会いたい、だなんて。

今更、どうして。
そうやって、お前はいつも俺を振り回すんだ。


 
 
 
 
 
  
 
 
 
            ア イ  イ ロ 
   
 
 
 

 
 
 
 





「…悪いな」

恭弥の元に行く車の中、ロマーリオに言った。

「いいってことよ」

軽快に笑うが、本当は大変だったことを知っている。


外せない仕事もあったのだ。
それなのに、馬鹿みたいに俺は日本に来ている。

自分でも嫌になる。




半年前、
あの恭弥が、さよなら、と言ったんだ。

俺が言うような半端な覚悟の、もう会わない、ではなく、
自分のルールで生きる恭弥が告げたさよならは、
一生会うつもりがない、という宣告でもある。


それなのに、会いたい、って何だ。




どうして、俺を振り回す?

諦めきれないとは言え、
諦めようと、悩んで悩んで、
逃避かもしれないと解っていても、
見合いまでしようとしていた矢先にあの電話。



もう、勘弁してくれ。

本気でそう思うのに、
馬鹿な俺はこうして日本に来ている。



「会って、何するんだろうな」

呟いた言葉に、優秀な部下は何も返さなかった。
答えなんて恭弥本人にしか解るはずもなく、
ただ誤魔化すように、流れる景色を見ていた。











「…一体、いつまで待たされるんだよ」

呼びだされたからには、
すぐに会うだろうと思っていたのに、
何故か2時間は待たされている。

ロマーリオは気を利かせたのか、
送り届けるとさっさと日本での仕事をしに消えた。

そのため、
無駄に広い畳の部屋で、
見るものなんて、趣深い、としか言いようのない中庭だけ。

いい加減、怒りが湧いてくる。


人の感情に敏感だとは到底言えない恭弥だとしても、
何度も振って、振って、振り倒した後、
止めをさした相手を呼び出した揚句この所業は、
いくらなんでも酷過ぎる。


何度だって、来た場所だ。
恭弥の執務室は解っている。











「お前、いつまで待たせる気だよ」

ドアを思いっきり開けて、言い放った。
それから、直ぐに後悔した。

それは馬鹿みたいに日本に来たことであり、
一目見ただけで、
諦めようとすること自体が馬鹿馬鹿しいと思うほどの想いでもあった。

それから、半年前と何一つ変わらない恭弥の態度。


「ちょっと仕事が溜まってたんだよ」

視線をひとつ寄こしただけで、
恭弥はもう手元の書類に視線を落としている。

本当に何がしたくて、俺を呼んだのか。
でも、そんなことはもうどうでもよくなった。

だって、会ってしまったのだ。
それだけで、ダメなんだ。

何度も繰り返して、解っていたはずなのに。








「好きだ」

馬鹿だと思った。
どうして、と自分でも思う。

けど、
溢れる思いは止めようがなく、
ふらふらと恭弥の前に立つ。

恭弥は書類から目を上げ、俺を見た。




「好きだ」


何度告げても、言葉は変われど答えは変わらない。
いっそ拒絶してくれたら、と思ったこともあった。

けれど、
拒絶されたところで、思いは変わらないと知った。
いつだって会ってしまえば最後、感情は誤魔化せない。

頻繁に会えないからこそ、ダメだった。
だから、今日もまた同じ言葉を繰り返す。


「恭弥が、好きだ」

怒りをぶちまけるつもりで来たと言うのに、顔を見たら告げていた。




「いつだって、あなたはそれを言うね」

視線を書類に落とし、恭弥が言う。
その声に感情は乗せられず、どんな思いで言ったのかは解らない。

いつだって、俺が同じ言葉を告げるように、
いつだって、恭弥は理解できないという顔をした。

それでも、、告げずにはいられないのだ。
告げても告げなくても胸が痛むと言うのなら、
万が一の気まぐれにかけて、告げるほうを選ぶ。

それでも、解ってくれないことは哀しい。



「恭弥…」

理解してくれ。
話をきいてくれ。

いつだって後に続けてきた言葉は、それ以上言葉にはならなかった。


「恭弥?
 お前、それ、何だ?」

書類を持つ左手薬指に光るのは、銀の指輪。
どう見てもシンプルすぐるそれは、戦闘用のモノだとは思えない。
けれど、だったらどうして恭弥がそれを身につけている?
それも、意味ありげに左手の薬指なんかに。

血の気が引いていく音が聞こえた気がした。
それでも、訊かずになんていられない。

震える声を制御することもできないまま、同じ言葉を繰り返す。



「それ、何だ?」

頼むから、戦闘用だと言ってくれ。
いっそ、拾ったでもいいから、
俺の思っていることを否定してくれ。

けれど、その願望は虚しく砕け散る。

「あぁ、結婚指輪だよ」

恭弥が笑う。

見たこともないような、
楽しそうに、柔らかく、華が咲くように。

愛おしげに、左手の指輪に口づける。





耳を疑った。

俺の言葉の意味を理解できずにいた恭弥が、結婚?
それも、表情から察するに望んで、って嘘だろ?








