出されたワインを素直に飲んだ僕。 男を信用するなんて、どうかしていた。 The Castle of Cagliostro. 「…何?」 「あぁ、起きた?」 起きた、じゃないよ。 何、笑ってるのさ。 頭痛と吐き気を伴う目覚めから理解した現状。 それが、月明かりだけが頼りの薄暗い部屋の中で、 両手を椅子の背の後ろで拘束されて座らされているということ。 そんな僕の目の前に、男が笑って立っている。 この最悪の状況を作り出した男は、 起きた、以外に言う言葉は持っていないのか。 「他に言うことないの?」 「他に? あぁ、予想より早く覚醒したな、とか?」 痺れ薬と眠り薬混ぜたのに、と男はぼやく。 違うよ、馬鹿。 そう言うことを言ってるんじゃないよ。 「頭、大丈夫?」 訊いた時点で、自分の頭を疑うべきか。 こんな男に、マトモな答えなど期待できるはずもないのに。 「ん?大丈夫なんじゃね?」 疑問に疑問で返すなよ。 答えにならないだろ。 「ねぇ。 この後、自分がどうなるか解ってる?」 咬み殺すよ、と言外に言っても、男は笑うばかり。 「その言葉、そのまま返していい?」 馬鹿だな、と笑う男が腹立たしい。 後ろ手に括られた手は、縄抜けをしようにもできない。 足も僅かに痺れが残っていて、威力は望めない。 動くのは頭とこの口だけ。 たったそれだけで、この男に勝てるのか。 認めたくはないが、それが難しいと知っている。 それでも、それを素直に認める気もなく。 「へぇ? 君、僕に何する気なの?」 「うわー、流石ヒバリ。 こんな状況でも余裕で笑えるんだ? それってさ、逆に相手の嗜虐心煽るって知ってる?」 知るか、そんなこと。 「ま、そんなことしないけどな。 どうせするなら、可愛がりてぇよな?」 馬鹿は何処までも馬鹿で、会話になることはないらしい。 「君、本当に一度死んでみれば? その前に、この縄さえほどいてくれればいいから」 「縄ほどいたら、ヒバリ逃げるから嫌」 嫌、って何だよ。 子どもか、君は。 「逃げないよ」 「本当に?」 信じないと、男が笑う。 「嘘は吐かないから、ほどいてよ」 逃げはしない。 その前に、男を殴ることが先。 だから、これは嘘じゃない。 「どうしよっかな」 男は考えるそぶりを見せるが、それはふりだけだったらしい。 「やっぱ、ダメ。 俺がやりたいことやってからな」 ニッと笑って、男が畏まった礼をとった。 「どうか泥棒めに、盗ませてください」 「泥棒? 何言ってるの? 気でも狂った?」 突然の男の言葉と行動に、気持ちの悪いモノを感じる。 そもそも、泥棒って何? マフィアに属している限り、 犯罪者ということは否めないけど、男は泥棒なんてことはしないのに。 「やりたいことやってから、って言ったろ? だから、ヒバリも付き合えって」 付き合え、と言われても、僕には何が何だか解らないんだ。 男に合わせられるような人間じゃない。 合わすのは、いつも男ばかり。 だから、何をすればいいのかなんて解らない。 「あー…、ヒバリは知らないのか?」 考えるように呟いた男は、 眉間に皺を寄せた後、自由にしてくれるの、と言えと言う。 ワケの解らない茶番に付き合うのは嫌だけど、 まだ足は完全な回復をみせない今、 付き合ってさっさと縄をほどかれるほうが早いのかもしれない。 そう思えば、諦めもつく。 「自由にしてくれるの?」 「ヒバリが信じてくれたらな」 棒読みで訊いた僕に、男は嬉しそうに笑った。 けれど、その答えってどうなの。 「こんな愚考を犯した人間を信じられると思う?」 「ヒバリが信じてくれたら、 空も飛ぶことだって、湖の水も飲み干すことができるのに」 僕の言葉を男は無視をし、寒い言葉を吐き出した。 それから突然、右手を握り締め呻きだした。 かなりの痛みを発するのか、 その痛みを拡散させるように、手首を圧迫して呻き続ける。 何か男にあったのかもしれない。 どうなってもいいけど、僕の縄だけはほどいてよ。 そう思ってるうちに、男は僕の目の前にかがみ込み、握り締めていた手を開いた。 ポンッという音と共に、出てきたのは小さな一輪の花。 「今はコレが精一杯。」 そう言って、 満ち足りた顔で見上げる男の顔を、僕は思いっきり蹴った。 「っ痛。 何すんだよ、ヒバリ」 蹴られた顔を押さえながら、男が驚いた声を上げる。 男の顔を蹴り上げたおかげで、 感覚を思い出した足でもう一度男をめがけて蹴りを放った。 それは、間一髪で男に避けられてしまったが。 「避けるな」 「いや、避けるだろ」 呆然としながらも、真面目に答えてくる男が腹立たしい。 「ほどいてよ」 「…何で?」 「君がやりたかったことは、終わっただろ?」 憎々しげに言い放てば、男は先ほど見せた満面の笑みで笑った。 「俺がやりたいこと解ってくれたのか?」 解りたくもないけれど、解ってしまった事実。 「僕は、捕らわれのお姫様じゃない」 「そりゃそうだろ。 ヒバリはヒバリだし、捉えたのは俺自身だしな」 解っているなら、どうしてこんなことをする。 