バイトからの帰り道、人を拾った。
青白い顔で鞄ひとつ持たず倒れていた、どう見ても高校生くらいのガキをひとり。





Blood.





ベッドに寝かせて、額に手を当てる。

熱はない。
逆に低いとさえ思う体温に、エアコンの温度を上げた。

ソファにかけていたガキのコートを手に取り、ハンガーへとかける。
その際にポケットを探ったけれど、何ひとつ身分を証明するものはなかった。
それどころか、財布も携帯も入っていない。



やっぱり、家出少年だろうか。

まぁ、そう思ったからこそ、警察に連絡しなかったのだけれど。
家出の経験がある身とすれば、もしそうであればちょっと可哀想に思ったから。
同じ理由で、顔色が悪い以外は外傷もないように見えたから、救急車も呼ばなかった。
まぁ、何かあれば徒歩3分の救急病院に駆けつければいいか、と思ったのもあるけれど。










「…何処?」

掠れた声に目を開ければ、ガキが目を覚まして俺を見ていた。
何処、ときたか、誰、じゃないんだ。
そんなことを思いながら、一応親切にも町名と番地を言ってやるが、
理解を示さなかったのか、そう、とだけガキは答えた。

「帰る」

二、三度瞬きをして意識を覚醒させて起き上がり、ガキが言う。

「その身体で?」

未だ顔色は改善されておらず、真っ青のまま。
もっと言えば、所持金0のくせに?
あぁ、家が近いのかと思ったけれど、町名聞いても不思議がっていたからそれはないだろう。


「大丈夫」

言いながら、ベッドから降りようとするのを止めれば、酷く強い視線で睨んできた。

「どう見ても、大丈夫じゃねぇだろ?
 顔色悪すぎ」

ベッドに戻しながら言えば、馬鹿にしたような笑みを向けられる。

「何が目的?
 言っておくけど、お金なんてないよ?」

そりゃ、知ってるさ。


「別に金を要求する気はねぇよ。
 ただの親切心だろうが。
 黙って、甘えればいいだろ」

「見ず知らずの人間に?」

何を言っているんだ、と更に鼻で笑われるが気にしない。

「そう、見ず知らずの人間に。
 行き倒れてるところを拾ってやって、ひとつしかないベッド譲ってやってんだよ。
 ついでに言えば、身元調べるためにコート漁って、
 お前の身元が解らないことも、所持金0だってことも、もう知ってる。
 だから、俺の親切心を信じやがれ」

ガキはじっと俺を見た後思案する素振りをみせたが、温度を一気に下がらせるような冷笑を浮かべた。








「徒で返すよ?」

「…何?」

白い手が近づく。
殊更ゆっくりと近づくそれに言いようのない恐怖を感じながらも、
わき上がる好奇心を捨てることが出来ず、ただ無言で微動だにせず待つのみ。

ひやりとした手が、首筋に触れた。
それを追う様に、ガキが近づき、首筋に噛み付いた。

チクリとした痛み。
なのに、振りほどけない。

数秒にも数分にも思えた時間が過ぎ、ゆっくりとガキが身体から離れた。



「ご馳走様」

ガキは静かでいて、壮絶な笑みを浮かべた。
その顔は気のせいと言いきれないほどによくなっていて、
口元には赤い色が付いている。
見せ付けるように、白い指でそれを拭う。

「…何?」

先ほどと同じ言葉を繰り返す。

「徒で返すって言ったよ?」

ガキも同じ言葉で返してきた。

呆然としているうちに俺の横を通り抜け、コートを着こんで玄関へと向かおうとしている。
その手を思わず取れば、酷く嫌そうな顔をされた。


「お前、何?」

あぁ、さっきからそれしか訊けてない。

「ただのバケモノだよ」

自嘲のように笑って、手を振りほどかれる。
が、またもや、その手を掴む。

「放してよ」

「帰る場所はあるのか?」

問えば、何言ってるんだこの馬鹿は、とでも言いたそうな視線が向けられる。
それを無視して、また訊いた。

「食料は血だけか?」

一瞬不快だと言うような顔をしたけれど、
すぐに残酷な冷笑を浮かべ、そうだよ、と笑った。








ただそれだけのことなのに、馬鹿だコイツ、と思った。
思ってしまったのだから、しょうがない。








「行くトコないなら、ここで住まねぇ?
 家賃なし、食料提供、家主親切。
 な、どうだ?」

「…自殺願望でもあるの?
 人を巻き込まないで、勝手に死ねば?」

心底不快だ、なんて顔をするからダメなんだ。

「俺も大概お人よしだって言われるけど、お前ほどじゃねぇと思う」

突然の言葉にガキが訝しんだ視線を寄越すから、安心させるように笑ってやる。

「世の中、人で溢れかえってるのに我慢して血を飲んでなかったんだろ?
 しかもさっき、食料は血だけか、って訊いたら、嫌そうな顔をした。
 お前のツラなら、ちょっと誑し込めばホイホイ人間ひっかかりそうなのに、
 それを極限までしないって、どんなお人よしだよ。
 人間だって衣食住がそれなりに満たされてやっと人に親切にできるってのに、
 お前は肝心な食を満たしてない上で、何気遣ってんだよ。
 そんなヤツは、バケモノって言わねぇんだよ」

じっと見てくるガキに、もう一度笑いかけてから続ける。

「だから、今まで人間に遠慮してきた分を取り返すつもりで甘えろよ。
 全部飲め、とは流石に言えねぇけど、
 健康体だから、毎日ちょっとずつなら飲んでも構わねぇよ」

な、と畳み掛けるように笑いかければ、
表情も変えず、ガキが呟いた。


「徒で返すよ」

あぁ、もう本当に馬鹿だと思う。
利用できるものは利用すれば言いと言うのに、どうしてそうも心優しいのか。

自分で決めたことに、責任を持つ。
だからその結果、悲惨なことになろうとも後悔しない。

「別に、そん時はそん時だ」

ニッカリと笑ってやれば、ガキがふっと笑った。
それから俺の手を振り払ったけれど、
向かう先は玄関じゃなかったからもう止めなかった。

ガキはコートを脱ぎながら俺の横を通り抜け、
先ほど寝ていたベッドにもぐりこむと、コートを床に投げ捨てた。

「いつか、徒で返すよ」

何度目かの同じ言葉を、
ぞっとするほど真剣か顔で言って、目を閉じ一瞬のうちに眠りに落ちた。
呆気に取られながらも、別にいいさ、と呟いた声は、残念ながらもうガキには聞こえてない。









――徒で返すよ。
何度も繰り返された言葉を考える。

酷く真剣に言われた言葉。
それは本人の意思とは関係なく、
必ず俺にとって良くないことが後々起こるように思えた。

だから、何度もガキは繰り返したのだろう。


けれど先のことを考えても、
ガキは知っていたとしても教えられない限り、俺は何も解らないのだ。

この先、
本当に徒で返されようが、それを宣言していたガキは何も悪くない。
それを承諾した上で、俺がいいと言ったのだから、何も気にしなくていい。




「何も気にしなくていいんだぜ?」

聞こえもしないのにそう呟いて、布団を肩まで持ち上げた。
それからあまり取れていない睡眠時間を補うように、ベッドの傍らに座り込んだまま眠った。






08.03.03〜 Back