「そんなに寂しいんなら、俺の愛人になるか?」

寂しいなんて誰も言ってない、とか、
どうして僕が愛人なんか、とか思わないでもなかったし、
それ以前に、そんなことを口にされたのであれば、
生まれてきたことを後悔するほどに咬み殺したけれど、
言ったのが赤ん坊だったから、いいね、と笑った。

何も考えたくないくらいに、
らしくもなく、何もかも放棄したくなるくらいに疲れていたから。
 
 
 

  
 

  
 
 
 
                             
   
 
 
 
   
 
 
 
 

 
「恭弥、お前、リボーンの愛人になったって…」

嘘だろ、とディーノが言った。

「何を今更」

愛人になったのは、もう半年以上前のことで、
その間にディーノにも会ってるし、
赤ん坊とディーノだって会ってるだろう。

それでも、
今更言ってくるってことは、最近知ったのだろうか。

とっくに、
赤ん坊が言っているものだと思っていたし、
何より、何も言ってこないのは、
単に興味がないだけだと思っていたけれど違ったらしい。



「…情報遅いんだね」

キャバッローネなんて大きなマフィアのボスのくせに、
世情に疎い、と笑えば、
恭弥、と名を呼ばれ窘められる。

掴まれていた腕を振り払った。


「うるさいよ。
 あなたには関係ない」

誰の愛人になろうが、ディーノには関係ない。

「関係ないって、お前…」

なんて言う癖に、その続きが出てこないことが証拠。
僕が誰の愛人になろうが、ディーノには関係がない。

それでも、
教え子が自分の元家庭教師の愛人になっているのが嫌なのかもしれない。
道徳的な意味で。





「何人も愛人持ってるあなたがとやかく言わないで」

実際に何人いるかなんて知らないが、
ディーノだって何人も愛人を囲っているだろう。

いくつかマフィアのボスを知っているけれど、
そうでないのは、ボンゴレのボスである沢田くらいだ。

「…持ってねぇよ」

何処か苦い顔でディーノが言う。
そんなことで嘘を吐いても仕方ないと思うけれど、
僕を咎めたいがために、嘘を吐いているのかもしれない。

「あ、そう」

だから、どうしたと言うのだ。
ディーノが愛人を持っていようが持っていまいが、
僕が赤ん坊の愛人をやっていることとは関係がない。

その気持ちが解ったであろうディーノは、深く溜息を吐きだした。



「ここで、話すことでもねぇな。
 ちょっと場所動くぞ」

まぁ、流石に、
偶然会った街中で話すような内容でもないかもしれない。

けれど、
僕の腕をまた掴み、勝手に歩き出すのは許せない。


「放して」

立ち止り、
強く振り払おうとしても、びくともしない。

それに苛立ち、トンファーを取り出そうとしたら、
最近猫を飼い始めた、なんて言うから、黙って後を付いて行った。




















真っ黒な毛並みに、
金色の飴玉みたいな目が、じっと僕を見つめる。

そっと手を伸ばしたら、
興味深げに匂いを嗅いで、それから頭を擦りつけてきた。




「ほら」

差し出された紅茶をチラリと見て、
受け取りもせずに、猫を抱く。

喉元を撫ぜれば、ゴロゴロと気持ちよさそうに鳴くのが可愛い。

ディーノは溜息を吐きだし、向かいのソファに座った。


「で、どうして愛人なんかやっているんだ?」

呆れたように心配したように、訊いてくるそれは、
大事な教え子がどうして愛人なんかに、と憂いているようだ。

「どうして、って」

考えた。
そして、思い出す。

「赤ん坊が、誘ったから」

「…お前は、誘えば誰のでも愛人になるのか」

ディーノの苛立ちが、僕にも移る。

「馬鹿にしないで」

殺気を放てば、抱いていた猫がニャアと鳴いて腕から逃げた。
それで、僕もディーノも少しだけ冷静になる。



「…リボーンが好きなのか」

また溜息を吐き出しながら訊かれる。

「好きだよ」

強いから。
強いモノは好きだ。

「…まぁ、知ってたけどな。
 でも、愛人なんかになるとは思わなかったよ」

「そうかな…」

言われて、また考える。
でも、そうかもしれない。

だって。

「大勢の中の一人なんて、許せないだろ?」

自分が思っていたことそのままを言われ、笑った。

「へぇ、解ってるじゃないか」

大勢の中の一人なんて、冗談じゃない。

「それでも、リボーンがよかったのか」

少し声を落として窺うように訊いてくるから、また笑った。






「そうだね」

寂しいなら愛人になるか、と言ったのは赤ん坊で、
それに答えたのは僕。

誘った言葉そのままに、
赤ん坊は、僕に寂しい想いをさせなかった。

と言うより、むしろ楽しませた。

それは世の『愛人』たちにすることではなく、
気まぐれに戦ってくれたり、危険な任務に同行させてくれたりといったもの。

本当に、ただそれだけで、
きっとこの関係は世間一般で『愛人』とは言わないだろうに、
赤ん坊は面白がるように、僕のことを『愛人』と言うから好きにさせていた。






「楽しいか?」
 
ソファの陰に隠れ毛繕いする黒猫を見ながら、ディーノが訊いた。

「楽しいよ」

同じように黒猫を見ながら答える。

実際は、楽しいことばかりではないけれど。
戦ってくれることも、任務に同行させてくれることも楽しい。
でも、それでも何人もいる愛人の中の一人でしかなく、
常に優先してくれるワケではないから。

