「ねぇ、どういうこと?」 「…恭弥?」 2年ぶりの声は、怒りが滲んでいた。 Phantom pain. 「…待て、恭弥。 今ちょっと手が放せねぇんだ。 ボスが――」 行方不明で、と 言いたかったのに、その言葉は遮られる。 「会ったよ」 「…え?」 いつ?何処で? どうして? メモ書きひとつでいなくなったボスの行方を、 ファミリー総出で探していてる中、 2年ぶりの恭弥が言った言葉は、思考を停止させるには充分だった。 「ねぇ、どういうこと?」 止まってしまった俺に、更に怒りを滲ませ恭弥が問う。 「…ボスに会ったのか」 事実を確認するだけなのに、いやに心臓が鼓動を早める。 「さっき、会ったよ。 ボンゴレ邸での身内だけのパーティだったのにね」 沢田が呼んだんだろう、と忌まわしげに舌を打つ。 「…そうか」 そんな言葉しか出て来ない。 「そんなことはいいんだよ。 どういうこと、って訊いている」 何度目かの同じ問い。 最初は、 自分と鉢合わせるような所に何故ボスがいたのか、という意味かと思ったが、 原因がボンゴレ10代目だと予想しているというのなら、 他の意味だろうに、それが何か解らない。 「…何がだ」 「何が、じゃないよ。 2年だ。 2年が経ったというのに、どうしてあの人は結婚しないの? しかも、婚約さえしていない。 水面下で話が進んでるなら兎も角、それさえもない。 その上――あなたたちは強く望むことさえしてないと、あの人は言った」 だから、 どういうことかと訊いている、と恭弥は言う。 あぁ、と思った。 けど同時に、言えるワケがねぇだろ、と思った。 2年前、恭弥がとった行動は、 ファミリーのためではかったけれど、 結果、ファミリーのためとなるものだった。 それは、恭弥のその先の一生を変えるような方法で。 それを目の前で見せられたのだ。 泣くワケではないが、 最後に名残惜しそうに一度だけ強くボスを抱きしめたのを覚えている。 誰もが口も出せなければ、 行動も起こせず、 まるで神聖な儀式のようで、 それを見ていた俺たちは、何も言えなくなった。 実際、何を言えると言うのか。 自分の中でボスとの事が完結してしまった恭弥には、 俺たちが何かを言えるはずもなく、 恭弥のこと全てを忘れてしまったボスには、 恭弥の覚悟を思えば何も言えなかった。 それでも、思った。 このまま恭弥を忘れて、 誰かに惚れてガキができて、幸せな家庭を築いてくれたらって。 それが無理でも、 以前のボスのようにファミリーのためだけを考えるようになって、 それなりに利益のある女と結婚して、 ガキができて、それなりに幸せになってくれたらって。 けど、現実は違った。 ボスは何処まで行っても、ボスだった。 親しいファミリーのボスに子供が生まれた。 それを祝いに行った帰りの車の中のことだ。 「可愛かったな」 元より子供好きのボスが、笑いながら言った。 「だったら、ボスも早く結婚したらどうだ?」 軽口を装って訊く。 「んー。 何だろうな。 結婚したくないワケでもねぇし、 それどころか、そろそろ結婚しなきゃなんねぇとは思うんだけど、 俺、ずっと大事なこと忘れてる気がするんだ」 先程まで楽しそうに笑っていたのに、酷く哀しそうな顔で笑う。 けれど、 そんなことよりも、その言葉に衝撃を受けた。 「…大事なこと?」 まさか、と思い、 まだ何も思い出していないことに安心する。 ボスは流れる景色に視線を移し、あぁ、と言った。 「大事だってことは覚えてるんだけど、 何だろうな、それが何か解んねぇんだ。 モノなのか人なのか、何も解んねぇ。 でも、大事だって思うんだ。 それだけは、絶対だ。 だから、それが何か解るまで、結婚はできねぇ。 間違ったらダメだと思う。 間違えたくねぇんだ」 ダメかな、と、 いつの間にか真剣な顔で俺を見ていた。 結局、ボスはボスなのだ。 恭弥に捕らわれてしまったまま。 「いや、アンタのファミリーだ。 アンタが好きにすればいいさ。 それに俺たちが従うだけだ」 単なる義務ではなく、心からそう思っている。 それが解るように、ニヤリと態と明るく言ってやる。 けれど、胸中は複雑でしかなかった。 何を間違えたのだろうか。 時折そう思うが、では何を?、と問われれば解らないのだ。 あの時、恭弥が行起こした行動は、 後ろめたさを覚えながらも、密かに次代を望む俺たち部下にとっての突破口。 