「触るな」 そう言って、俺の手を振り払ったヒバリ。 その顔に浮かんだのは、拒絶ではなく恐怖だった――…? Trauma. 空に右手を翳したら、太陽を受けてキラリと光った。 多少ゴツゴツとはしているけれど、それでもこれは普通の手。 指は5本とも、欠損することなく存在している。 「何やってんだよ?」 呆れ半分で、獄寺が声をかける。 ツナが職員室に呼び出されてるから、暇なんだろう。 「なぁ。 俺の手って、別に汚くねぇよな?」 「は? 何、言ってんだよ? 馬鹿じゃねぇの?」 思いっきり、眉間に皺を寄せられる。 いつもだったら、漸く気づいたか、くらい言いそうだが、 あまりにも予想外の問いかけのせいか、普通に返された。 そう、普通に。 つまり、別段変ではないということで。 「触れた途端に手を振り払って、触るな、って言われた場合、 言ったヤツは、俺に対してどんな感情があると思う?」 「…お前。 さっきから、何言ってんだよ?」 咥えていた煙草を消しながら、 真剣に、頭大丈夫か、とでも言われそうな勢い。 「いや、だから。 触るなって言われたんだけどよ、何でかな?」 「…お前のこと、嫌いだからじゃねぇの?」 何言ってんだコイツ、と、 気味の悪いモノを見るような目で俺を見る獄寺。 それでも、気にせず続ける。 「嫌われてはないとは思うんだけどよ。 どっちかっつーと、嫌いってより怯えてたような」 「…襲ったのか?」 ますます引きかける獄寺。 「違うって。 あー…、でも。 好きだといった後だったかな」 「…何かされそうで、怖かったんじゃねぇの?」 やってられねぇ、とでも言いたげに、新しい煙草を取り出して火を付ける。 獄寺はもう構ってくれそうにない。 だからもう一度、確かめるように右手を空に翳した。 太陽は雲に隠れているため、光ることはなかったけれど。 やっぱ、アレは怖がってたんだろうか。 どう考えたところで、 あの表情は、嫌悪より恐怖なワケで…。 でも、相手があのヒバリなのだ。 嫌悪ではなく、恐怖って有り得なくねぇか? それに好きだという前は、普通に触れていた。 その後、殴られてはいたけれど。 「相手、ヒバリなんだけど」 やっぱ、怖かったんかな?、 と続けるはずの言葉は、煙草を落とし驚愕の目で見てくる獄寺に憚られた。 「…何っつった?」 「いや、だから。 相手はヒバリなんだけど、やっぱ怖かったんかな?」 「ヒバリ? あの風紀のヒバリ?」 胸倉を掴んでまで聞くことか? 「そうそう、そのヒバリ」 「…お前、アイツが好きなのか!?」 信じられねぇ、と吐き捨てながら、胸倉を掴んでいた手を離される。 「だって、可愛くねぇ? 猫みたいでさ」 毛並みのいいキレイな猫。 気位の高い猫。 毛を逆立てて怒る猫。 うん、やっぱ猫だ。 「…俺、お前の趣味解んねぇわ」 「解られても困るから、別に解んなくていいぜ」 「あっそ」 うん、そう。 あの可愛さを、誰も解らなくていい。 あのキレイさを、誰も解らなくていい。 「で、ヒバリなんだけど、怖いって有り得ると思うか?」 「…想像できねぇな」 新しい煙草をまた取り出して、煙を吐き出しながら獄寺が答える。 「だよな? でも、あれは拒絶とか嫌悪とかより、恐怖って感じでさー」 「だから、お前が怖かったんじゃねぇの? がっついてたりしたとか」 うわー、気色悪ィ、 とか言いながらも、ちゃんと答えてくれる獄寺っていいヤツだよな。 「いや、別に腕を掴んだだけだぜ? 抱きしめようとしたワケじゃないし」 そんなことしたいけど、させてくれないんだろうな。 「あー、それに殴られてねぇや」 「殴られてない?」 