「…冗談だろ?」

掠れた声で問う。

「僕は、冗談が嫌いだよ」

まっすぐに見上げてくる目。

「…それを伝えるために、俺を呼んだのか?」

その問いには、恭弥は答えない。

「…誰と?」

問えば、静かに視線を落とし呟いた。

「…あなたの知らない人」

先ほどとは打って変わって、声のトーンの表情も暗くなった。




「…幸せか?」

何を訊いているのか。

そんなことよりも、
もっと他に訊きたいことは山ほどあると言うのに、そんなことを訊いていた。

恭弥は答えてはくれず、小さく笑った。
それから、また真っ直ぐに俺を見た。


「僕がこれをあげた人に、同じことを訊いたよ。
 その人は、僕以外と結婚してたから」

「恭弥?」

意味が解らない。

恭弥は、結婚指輪だと言った。
それなのに、相手は既に結婚していたってことか?



「その人は、この上なく、って答えたよ」

淡々と、恭弥は話す。

「だから、僕は諦めようとしたんだ」

でも、できなかった、と恭弥が告げる。

「だって、あの人は僕のモノだよ。
 誰にも渡さない。
 誰かにあげるなんて、冗談じゃない。
 可能性があるなら、欲しいモノは足掻いてでも手に入れるよ」

あなたはそうじゃないの、と見上げてくる漆黒の目が問う。




ワケが解らない。
何を俺に望んでいるのか、解らない。



結婚した、と決定打を打って打ちのめしたいのか、
自分は結婚している相手を奪ってでも手に入れると宣言しているのか。



解ることは、
真っ直ぐに見上げてる目が、僅かに揺れていることだ。

それは有得えなさすぎて、
見間違いか願望なだけかもしれないが、
どこか不安げに見えるのだ。


試されて、いるのかもしれない。
唐突に、そう思った。





好きなら、相手が結婚していようが奪え。
足掻いてでも、手に入れろ、と言われてる気がした。





一歩間違えれば、
ストーカー心理と同じで、
自分に都合のいい解釈でしかないのかもしれない。


でも、そう思ってしまったのだ。


読み違えてるかもしれない。

けれど、
どうせどうにもならない所まで来ているのだ。








「恭弥」

呼べば、ビクリと恭弥の肩が揺れた。

その意味は、考えない。
考えたら、進めない。

ポケットを漁れば、固い感触。

いつか貰ってくれるか、と言ってた頃は、
今ほど身動きが取れなくなるような重さではなく、
幾分軽く、好きだ、と告げていた頃。

それでも、告げた言葉は本気で、
いつか、と思ってずっと持ち歩いていたモノだった。


「貰ってくれるか?」

恭弥は答えず、俺を見たまま。
そこに嫌悪がないことに、ほっとする。

「誰かを好きでも、
 結婚したとしても、
 恭弥が結婚してても指輪を贈ったように、
 俺もお前に贈りたい」

どうやってしても、好きなのだ。
どうしようもないのだ。

「貰ってくれるか?」

同じ言葉を繰り返した。

貰ってくれないとは思う。
それでも、自分なりの覚悟を示したかった。




恭弥は俺ではなく、差し出した指輪をじっと見つめる。
代々伝わってきた指輪は、細かい傷がいくつも付いている。
価値は差ほどないだろうけれど、
両親の形見でもあるそれはとても大事なモノだった。




暫く恭弥は差し出した指輪を見て、俺を見た。
それから、ゆっくりと左手を伸ばし俺に差し出した。





まさかとも思ったし、有得えないとも思った。
けれど、手は自然に動き、恭弥の手を取っていた。

それから、重ねづけるように薬指に嵌める。


恭弥は何も言わない。
ただ、じっと真剣に見ている。







「…ありがとう」

どれだけ、時が経ったのか解らない。
ゆっくりと恭弥の手は俺の手から離れ、
室内灯の明かりに翳し、笑った。

「恭弥」

意味が解らず、問うように名を呼ぶ。

「やっぱり、
 重ねづけても邪魔にならないし、よく合ってる」

嬉しそうに聞かせるためでなく、一人呟く。

「恭弥?」

再度問えば、やっと恭弥が俺を見て笑う。


何処か不安を孕んだモノでもなければ、
弱々しくもない、いつだって見てきた自信に満ち溢れた顔。

そして、俺を見る。
真っ直ぐすぎる視線で。






「この指輪をあげた人と、5年会えないんだ」

「は?」

恭弥はまた指輪に視線を落とし、愛おしげに触れる。

「5年は会えない。
 でも、5年後には絶対会う。
 けど、その間あなたには何度会うかな?
 5年経って、もしかしたら、
 その人に指輪を返して、って言っちゃうかもね」

