転がった数体の屍。 返り血を僅かに浴びた僕。 トンファーから伝い落ちた血が、手を赤に染める。 更にその色を濃くするかのように、咳き込んで吐き出した血が手を汚した。 腕で口元を拭えば、べっとりとした赤がスーツの袖を汚す。 混ざり合った赤が、 吐き出した自分の血なのか、 床に転がっている他人の血なのか解らなくなった。 Remaining days, several months. 「ヒバリ?」 勘のいい元赤ん坊に会うことは避けれたのに、 もうひとりの勘がいいんだか鈍いんだか解らない男に会ってしまった。 「久しぶりだな。 何してんだよって、報告書出しに来たのか?」 親しげに話しかけながら、近寄ってくる男。 それを避けるように、踵を返す。 近寄られて、感づかれるのは冗談じゃない。 「待てよ、たまにはメシでも一緒に――…」 僕の腕を捉えた男が、息を呑む。 「…何だよ、この細さ」 思わず、舌打ちしそうになるのを堪える。 この暑い中、前を開けているとは言え、 スーツを着て誤魔化していたのに、そんなもの掴まれてしまえば終わりだ。 「離してよ。 夏バテしたんだよ」 振りほどきながら、冷たく言ったところで男は怯まない。 それどころか、語気を強める。 「夏バテって、こんなになるワケねぇだろ。 それに、お前血の匂いが――」 「血の匂い? バカじゃない? 仕事帰りだって君も言っただろ? 血の匂いがしてて当然じゃない」 鼻で笑いながら、誤魔化せると安堵する。 顔では冷笑を浮かべながら、背中に伝う冷たい汗。 それが肉体的痛みからなのか、 精神的痛みからなのか知らないし、知りたくもない。 「違う」 射抜くような目で、男が言った。 それから、労わるように再度掴まれる腕。 「お前の血の匂いがする」 男の顔が、辛そうに歪むから、 何それ、と笑うつもりが、できなかった。 「…無傷でいられるほど、楽な相手じゃなかったんだよ」 逆らう勢いが、消えた。 誤魔化さなければ、と思った。 鬱陶しいからではなく、認めたくはない違う気持ちから。 「バカだな」 泣きそうな顔で、男が笑う。 「何?」 「自分がどこに血を浴びてるのか解ってるか? 腕と腹と足。 腹と足は血が飛び散ってるだけなのに、 何で腕のあたりはべったり血がついてんだろうな。 それに――」 これ何だ?、と拭われた唇。 拭った指を見せ付けるように、目の前に突き出す。 そこには、微かに血に濡れた跡。 失敗した。 報告書なんて、後回しにすればよかった。 拭っただけで終わらせた自分が、腹立たしい。 「内臓をやられて、吐いたんだよ」 冷静な声で返したのに、 内容は無理なもので、当然のように男が問い返す。 「蹴られた跡も、殴られた跡もないくせに?」 「知らない」 目を見て言い切る。 男が怯むように、信じるように。 それなのに、男は怯みもしなければ信じもしない。 「お前。身体が――」 確信めいた目で、男が僕を捕らえる。 けれど、僕は答えない。 「ヒバリっ」 悲痛な叫びが聴こえても、僕は答えない。 余命数ヶ月と、医者が言った。 治療に専念すれば、助かる可能性もあるかもしれない、とも言った。 かもしれないって何?、と思いながらも、 どのくらいの期間がかかる?、と訊けば、 解らない、と医者が言う。 身体を自由に動かせることがなく、 ただベッドに横たわっていて何が楽しい? それを、生きてる、って言うの? 他の誰がそれを、生きてる、と言っても、僕はそうは思わない。 動けるうちは、動く。 動けなくなると悟ったら、僕は消える。 飼い猫が死期を悟った時、消えるように。 自分を飼い猫だと認めたような想いに、苦笑するしかない。 それでも、誰の飼い猫だとは言わないし認める気もない。 ただ僕は飼い猫であったとは認めても、 病院のベッドで飼い主に看取られて死ぬような猫ではないんだ。 だから、男には言わない。 治療次第で、助かるかもしれないということを。 そんな男にとっては希望であろうことと、 僕にとっては絶望的なことは、最初からなかったことにすればいい。 ただ決定的な現状という事実を告げればいい。 「余命、数ヶ月」 息を呑み、目を見開く男。 その見開かれた目に映る僕は、笑みを浮かべている。 いつもの冷笑ではなく、誇らしげに。 それこそが、自分だと知っているから。 痩せ衰えようが僕は、自分の意思で動いてこそ僕だ。
06.07.12〜07.16 ← Back 山本サイドは、Web拍手にて公開中。 いろいろ、気をつけてお読みくださいませ。