けれど、愛人になるか、と言われる前を思えば、
比べ物にならないくらいに楽しいのは確かだ。



「唯一になれなくても?」

気がつけば、真っ直ぐな眼で問われた。
あまりに真っ直ぐ過ぎて、苛立ちが芽生える。

「あなたがそれを言うの?」

その言葉の意味が解らなかっただろうディーノは、
解らないとでも言うように、眉間に皺を寄せた。

まぁ、解ると思って言ったワケではなかったから別にいい。


「もういいよ」

帰る、と席を立てば、
ディーノも立ち上がり、腕を掴まれる。
今日何度目だろうか、と振り払う気力もなかったが、
その分だけ、強い視線で見上げる。

「放して」

強く言い放てば、ディーノはらしくもなくうろたえる。
それから何事か言いかけて、諦めたように溜息を吐きだした。

腕を掴まれる以上に、今日はディーノの溜息ばかり聞いてる気がした。








「何?」

聞いてやらなければ、放してくれそうにないから訊いた。

ディーノはらしくもなく、
俯いたままに、あのな、と言った。

「だから、何?」

苛々して更に訊けば、ディーノが顔を上げた。
また、真っ直ぐな眼と視線が交差する。

「…あのな、お前は楽しいって言うけどな」

そう言い辛そうに言うから、
赤ん坊は楽しくない、とでも言ったのだろうか、と、
思ったけれど、どうやら違うらしかった。

「お前、全然楽しそうじゃねぇよ?」

心配そうに覗き込んでくる目に、カッとなった。
振り上げた拳で殴りつける。

至近距離だったから、大した威力はない。
それでも、ディーノは避けれるはずだった。
それなのに、手は痛みを伝えている。

ディーノは倒れることこそしなかったが、
それでも、少しだけよろめき、赤くした頬をそのままに僕に言った。



「…お前、辛そうだ」

もう一度殴ってやろうかと思った。
けれど、無理だった。

「…もう嫌だ」

声を殺して泣きたいような、
逆に、声を上げて笑い出したいような、
どうしようもない気持ちで、
感情を制御できずに、ずるずるとその場に崩れ落ちた。

グチャグチャな感情の渦に陥る中、
ディーノに掴まれたままの腕だけが熱かった。













「大丈夫か?」

ぼんやりと目を開ければ、ディーノの心配そうに見ていた。

うまく働かない頭を動かして、
ベッドに寝かされたこの状況に至るまでを思い出す。

「…最悪」

気を失う前の状況を思っても、
ディーノの前で気を失った状況を思っても、
直ぐに動けそうにな現状を思っても、
どれもその一言に尽きる。

呟きに、ディーノが少しだけ笑った。

「水、飲むか?」

「いらない」

早く帰りたい、と思うのに、
頭痛が激しく、その上、手足が鉛のように重く動くに動けない。






目を閉じ、痛みをやり過ごそうとすれば、
髪を撫でられる感触がした。

撥ね退けるなんて思うよりも先に、心地いいと思ってしまった。


なんて、愚かしい。
笑おうとしたら、失敗したらしい。






「恭弥?」

ディーノが呼ぶから、目を開けた。
視界が滲んでいる。

ディーノの指が目元を拭うから、泣いていると知った。

何度か瞬きを繰り返せば、
視界はマシになり、もう涙は出て来なかった。

それでも、相変わらず心配そうな顔がある。
