃を見つめながら、言った。 「お前、俺のこと好きだろ?」 振り仰げば、少年は笑っていた。 「好きだよ」 何の衒いもなく答える。 強い人間は好きだった。 昔から隙のない赤ん坊だったけど、今は以前にも増して隙がない。 「なら、受け取れよ」 な、とらしくもなく宥めるように笑う少年に、 僕はもう一度、いらない、と答えた。 「それは、トンファーとは違う。 距離があっても、敵に当たる。 それにお前の腕だったら、急所さえ外せば相手を殺すことはない」 おあつらえ向きじゃねぇか、と少し苛立ったかのように少年が言う。 確かに命中場所さえ考えれば、人を殺すことはないだろう。 でも、そう言ったことじゃないんだ。 銃を手に取る。 手に納まるそれは、 あの時と同じように何の違和感もなく僕の手の内に納まる。 グリップを握り腕を上げ、構える。 それから、引き鉄を引く。 パンっと破裂音がした。 弾は、壁へとめり込んだ。 そのすぐ横の僅かに開けられた扉に向かって、僕は口を開く。 「何度言えばいいの?」 問うたところで、答えはない。 それでも、僕は気にせず問いかける。 少し前から部屋には入ってこず、音も立てず扉を開け聞き耳を立てていた男に。 「ねぇ、僕は何度も言ったよね? 戦えないし、戦う気もないって。 それは身を守るためでも一緒だよ。 どうして、それが解らないの?」 答えは返ってこない。 僕は溜息を吐き出して、少年を振り返り銃を投げて返す。 「…いいんだな」 確認するように少年が問うのに、頷いて答えた。 何度目かの溜息を吐き出しながら、少年は銃を懐にしまう。 「また、来る」 そう言って、背を向けた。 言葉とは裏腹に、少年はもう来ないだろう。 僕が今の僕である限り、少年は僕に用はない。 使えないなら、必要がないなら、少年は切り捨てる。 扉の前で少年は隠れたままの男と何事か言葉を交わし、帰っていった。 「…ヒバリ」 やっと姿を現した男は、 答えない僕によろよろと近づいて来て膝を折った。 「何度も言わせないでよ」 僕の言葉に答えず、腕を伸ばし抱きしめてくる。 「家、探してるんだ」 唐突に、男が言った。 「もっと狭くって、セキュリティのしっかりしたトコ」 ここのセキュリティも、少年に異常と言わしめるくらいにはしっかりしている。 家の中に人を入れてないとは言え、外には人は何人も入れているし、 何より本部から車で10分の距離にある。 セキュリティが異常を伝えて人が来るまで、最悪15分。 それだけを、耐えればいい。 場所が場所のため、大人数で攻め入る馬鹿はいないだろうし、 外の人間もいるから、僕のいるこの部屋まで到達する時間はもっとかかる。 到達してからの残された時間は最悪10分としても、 トンファーがないと言うより、戦う意思のない僕はあっさりと殺されて終わる。 だから、男は僕に銃を持って欲しかった。 少年と同様に、僕の銃の腕を知っていたから。 それに少年のことを僕が好きだと知っていたから、受け取ると思ったのだろう。 殺して欲しくない、などと言いながら、 急所を外せばいい、とでも思ったのだろうか。 僕が生きてさえいたら、 少しくらい自分の想いを曲げてもいいとでも思ったのだろうか。 「君が守ればいい」 再会した時に言った言葉を、もう一度言った。 身体を引き剥がして、じっと僕の目を覗き込む男の顔は奇妙だった。 愕然としながらも、諦めが垣間見えているような、そんな顔。 「君が、守ればいい」 再度口にすれば、男は僕をまた抱きしめた。 肩に顔を埋め、震える声で言った。 「早く、家見つけるから」 答えじゃない、言葉をくれた。 以前は、自分が守る、と言ったくせに、 その言葉をもうくれない。 欲したわけではないくせに、くれない、という表現が頭を占めた。 それでもその代わりに、男は理想だけを、嘘を、言わなかった。 現実、男が僕を守ることには無理がある。 仕事があるから、四六時中僕の傍にいれるワケがない。 だから嘘を吐かなかった男に、そう、とだけ僕は言った。 あぁ、と頷いた男の背に腕を伸ばせば、強い力で抱きしめられた。 守ればいい、と言いながら、 本当は、捨てればいい、と思っている。 あの少年のように、 役に立たずで必要のないモノなど切り捨てればいいと思ってる。
07.01.31 ← Back