俯いているため、表情はあまり見えない。


だから冗談なのか、
唆されているのかもよく解らない。

でも、やっぱり、
奪えだとか、足掻けだとか、言われている気がするのだ。

それに、どうせ落ちるトコまで来たのだ。
落ち切ればいい。

恋なんて、落ちるモノでしかないのだから。



「何度も会いにくる。
 できる限り、電話もする。
 5年経って、そいつに会って、
 指輪返してもらって俺にやるって言いたくなるくらい。
 これからも、ずっとずっと恭弥が好きだ」

俯いていた恭弥が顔を上げる。
黒い丸い目と視線が合う。

「…人にあげた指輪でも、あなた欲しがるの?」

不思議そうにでもなく、
ただの事実確認のように訊かれた。

「普通は嫌だけどな。
 でも、今回の場合は違うだろ?
 恭弥をそいつから奪い取ることができたって証だ。
 だから、俺はそれが欲しい」

嘘偽りない気持ちを告げた。
恭弥は何度か目を瞬いて、それからふっと笑った。

それがどういう意味かは解らない。







「僕は、あなたが好きだよ」

「は?」

意味が解らない。
ここまでずっと意味なんて解ってなかった。

けれど、これ以上ないくらいに意味が解らない。

「っお前、結婚したんだろ?」

実際、結婚したかはあの話を聞く限り解らないが、
結婚指輪を贈った、イコール、恭弥の中では結婚したことになっているはずだ。

しかも、
その相手は結婚していて、それを奪う形でだ。

それなのに、何を言っている。

「そうだね。
 でも、今言ったことは本当だよ」

好きだ、とはもう言ってはくれなかった。


でも、多分本気で言っているのは解る。
今まで、好きだ、と告げる度、
理解されなかったけど、今なら理解した上で言っているとは解る。

けど、意味が解らない。




「ねぇ。
 あなたが言っていた意味、今なら解るよ。
 この感情は、苦しいね。
 でも、あなたが誰かのモノになるのを
 みすみす黙って見てるくらいなら、
 我慢してでも、自分のモノにしたいと思うよ」

何だそれ、所有物宣言であって、告白じゃないだろ、と思うのに、
それ以上に嬉しさが止まらない。

「…恭弥、俺が好き?」

衝撃と感動のせいで、言葉が震えそうになる。

「二度は言わない」

そう言うくせに、否定しない。

このまま喜びのままに恭弥を抱きしめたいけれど、
そうはできない問題がある。






「…指輪の話は嘘か?」

訊きながらも、嘘じゃないと何処かで解っていた。
恭弥は嘘を言わない。

「本当だよ。
 この片割れは、あの人にあげたよ」

見せつけられる、左手薬指。
そこには俺が嵌めた指輪のほかに、もうひとつの指輪。

「そいつが、好きなのか?」

馬鹿な質問をしていると思った。

「好きだよ」

迷うことなく、恭弥は答える。


迷うなり、
誤魔化すなりしてくれれば、
騙されようと思うのに、
恭弥はそれをさせてくれない。






「じゃあ、俺のことは?」

「さっきも言ったよ」

「そうだな」

暗く答えた声に、恭弥が眉を寄せる。

「あなたは、僕のことだけを考えていればいいんだよ」

その言葉に苦笑する。



どうしたって、恭弥は5年はその男と会えないのだ。
それなら、その間、1分1秒無駄にせず、
恭弥に好きになってもらう努力をするべきだ。

 





結局、
恭弥にはどうやってしても叶わないのだ。

けれど、
何処かで、それでもいいとさえ思っている。

「恭弥、愛してる」

これから先なんて解らないけれど、
変わらぬ思いを、誓うように告げた。

恭弥は言葉では返してくれなかったけれど、
嵌めていた結婚指輪にキスした時と同じくらいの、
幸せそうな笑顔をくれた。

恭弥が言ったように、
俺だって、欲しいモノは絶対に足掻いてでも手に入れてやる。


ただ、それだけだ。






10.10.11〜11.02.02 Back