「何か、忘れてる気がするんだ。 酷く大事だった気がするけど、何なんだろうな。 ツナ、何か知らねぇか?」 別に期待して訊いたワケじゃない。 ただずっと、胸に引っかかるようにその想いはあるのだ。 じゃあ、実際に何を忘れたのか、と言えば解らないし、 部下に訊いても曖昧に、知らない、と言われ解らないままで、 誰かれ構わず自分と近しい人間に訊いてみようかと思っただけだ。 それなのに…。 Phantom pain. 「…し、知りませんよ。 ディーノさん本人が解らないことを、俺が解るワケないじゃないですか」 少しだけ困った顔をしたツナ。 それが、本当に解らないから、と言うより、 誤魔化している、と解ったのは長年の付き合いのせい。 けれど、どうしてツナは俺に隠したいのか。 ファミリー間のことなら兎も角、 個人的なことに関して、何かを誤魔化す理由って何だ? でも、それを訊くことは何故か憚られた。 「そか。 そうだよな。俺にも解らないってのに。 でも、何だろうな。 本当に、大事なことだと思うんだ」 だって、こんなにも胸が痛いのだ。 空っぽな空洞ができて、 隙間風が吹く度に痛みと哀しさを伝えてくる。 「…っ俺は、…俺は、何も知りませんけど」 けど、とツナは何かを耐えるように、俯いた。 こうして見ると、まだ日本にいた中学生の頃を思い出す。 今だって優しいけれど、 それでも大ファミリーのボスだ。 非情になることもある。 けれど、今は中学生の頃の何処か頼りないツナに見えた。 「…いえ、何でもありません」 数瞬の沈黙の後、ツナは顔を上げ力なく笑った。 「一週間後、ファミリーだけのちょっとしたパーティがあるんです。 よかったら、ディーノさんも来ませんか? …気分転換になるかも知れませんよ」 明らかに何かを言おうとしていたくせに、 ツナはそれをなかったかのように話題を変えた。 「…身内だけでやるんだろ? 遠慮しとくぜ」 もう何もツナが教える気はないと言うのなら、仕方がない。 「獄寺君も、山本も…他の守護者も来るんです。 懐かしくないですか? だから、来てください」 何故か必死に言われている気がした。 「解った。 ロマに言って、調整してもらうわ。 詳しい日時は、また連絡くれるか?」 「いえ、ロマーリオさんには…ファミリーの人たちには内緒にしてください。 それから、ディーノさん一人で来てください」 「ちょっと、難しいぞ?」 一応それなりのファミリーのボスなんてやってるんだから、 個人的に動くにしろ、部下に一言もなしってのは難しい。 それが解らないツナでもないだろうに。 「お願いです」 そう頭まで下げられれば仕方がない。 「解った」 了承すれば、時間と場所は教えられた。 「楽しみにしてるな」 告げれば、 ツナは笑ったけれど、 それは嬉しさも哀しみも混ざったような、 そんな複雑なものだった。 「よう」 部下を騙して何とかやって来たボンゴレ邸。 ツナは俺を見つけ、安心したように笑った。 「よかった、来てくれたんですね」 「おう。 帰ったら、多分しこたま怒られるだろうけどな」 「すみません」 ツナが申し訳なさそうに頭を下げる。 「いや、俺も気分転換できるし、有難ぇよ」 「そう言ってくれると、俺も助かります。 ――あぁ、ちょっとすみません。 獄寺君も山本も多分近くにいますから、楽しんで行ってくださいね」 それだけ言って、 ツナは部下に呼ばれ足早に去って行った。 キョロキョロと知った顔を探せば、早くも見知った顔を発見。 「久しぶりだな」 声をかければ、獄寺は舌打ちした。 「何だよ、その態度」 久しぶりに会って、そんな態度を取られる覚えはない。 「別に」 何でここにいる、って言われないってことは、 恐らくツナが俺が来ることを話しているのだろう。 「なぁ。 俺、凄く大事なこと忘れてる気がするんだけど、お前知らねぇか?」 