あぁ、と頷く。 それはもう、意外なことに殴られなかった。 恐怖に満ちた顔をし、それを隠すように逃げ出した。 あのヒバリが。 「…トラウマでもあんじゃねーの?」 トラウマを持つ者だからか、どこか重い口調で獄寺が言う。 「…どんな?」 「…今、お前が想ったことじゃねぇの?」 困ったように笑われた。 「…そっか」 何となく、そうじゃないかとは想ったけれど。 違って欲しい、と想わなくもないワケで。 けれど、そう考えるとすんなりとあの表情に納得が行く。 だって、今でもあんなにキレイで可愛いんだ。 それがもっと幼かったら、あどけなさも加わりさぞかし可愛いことだろう。 そんな幼くも、力なく弱かった頃。 何かあったとすれば、その時で。 そんな時の何かなんて、考えれば一つなワケで。 今となってみれば、 あの異常なまでの強さも、身を守るためかもしれない。 「トラウマって治るのか?」 「俺に聞くなよ」 バーカ、と笑う。 何年経っても、獄寺はまだビアンキを見るたびに腹痛を引き起こす。 すぐに治るなら、それをトラウマなんて言わない。 「ちょっと行ってくる」 「勝手にしろよ。 つーか、戻って来なくていいからな」 そう言うのは、もうすぐ戻ってくるだろうツナとふたりでいたいためか。 コンコン。 ノックなんてしたことなかったけれど、今日はしなくちゃいけないと思った。 それでも、返事を聞く前に勝手に中に入ったけれど。 「何?」 1週間ぶりに見るヒバリは、少し痩せて見えた。 「俺、お前のこと好きなんだけど」 言えば、眉間に皺を寄せられる。 「出てってくれない?」 「なぁ、俺。 好きって言ったんだけど?」 「僕は、出て行ってって言ったんだけど?」 互いに睨み合いながら、沈黙。 って、違うだろ? こんなことをするために、来たワケじゃない。 「触れるから」 ちゃんと先に言って、 ソファに座るヒバリの横に跪いて手に触れたのに、 逆の手に仕込まれていたトンファーで殴られる。 それでも、決して手は離さなかったけれど。 「っ痛。 触れるっつったろ?」 「僕は、許可してない」 でも、以前とは違い恐怖は浮かんでなかった。 まるで、あの時が嘘のよう。 今は、淡々としたいつもの表情があるだけ。 「何かあった?」 「何?」 「昔」 「昔?」 ヒバリは解らないとでも言うように、眉間に皺を寄せる。 「この前触れた時、ヒバリ怖がって――」 言い終わる寸前に、触れていた手を振り払われる。 浮かぶ表情は、あの時と同じ――恐怖。 「何言ってるの? 冗談止めてよ?」 付きあってられないとでも言うように、 席を立とうとするヒバリの腕を掴んで止めた。 ビクリと震える肩。 声も、震えていた。 それが、答えなんだな。 誰が、とか、 いつ、だとか、 聞きたいことはあるけれど、 それを聞いてもどうにもできないことと、 聞けば聞くほどに、ヒバリの傷を抉ることになるから止めた。 その代わりに、腕を引き寄せ抱きしめた。 震える痩身の身体。 それを隠そうとする気位の高さ。 どれもこれも、愛おしくって泣けてくる。 「大丈夫だから。 俺は、違うから」 何が大丈夫で、何が違うと言うのか。 俺はヒバリのことが好きだけど、ヒバリは好きじゃないかもしれない。 そんな相手からされる行為は、昔された行為と何ら変わりがない。 それが解っているのに、 抱きしめる手を離すどころか、力を緩めることすらできない。 そんな腕の中、 震えの止まらないヒバリが伝える体温が、 それでも殴ることのないヒバリが、 殴られないことに僅かな期待を見出す自分が、哀しかった。
06.05.15〜05.20 ← Back