男は、何も言わなかった。
止めもしなかった。

だから、僕は許した。

支給品の銃に発信機と盗聴機が仕込まれていたことも、
男がずっと僕の様子を隠れて伺っていたことも、すべて僕は許した。

それなのに――Living.






声が聴こえた。

聴こえるはずのない声。
浮上するはずのない意識。

これは、何?




視界に、男が映る。
霞がかった意識の中、それが誰なのか理解する。

男は、あの男だった。
多少は歳を取っているようだが、男だった。


有り得ないと思うより先に、悟る現状。
湧き上がるのは、怒りと屈辱。

男を罵倒したかった。
どうして、と問いただしたかった。

でもそれを問うのは簡単で、余りにも愚か過ぎた。


死んだと思ったのに、
いや、確実に死んだはずなのに、
戻らぬはずの意識が戻り、
二度と見るはずがないと思っていた男が目の前で、
おかえり、と笑った。






有り得ない状況なのに、
その狂気が垣間見える笑みが、現実だと理解させる。

変らず、沸き上がる怒り。
けれどそれ以上に、悔しかった。

男の取った行動があまりにも悔しくて、僕は愚かしくも泣いた。

初めて泣いたのが、
こんな理由で、こんな状況で、すべてが許しがたく、
怒りより何より、ただ悔しかった。


僕を誰よりも解っているはずの男が、僕の遺志に反することをした。


信じていたのに。
信じた自分が酷く情けなくて、
気づけば涙腺が、何度も涙を伝えてた。






「ごめんな」

男は、そう言って笑う。
困ったように笑う。

それは見慣れた笑みで、
僕にしたこともその辺の些細なことも変らぬことのように笑う。

「金も、人も、すべてあったんだけど、
 ヒバリだけがいないんだ」

だから?、と言いたかった。
たったそれだけのことで、どうして僕が生き返らされなきゃいけない。

そもそも、今いるこの僕は何?

この思考は、生前――と言うのか知らないけれど、
“雲雀恭弥”の正しい思考?
この身体も、“雲雀恭弥”の身体?





「ねぇ、僕は何?」

「ヒバリ」

男は、嬉しそうに笑った。

「本当に?」

「あぁ、ヒバリ」

変らず、笑って答える男。

「君にとっての、じゃなくて?」

一瞬、ほんの一瞬、
男は怯んだけれど、それを隠すようにまた笑う。

「ヒバリは、ヒバリだよ」

そう笑うのは、狂気に走ってしまったからか。



「君の言い分を信じるとして、ひとつだけ言ってもいい?」

「何?」

話が変ったことに、男は安堵したように見えた。

「君は僕の邪魔をすることも止めることもせず、
 僕の気持ちを優先してくれたから、
 抜け殻でも君が欲しいと言うのなら、身体だけでもあげようと思ってた。
 ねぇ、この意味が解る?」

弱りきった身体だったとは言え、
男に気づかれることなく姿を消すことは簡単にできた。
でも、それをしなかった。

その意味が解らないなんて、許さない。



僕の睨み上げる視線と、
男の戸惑った視線がぶつかる。

先に逸らしたのは、男。

ごめん、と意味もなく笑うのなら、
殺してやろうかと思ったけど、男はもう笑わなかった。






「…それでも。
 それでも俺は、ヒバリと一緒にいたかった」

滅多に見せない男の苦渋に満ちた顔が、
それがまぎれもない本心だと僕に伝えてくる。

でも、許せることと、許せないことがある。

「僕は、これが僕だとは認めないよ。
 ――だから、君の手で殺して」

目を見開く男。
その痛いほどの視線を、黙って受け止める。


「君が、終わらせるんだ。
 君の手で、終わらせてよ。
 僕が自ら死を選んでも、君はまた邪魔するんだろ?」

それなら、君の手で終わらせろ。
そうじゃなきゃ、終われない

こんなモノを、僕は望んじゃいなかった。
男もこんな結末を、望んじゃいなかった。

何もかもが間違っていて、何もかもが哀しかった。


「君が殺らなきゃ、僕は自分で殺るよ。
 それでもし、君が同じことを繰り返したとしても、
 僕は何度でも君の目の前で、死を選ぶよ」

選ぶのは、男。
決めるのは、男。

「酷ぇな」

泣くんじゃないかと思うほど、掠れた声で男が呟いた。

「君が選んだ結果だよ」

「…そうか」

ぐっと抱え込むように男は僕を抱きしめ、心臓に銃を突きつけた。






「…俺、間違ってた?」

「そうだね」

問う男も、答える僕も、静かだった。

「生まれ変わりとか信じてねぇけど、今なら信じてぇや。
 今度さ、生まれ変わるなら、先に死ぬなよ。
 …残さないでくれ。
 一日とかなら我慢するけど、何十年とかなしな。
 ひとりは辛いからよ」

ひとりでいなければいい、
と言うのは簡単なのに、僕は何も言えなかった。

「なぁ、最後に、何か言ってくれよ。
 それを糧に、頑張るから」

途切れ途切れの言葉が、
止まっているはずの心臓に痛みを伝え、
僕は男と同じように、泣き出しそうだった。


「今度があるなら、君より一秒だけ長く生きてあげるよ」

そんな陳腐言葉を、
笑って言い放つはずが、無様にも掠れた。

男は抱きしめる腕を緩め、
僕を見て、ありがとう、と笑った。

最後に聞いたのが、
ごめん、じゃないことに、僕も笑った。



それが、最後の記憶。
もう二度と、僕は目覚めることはない。






06.09.28〜10.08 Back