けれど、実際それを目の当たりにした場合、 感謝なんてできるはずもなく、 どうして、ボス個人の幸せを望まなかったのか、と後悔を産んだ。 そして恭弥は去り、残ったのは恭弥を忘れたボス。 それも中途半端に大事なモノがあったと覚えていて、 進めないままのボスだけが取り残された。 幸せになってほしい、と思うのに。 では、何処からやり直せばいいのか解らない。 だから、ボスが思い出してくれれば、と思う。 そうして、また元の二人に戻ってほしいと思うのはエゴだろうか。 「ねぇ。 ちょっと訊いてるの?」 苛ついた声に、我に返る。 「あぁ、悪ぃ」 「そんな言葉はいらない。 だから、どういうことって訊いている」 「…ボスは、何か言ってなかったか?」 質問には答えず、問いで返す。 「…大事なことを忘れてるって言ってたよ」 怒りを溜息で吐き出しながら答えられる。 「で、お前は?」 「忘れたなら、それは必要ないってことだと言ったよ」 らしいな、と思った。 けど、 自分で忘れさせといて言う言葉がそれかよ。 「そうか。他には?」 次いで問えば、僅かに間がある。 それでも急かすことなく待てば、答えが返ってきた。 「…名を、呼ばれたよ」 「教えたのか?」 恭弥は2年前のあの後、徹底的に自分の経歴を抹消した。 残ったのはボンゴレに入ってからの仕事内容と 『雲雀』というコードネームと化した名のみのはず。 もとより名を呼んでいたのは、 うちのファミリーの一部の人間だけだったし、 表だってうちのボスが、 ボンゴレの雲の守護者の家庭教師をしていたということは知られていなかったし、 恭弥自体も表立って行動するより裏で暗躍するタイプたったこともあったのが幸いした。 更には、ボンゴレ自体も、 それに至った恭弥の背景を思えば恭弥の要望に応えたいと思い、 情報の流出を極限に抑えていることがそれを可能にしている。 だから、恭弥を忘れたボスに、 恭弥の要望を無視してボンゴレの誰かが教えるはずがない。 だったら、 恭弥自身が?、と思ったけれどそれこそ有得ない。 そして、それは正しかったようで…。 「教えるワケがない」 「そうだよな」 こいつは、ボスに思いだして欲しくないんだから。 でも、ボスは恭弥の名を呼んだ。 それは僅かでも思い出したということ。 けれど、恭弥はそれを望んでいない。 でも、本当に? 「お前は、それでいいのか?」 後悔などしない相手に、問う質問ではない。 でも、訊きたかったのだ。 答えは迷わず、当然、と返ってくると思ったのに違った。 僅かの間の後に、それは返ってきた。 「…いいに決まってる。 僕が、選んだことだよ」 「…そうだな」 一瞬でも迷ったくせに、なんて言えなかった。 「…もういい。 暫く、イタリア離れる。 ボンゴレ関連で寄る時は哲が連絡するし、 あなたも鉢合わせしないように哲に連絡して」 「…あぁ」 答えながら、似たような立場の相手を思う。 けれど、俺と違って私情を挟むことなく、 徹底して命令を聞くだろうことが容易に想像できた。 「何処に行くんだ、って訊いても教えてくれねぇんだろ」 「当たり前だよ。 そもそも、僕はあの人にも教えてなかった」 「そうだったな」 そのくせ、恭弥を見つけ出すのが上手かった。 流石に仕事関連だと無理でも、 いくつかのプライベートで訪れる先を当てるのは得意だったのだ。 無駄足を踏むかもしれないのに、 空いた短い時間でよく海外に探しに行っていたっけ。 その頃が懐かしく、遠い。 「もうボスに会いたくねぇのか」 今回の偶然ボスと会うというアクシデントがなかったら、 恭弥は直接俺に連絡を入れなかっただろう。 だから、 もう二度と恭弥と話す機会はないと言えるから訊いた。 「あの人は、僕のあの人じゃないよ」 だから、必要ないと言う言葉は2年前の変わらない。 でも、その声の強さが違う。 揺らぎが見える。 そう思ってしまうのは、ただの願望だろうか。 もっと確認したくて言葉を交わしたかったのに、 恭弥は既に通話を切り、空しく機械音が聞こえるだけ。 遣る瀬無い気持ちのまま、新たに通話ボタンに手をかけ告げた。 「ボスの居場所が解ったぞ」 だから、もう探さなくていいと。 幸せに、なって欲しいのだ。 願うことは、 本当にただそれだけだと言うのに、それが酷く難しい。
11.02.27 ← Back