ツナは何かを知っていて、それでも何も言う気はないようだった。 それなら、ツナの片腕のコイツは何かを知っているだろうか。 それとも同じように、知っていて、何も言ってはくれないのだろうか。 「…知らねぇよ」 酷く眉間に皺を寄せ、吐き捨てるように獄寺は言う。 だから、知っているのだと思い、 言うつもりがないのだとも理解した。 俺の大事な何かは、ボンゴレに関係するモノなのかもしれない。 諦めの溜息とともに、 ぼんやりとそんなことを思えば、黒い何かが目にとまった。 黒なんて、ほとんどの者が身に着けているスーツの色。 けれど、そうじゃなく――あぁ、髪の色が黒いのだ。 壁にひっそりとよりそう少年とも青年とも言えない男。 「アレ、誰だ」 呟くように問えば、俺の視線の先を追った獄寺が小さく呟いた。 「…雲雀。雲の守護者だ」 雲の守護者には、会ったことがなかった。 元より雲の守護者は、性質上式典にも出ないことが許される特別な守護者だから。 「…初めて、見た」 「…そうかよ」 俺の言葉に、 また吐き捨てるように獄寺は答え、去って行った。 俺は馬鹿みたいに、吸い寄せられるように壁に寄り添う男に近づく。 あと5メートル、といったところで、男が顔を上げ視線が交差した。 驚いたように目を見開き、呆然と俺を見る。 その理由は解らない。 けれど、男が我に返るまでに近づかねばと必死になって足を進めた。 「こんにちは」 腕を伸ばせば届く一歩手前で立ち止り、 ニッコリと人好きのする笑みを浮かべる。 その頃になって、 ようやく男は我に返ったらしく、すべての表情を消した。 「キャバッローネファミリーのボスのディーノだ。 初めて会うよな、よろしく」 手を伸ばせば、その手をじっと見つめられる。 けれど、 どれだけ待っても、その手は取られることはない。 諦めて手を下し、口を開いた。 「何かとても大事なことを忘れてる気がするんだけど、お前知らねぇか?」 自分でも、何を言ってるんだと思う。 初対面の人間に訊いて解るはずもない。 訝しげな視線か、胡乱な視線でも向けられるかと思ったのに、 変わらず無表情のまま俺の顔を見上げてきた。 近くで見れば見るほど、キレイな黒い目がそこにある。 闇のような暗さだと言うのに、その中にキラキラしたモノを秘めているようなそんな目だ。 「忘れたなら、それは必要ないってことだよ」 キレイな目に感動すら覚えていたのに、 俺の想いをぶった切る冷静な言葉が心臓を抉った。 「…でも、大事だって覚えているんだぜ」 言い訳のように言ったけど、相手は相変わらずの無表情。 さっきまで呆然とした目で見ていたのに、アレは何だったのかと訊きたいくらいだ。 「それでも忘れたと言うのなら、あなたにとって不要だったってことだ。 そんなモノに捕らわれていて何になるの? あなたボスなんでしょ? だったら、さっさと結婚して子供作って、ファミリーの皆を安心させれば?」 それは、いろんな人間に言われる言葉。 けど、言わない人間もいる。 それがおかしなことに、ロマーリオを始めとしたファミリーの部下や、 ボンゴレのツナを始めとした昔からの知り合いたち。 言って当然の人間が、まったく同じように何も言ってこない。 言ったとしても、好きにしたらいい、と言うのだ。 「部下は、それを特に望んでねぇみたいだけどな」 苦笑で答えれば、初めて男の視線が揺れた。 それから俯いて、馬鹿が、と何故か小さく呟いた。 「なぁ、お前、何か知ってるのか?」 「…知るワケがない」 顔を上げ、答えてくる言葉に迷いはない。 なのに、どうしてだろうな。 「お前は知ってる気がするんだけど」 違うか、と窺うよう身を屈めて訊いた。 「知らない、って言っている。 初対面の人間が、何を知っているって言うの。 