でもその頬は、赤く腫れていた。

そっと重い手を伸ばし、その頬に触れる。
熱を持っているそこは、熱かった。

「…恭弥」

ディーノが名を呼び、ゆっくりと近づいてくる。
拒絶するでもなく僕は目を閉じ、首へと腕を回した。

最悪の状況下にいる。
だったら、もう何も考えたくなかった。















頭を撫ぜる感触が心地よく、
目を開けるのが勿体ない気がした。

それでも、意識は浮上し目は視界を映し出す。

至近距離にディーノがいた。
戸惑った顔で僕と視線を交差し、頭を撫ぜる手が止まった。

状況を忘れ、馬鹿みたいに声もなく凝視する僕に、
戸惑ったままの顔でディーノが言った。


「…お前、初めてだったのか」

後悔するような響きだった。
一瞬で、先程のことが思い出され、
次に思ったのは、逃げなきゃいけない、だった。



シーツを捲り、ベッドを降りたところで崩れ落ちる。
足腰に力が入らない。

それでも這うように、
柔らかなカーペットに爪を立て、
前に進もうとしたところで、腰を掴まれベッドに戻された。


「…恭弥」

名を呼ぶくらいしか言葉が出ないのだ。
それほどに、後悔してるのが知れた。

だから、足掻き帰ろうとする。
それなのに、ディーノが後ろから抱きしめ阻む。






何なんだ。
この状況は。

自分が惨めすぎて、
愚かしすぎて、もう嫌だ。








「…もう嫌だ」

呟いたら、抗う気さえなくなった。
だらりと四肢を投げ出した僕を、ディーノが強く抱きしめる。

「恭弥」

恭弥、恭弥、何度も名を呼ばれ、感覚が麻痺していく。

次第に、抱きしめる力は揺るまり、
代わりに、髪をゆっくりと撫ぜられる。
それでも、名を呼ばれ続ける。

ぼんやりと、僕はそれを聞く。



「…寂しい?」

暫く名を呼び続けた後、ディーノが訊いた。
その言葉を、頭の中で繰り返す。

寂しい?

思考することを放棄した頭は、ゆっくりと頷いた。

「俺はリボーンみたいに、恭弥を寂しくなんかさせねぇよ。
 だから――…」

だから、俺の愛人になれよ、とディーノは言った。


後ろから抱きしめられているから、
ディーノがどんな顔で言ったのかは解らない。

けれど、
赤ん坊との始まりを思い出すその言葉に笑った。









だって、笑うしかない。
本当に欲しかったのは、この人だった。

愛人なんかが何人いようが関係なく、
この人はキャバッローネのモノで、僕のモノになんてなり得ない。

それでも欲しいと思ってしまい、ともすればどうにかなりそうな僕を、
愛人になるかと誘ったのが赤ん坊だった。

それなのに今、
その原因であるディーノに愛人になれと言われている。


何をどうして間違えたのかさえ、解らない。





そもそも考えを放棄した上で、
言葉だけの関係だったとは言え、赤ん坊の愛人になったのだ。

今もまた、同じ。

思考は放棄して、
ただ逃げるように、差し延ばされた手を掴む。





だって、欲しかったのだ。
何よりも、誰よりも。

だったら、もういい。
大勢の中の一人だとしても。





恭弥、と返事を促す声に、
笑って、いいよ、と答えた。

あぁ、
それもまた、赤ん坊の始まりと似ていた。






10.07.25 Back