「ねぇ、何がしたいの?」 「捕らわれの姫を助けに?」 だから、疑問に疑問で返すな。 「助けに、だって? どうせこの後の展開は、助けられなかったんじゃないの?」 幼い頃に見た映画。 花を渡された直後、 姫は助け出されることなく、助けに来た泥棒は敵に追い返された。 「でも、結局は助けただろ?」 「でもその後に、逃げたじゃないか?」 助けて、泥棒は逃げた。 連れて行ってと言った姫は残され、泥棒は泥棒の日常に戻って行った。 「それって、助けたって言うの?」 問えば男は、困ったように頬をかいた。 「答えられないの? まぁ、どうでもいいけどね。 縄さえほどいてくれたら」 「あー…、うん。 あんまし考えてやったことじゃないから、ちょっと答えらんねぇんだけど。 ヒバリなら、連れて行って欲しかった?」 変らず困ったような目で見てくる男が、心底憎かった。 「ねぇ、知ってる? 優しいってことは、時に残酷で、人を傷つけるんだよ?」 優しさで姫を遠ざけた泥棒と、この男も何処か似ていた。 誰にも好かれる笑顔で男は笑い、その懐の広さで誰もを受け入れる。 それなのに、相手と一定の距離を保ち続ける。 笑顔で人を引き付け、同じ笑顔で人を拒絶する。 誰にでも優しい男は、結局、誰にも興味がないのと変わりはない。 「えっと、解んねぇんだけど、連れてって欲しかったってこと?」 「何度言わせるの? 僕は、捕らわれのお姫様じゃない。 それに僕は、連れて行ってなんて、決して言わない」 そんな言葉を吐くワケがない。 誰かについて行くなんて、群れるのを嫌っている僕に有り得るはずがない。 「そうだよな。 ヒバリが連れてって、なんて言ったら、喜んで連れてくのにな」 何を敵に回しても、と男が笑う。 それが、酷く僕を苛立たせた。 「沢田を敵に回しても?」 男が目を見開く。 何、驚いてるの? 自分が、何を敵に回しても、と言ったくせに? 「縄さえ解いてくれたらいいって言ってるんだから、さっさと解いてよ」 答えられない男に、増す苛立ち。 それを打ち消すように、当初の目的を言った。 「それで、手に入るならいいかもな」 男が、呟いた言葉が信じられない。 「裏切るの?」 何、と男が視線で問う。 「君の大事なお友達じゃないワケ?」 「ヒバリが手に入るならな」 苦笑する男を、僕は睨み上げた。 どうして、男はそんな嘘を言う? 男にとって、彼の重要性とはそんなモノなの? 彼は、男の命をこの世に留めた人間なのに? 「でも、そんなことしても手に入らないんだろ?」 男が笑ったまま続ける。 「違うか。 そんなことしたら最後、ヒバリに殺されるかな?」 だって、お前そういうの嫌いだもんな、と笑う男。 男の基準が解らない。 男にとって、彼とは何? そして、僕とは何? 「僕が手に入るなら、君は彼を裏切るの? 僕が手に入らないから、君は裏切らないの?」 どちらも同じことだけれど、その実、異なること。 卵が先か鶏が先か、と同等の愚論さだけど。 「さぁ、それはヒバリが決めれば? どうせ俺が何を言ったって、信じないんだろ」 酷薄な笑みで、男が笑う。 それは、僕の知らない男の一面。 僕は、呆然と男を見上げた。 「そんな顔するなって」 僕を抱きしめる形で、後ろ手に結んだ縄をほどきながら男は笑う。 自由になったはずなのに、 僕は動けず椅子に座ったまま、男の肩越しに呆然と無機質な壁を見つめる。 「泥棒になりてぇな」 噛み締めるように、男が言った。 僕は未だに動けず、壁を見ている。 「あの泥棒のように、とんでもないモノを盗みてぇよ」 男の言葉と共に浮かんだ、映画の最後のシーン。 泥棒を追う警部が、助け出された姫に言ったセリフ。 ヤツはとんでもないモノを盗んで行きました。 ――あなたの心です。 そんなモノが欲しいのか、と笑ってやりたかった。 それなのに、僕は何もできず壁を見ているしかできなくて、 ただぼんやりと、ぎゅっと抱きしめる男の手が、今になってやっと震えていることに気づいた。 変らず思考が停止したまま、自由になった手を持ち上げる。 男はゆっくりとした僕のその動きに気づいているだろうに、何も言わないし動かない。 自由になったら、僕が何をするか解っているだろうに。 ただ、ぎゅっと僕を抱きしめるだけ。 僕は自由になった両手を男の肩越しに見つめながら、その手を男の背に回した。 服を掴むに留まったのは、 なけなしに残っているプライドのせいか、理性のせいか解らないまま。 男は肩をビクリと振るわせたが、それだけだった。 頭の中を、 警部の言葉に対し、はい、と晴れやかに笑った姫の顔が焼きついて離れない。 僕は、そんな顔なんてできなければ、 こんな気持ちを認めることも、許すこともできない。 振り払うように目を閉じれば、何処までも暗闇が広がるばかり。 そんな闇の中で唯一感じるのは、触れ合った男の体温の温かさと未だ震える指先。 互いに無言で、 痛いだけの沈黙の中、男は何を思うのか。 震えたままの指先からは、何も伝ってはこなかった。
06.07.28〜0801 ← Back