馬鹿じゃないの」 吐き捨てるように言って、男はこの場を去ろうとする。 その腕をとって、引き留める。 その瞬間、違和感を覚えた。 知っている気がする。 この細い腕を。 この感触を。 「なぁ、やっぱ。 俺、お前のこと知ってると思う」 呆然と呟けば、男は振り返った。 「僕は、知らない、って言っている」 怒気さえ滲む表情に声。 「うん。 でも、俺は知ってると思う」 「何それ、気持ち悪いんだけど」 放せ、とでも言うように、 今度は力づくでも捕らわれた腕を強く振られる。 けど、それを押さえつけ、言った。 「じゃあ、初対面でもいい。 俺、お前が好きだ。 だから、もう何処にも行かないでくれ」 言った俺自身も、言われた男も呆然とした顔で互いを見た。 何を言ってるんだ、と自分でも思う。 ずっと、 何かを忘れてると思って、それが何かを知ろうとしていた。 その何かはとてもとても大事なことで、 どうしても思い出したかったと言うのに、 どうして、それをどうでもいいと思った揚句に、 初めて会った男に告白をし、あまつさえ、懇願をしていると言うのか。 ワケが解らない。 けど、 それでも、この手を放してはいけないと思うのだ。 「…っは、何? あなた、大事なモノがあるんじゃなかったの? それはもういいの? 所詮、その程度のモノだったんだ? それに、初対面の男に告白って何?」 意味が解らない、と、 我に返ったらしい男が言う。 それも、俺が思ったことそのままに。 本当に言われるまでもない。 でも、思い出せない大事な何かより、 この手の方が大事だと思ってしまうのだ。 「もう、何処にも行かないでくれ」 情けなくも、哀願するように言った。 どうして、もう、なのか解らない。 でも、出てくる言葉は、もう、なのだ。 じっと黒い目を見続けていると、ふっと逸らされた。 それを哀しく思っていると、また黒い目と視線が合った。 「僕は好きな人がいる。 一生、何があっても僕はその人のモノだ。 他の誰のモノにもなり得ない」 揺らぐことなく、 真っ直ぐに告げてくる言葉は、恐らく本物。 「一生?」 問えば、一生、と言い切られてしまう。 「でも、放したくないんだ」 この手を放せば、失う。 そんな恐怖に捕らわれる。 初対面から数分で、何が自分を変えたのか。 その原因は、この男。 けれど、何がそうさせるのかは解らないまま。 「放せ。 何度も言わせないで。 僕はあの人しかいらない。 あの人じゃないなら、いらない」 どう足掻いても、求めるのはお前じゃないと言われた。 その絶望感に緩んだ手を、男は容易く振り払って背を向けた。 走って逃げたワケではない。 それなのに、 男の背がすべてを拒絶していて、追いかけることなどできなかった。 けれど、 本当に最後の足掻きとでも言うように、声を張り上げた。 名前を呼ぶつもりだったのだ。 先程、獄寺に教えてもらったばかりの。 それなのに叫んだ言葉は―― 「っ恭弥」 そんな名前じゃないのに、違う。 もう一度、声を張り上げて呼ばないと、と思ったのに、 何故か、男の足が僅かに緩んだ。 それから、 立ち止ろうとしたのか、 振り返ろうとしたのか僅かの迷いが生じた。 だから、また動かない足の代わりに名を呼ぼうとした。 今度こそ間違いなく、雲雀、と。 なのに。 「…っ恭弥」 また、同じ名を呼んでしまう。 違う、と思うのに。 違わない、とも思う。 ただ心が苦しくて痛い。 何より、 もう立ち止るそぶりも振り返るそぶりもしない男が哀しい。 そんな男を見えなくなるまで、ずっと見ていた。 「恭弥」 呟いた言葉は、教えられた名前じゃない。 それでも、あの男の名前はそれだと思うのだ。 「恭弥」 もう見えなくなった男の名を呼ぶ。 呼ぶ度に哀しくなるのに、 それでもその名を呼ぶのを止めることはできなかった。
11.02.20 ← Back